「農地 雑感」

 

こさいたろうの視点・論点 0049

2018/05/09

「農地 雑感」

 

あの厳寒の冬はいつだったのか。私の住む山梨県最北西部の山里にもようやく、暖かい春がやってきました。寒さに耐え忍んでいた草木は、ここぞとばかりに一斉に芽吹き、鳥たちは心地よさそうに唄い始めています。まわりの田んぼの耕耘も進み、水も入り始め、標高の少し低い村では田植えも始まっています。

田んぼの風景は美しいものです。大都会の片隅で生まれ育ち、子どものころに田んぼをほとんど見たことのない私のような者でも、なぜか懐かしさを感じます。心を揺さぶられます。何代にもわたる日本人のDNAが作用しているのかもしれません。

 

 

ただ、田んぼの風景は自然にできているものではありません。人が作り上げている風景です。今でこそ圃場整備という公共事業、土木工事で整備されるのが常ですが、その昔は人力で田んぼが作り上げられていました。つまり、人がいなければ、誰かが受け継いでこなければ、今この時の田んぼの風景はありません。

都会の宅地や商業地では、頻繁に所有者が変わり、その時々の必要に応じて土地の利用方法が変化していくことが当たり前です。そしてそれは、それほど難しいことではありません。でも、農地はそう簡単にはいかないものだと、山里に移り考えさせられています。

就農人口の減少、高齢化や耕作放棄地も年々増え続ける中で、農村部の地方自治体では新規就農者がもてはやされます。それは、多額の税金投入に表れています。僕の周辺は、地域に根付こうとする真面目な仲間ばかりですが、果たしてすべてがそうなのか。実態はよくわかりません。

そして、私の知る限り、ほとんどの新規就農者は農地を借りて耕作していると思われます。つまり、農地を所有している人はごくわずかのように感じます。そのような形態で、昔からの農家のように、子孫の代にまでわたって地域に根差し、農地を守っていけるのでしょうか。そういう思いに至ってもらえるでしょうか。

一方で、私は、昔から続くいわば「地つき」の農家さんも知っています。これも私の知る限りですが、その多くの後継者さんは「勤め」に出ながら田畑をやっています。「やりたくないなぁ」という思いもありながら、受け継いでいくことは当たり前、というふうに思っている人もいるわけです。

田畑、特に田んぼは、私たちの故郷、日本という国の原風景だと思います。つまり、日本の伝統や文化、ひいては日本人そのものを体現しているといってもよいと思います。その意味で私は、私たち日本人が守り、受け継いでいくべき最も重要なもののひとつであると思っています。

先の戦争に敗北し、占領軍により農地解放という政策を進められ、地主・小作の仕組みは崩壊し、無数の地主が生まれることとなりました。その後、時代の急激な変化もあり、地主が先祖代々の土地を守り、耕作を受け継いでいくという生き方は当たり前ではなくなりました。

その結果、就農人口は急激に減り続け、耕作放棄地は急激に増え続けることとなり、今もその流れに歯止めはかかりません。一方で、農地は流動化しません。所有者が簡単に手放すことはしないからです。それとは別に、相続などを経て所有者が細分化されて所有実態がわからなくなってしまっている土地もあるようです。

ただ、農地の所有権が簡単にクルクル変わるようなことになってしまったら、農を基盤とした地域社会を維持することができるのか、何よりも良好な農業用地として維持することができるのか、私は維持することはかなり難しいと思わざるを得ません。

日本のこれからの農業、農を基盤とした地域社会、そして作物を生産するための農地はどのようにあるべきなのか、何を守って、何を革新すべきなのか。山里でまる4年働き、昨年からは暮らすようにもなった私ですが、全く答えを見つけることができません。能力の限界かとも思っています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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「希望を抱くには未だ至れない(南北首脳会談)」

 

こさいたろうの視点・論点 0048

2018/04/30

 

「希望を抱くには未だ至れない(南北首脳会談)」

 

僕が若い頃、理由と時期は思い出せないのだが、「北朝鮮とはいったいどういう国なのだろう」と思うようになった。書店で北朝鮮の内情を伝えるような本を見つけると、購入してよく読んでいた。金日成を崇拝し、その絶対権力を幼少時から礼賛する教育をして、反抗すれば収容所に送られるか、死刑、といった内容に戦慄を覚えた。

25歳で港区議会議員になった時、ある先輩区議と無所属議員控室で同室になった。旧社会党の闘士、社会主義に見切りをつけ無所属で区議に復帰していた人だ。雑談の中、僕が北朝鮮に興味・関心があると伝えると、一冊の本をくれた。「北朝鮮幻滅紀行 凍土の共和国」という本だった。

書店では見かけたことのない本だった。在日朝鮮人二世であり、元朝鮮総連幹部が肉親を訪ねて北朝鮮を訪問した際の日記風のルポルタージュ。飢餓と強制労働に苦しむ北朝鮮の民衆の実情を赤裸々に伝える内容に、驚愕し、怒りさえ覚えた。

地上の楽園と信じ北朝鮮に渡った在日朝鮮人の人々やその子孫は、今どうなっているのだろうか。いろいろな本を読む限りは、その子孫に至るまで幸せな生活をしているとは到底思えない。民衆のすべてが常に監視され、言動を密告され、移動の自由もなく、体制を批判すれば処罰されるという社会は今も続いているのだろうか。

北朝鮮には、何のかかわりもない日本人を闇夜に乗じて拉致していった過去がある。日本人に限らず、同胞の韓国人も含め、14か国から拉致を行っているとの報告もあり、国連の調査委員会は北朝鮮による拉致被害者はなんと、20万人を超えるとされている。

もちろん、北朝鮮に核を放棄させること、ミサイルによる威嚇をやめさせること、朝鮮半島に平和を取り戻すこと、これらは極めて重要な国際的課題である。隣国である日本にとっても、攻撃されれば甚大な被害を受けることは確実であり、最大級の関心事であることは言うまでもない。

 

 

しかし、北朝鮮に核やミサイルを放棄させるために、世界の各地から何の罪もない人々を連れ去ってきた過去を無視できるのか。国内で多くの国民が虐げられている疑いがある現状をそのままにしてよいのか。北朝鮮から発信されるニュース映像を見て、違和感を感じない人はいないはずだ。

無数の脱北者が後を絶たないことも、見過ごせない。韓国政府によると、韓国に入国した脱北者は累計3万人を超えているとしているが、中国や東南アジアなどに潜伏している潜在的脱北者は数十万人ともいわれている。相当の覚悟がなければ、死をかけて、家族を残して国を捨てるなど到底できるものではない。

また、かつては大韓航空機爆破やラングーン事件というテロ行為を重ねてきたことも忘れてはならない。最近では、韓国海軍哨戒艦「天安」爆破・沈没事件や延坪島砲撃事件を引き起こし、韓国人が殺されている。すべて北朝鮮自国の都合で人々の命が奪われている。

融和ムードがこれらをすべて不問に付すことに繋がっては決してならない。北朝鮮の態度の変化に乗じて、閉ざされた扉をこじ開けることに異論はない。しかし、「北朝鮮の体制保障」が、過去の非道な行為を消しゴムで消すようなことになってはならない。特に、人権を蹂躙してきた過去の行為を。

核やミサイルの放棄のみに前のめりになり、北朝鮮という国ができて以来70年近く続いてきたと言っても過言ではない、到底容認できない悪行や自国民への抑圧をなし崩し的に容認するようなことがあってはならないと心から思う。未だ、金正恩の笑顔と言動に無条件に希望を抱いてはいけない。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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「民意による政策変更」

こさいたろうの視点・論点 0047

2018/04/25

 

「民意による政策変更」

 

ネットのニュースで「初当選の近江八幡市長、公約通り新庁舎工事契約を解除」という見出しが出てきた。滋賀県の近江八幡市で市長選挙が行われていたことは知らなかったが、見出しが気になってネット検索をかけてみた。

 

 

 

どうやら、近江八幡市役所の新庁舎建設は2月から始まっていたようで、すでに着工しているものを途中でストップさせるというのが、当選した新市長の看板公約だったようだ。

 

ネットの情報だけでは正直よくわからないところも多いのだが、三期12年務めた現職市長がほぼダブルスコアで完敗〈21,047票vs 11,647票〉しているところを見ると、相当ひどい市政が続いていたという背景もありそうだ。その象徴的プロジェクトが「90億円の新市庁舎建設」だったのだろう。

 

それにしても、工事契約解除に踏み切った新市長には拍手を送りたい。市民が選挙を通じて意志を表明する、当選者がその意志を即座に実行に移す。民主主義社会のあたりまえのルールともいえるが、現実にはそう簡単なものではない。二元代表の一翼、議会の承認を受けている工事であり、着工している案件でもあったわけだ。

 

新市長は、事業者に工事契約解除を通知した理由を、『民意による政策変更』と述べたそうだ。僕は「あっぱれ」と言いたい。選挙を通じて主権者がその意志を示し、選ばれた政治家がその意志に基づいて政策実現を図る。今回の近江市長選挙に関するニュースは、何だか僕を清々しい気持ちにさせてくれた。

 

翻って、今の国政はどうだろう。暗澹たる気持ちしか湧いてこないのは、僕だけだろうか。僕たちは未来を見据えて、現在の政権や政治と役所のありようについて、本気で意志表示すべきではないか。国政を担う政治家は、それを汲み取り具現化させる責務を有しているはずではないか。

 

役人任せの政治、かつ役人に責任を押し付ける政治からの脱却が、信頼できる政治の大前提となる。その昔、政治の現場に身を置く中で訴え続けたことであるが、今の政治を見て、はっきり言えば安倍政権の進める政治のなれの果てを見て、時代が逆行していることを強く感じる。

 

『民意による政策変更』は、必ずできる。

 

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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地方議員年金復活は不要

こさいたろうの視点・論点 0046

2018/04/19

 

地方議員年金復活は不要

 

ちょうど私が港区議会議員を辞める頃、地方議員年金はほぼ破綻し、その後廃止されました。全国の地方議員が加入する年金制度でしたが、財源が枯渇したのです。つまり、「財布にお金がなくなってしまった」ということが廃止の大きな理由でした。

 

地方議員の年金制度は公的年金とは別だての特別な制度で、地方議員は自らの報酬から一定額を掛け金として納め(天引きされ)、議員は退任する際、退職一時金として保険金を受け取るか、三期以上務めた議員については65歳以降に年金として受け取ることも選択できるという仕組みでした。

 

平均寿命が伸び、年金を受け取る元議員が増える一方で、平成の大合併により地方議員の定数は急速に激減、それに伴って年金財源が枯渇していったと記憶しています。その間、現役議員の掛け金負担を急激に重くし、公費負担分も大幅に増やしたものの、事態は改善されませんでした。

 

私自身の経験を思い返すと。34歳の時、区長選挙に立候補するため、三期目の途中で区議を辞しました。その際に、退職一時金を受け取りました。かけた保険料総額の7割くらいの金額でした。区長選落選後、再度区議に復帰し一期務めた後も、同じように退職一時金を受け取りました。

 

ただ、受け取った退職一時金の多くは、前年の収入に応じて納付することとなる多額の地方税や国保料に消えていくことになりました。いずれにしても、掛け金の7割程度しか戻りませんので、年金制度がなければその分を自分で運用した方が有利だったと思います。当時は全くそんなことを考えませんでしたが。

 

当時、お金の心配がなければ、65歳まで待って、年金を生涯受け取る選択をすれば、大変有利だったものと思います。一般の方から見れば、議員経験者の特権待遇だと思われても仕方ない制度だったと思います。そういう制度だったので、財源がなくなり破綻したともいえると思います。

 

 

 

僕が地方議員時代、議員は職業でないと自分に言い聞かせてきました。労働の対価として給料をもらうのではない、と。与えられた任期、選挙を通じた公約を守り、政策実現に努め、行政を厳しく監視する役割を果たす、この立場を貫くことで報酬を与えて頂くのだ、との思いでした。

 

したがって、当選させて頂き4年間の任期を務めれば、そこでいったんリセット。次の選挙に出馬し、改めて公約を掲げ、そこで当選させて頂けば、そこから有権者の皆様との新たな契約期間が始まる、そういう思いで活動していました。

 

つまり、一般の公務員とは、役割も立場も全く異なります。職業として労働時間が決められ、労働することで給料をもらい、そのお金で生活するということではないわけです。職業でないとすれば、特別の年金制度が存在することそのものに、私は違和感を感じていました。

 

しかも、今や国民皆年金制度となっており、地方議員であっても一国民として基礎年金加入者です。さらにいえば、一般公務員と違い、地方議員は兼業可能です。議員報酬を受け取りつつ、他の仕事もできます。不動産屋の社長や薬局のオヤジも地方議員をしていました。

 

兼業している地方議員は、厚生年金に加入している場合もあるわけです。兼業していない議員でも、各自の判断で公的年金の上乗せ、確定拠出年金の加入なども可能です。議員報酬から天引きして、税金を上乗せして運営する特別な年金制度は全く不要ではないでしょうか。

 

国政では与党である自民党・公明党が、「地方議員のなり手がいなくなる」ことを理由に、地方議員年金制度の復活を目論んでいると聞きます。全くピントが外れていると厳しく指弾せざるを得ません。なり手がいないから特権待遇を復活させるなんて、誰が納得するでしょうか。

 

仮に、特権的待遇を目当てに人材が集まったとしても(集まらないと思いますが)、そういう人が地方議員として本当にふさわしい人材と言えるのでしょうか。市井で汗水流して生きる人々と同じ目線で活動できる人材が集まって初めて、議会は機能するはずです。

 

少し前、「地方議員はおいしい就職先」というような書籍が売られていました。私は非常に苦々しく感じておりました。そんな思いで議会に来る人材にろくな人はいないと知っていたからです。地方議員年金制度の復活、特権的待遇を与えることで、こういうおかしな風潮にお墨付きを与えてしまうことを危惧します。

 

議会の役割を理解し、その役割をしっかりと果せる人材を、主権者が選挙によって選出するという全うな仕組みを機能させる。当たり前ですが、現実として難しいこのことを不断に追求していく、粘り強く取り組んでいくことが、今求められていると思っています。

 

その意味からも、議員を「おいしい職業」と曲解させてしまうような地方議員年金制度の復活に、私は断固反対なのです。

 

※ 参考資料:《制度の廃止を決断せよ》地方議員年金について https://wp.me/p8PEo8-lf 〈小斉太郎2009/11/13執筆〉

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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次の政権構想が必要だ〈問われる野党の役割〉

 

こさいたろうの視点・論点 0045

2018/04/14

 

 

次の政権構想が必要だ〈問われる野党の役割〉

 

 

国会審議を見ていて思うこと。今、野党がやるべきことは何なのか。安部長期政権で溜まりに溜まった膿が次々と噴出し始めている。ここぞとばかりに野党は攻め立てる。攻め立てること自体は、やってほしい。真実を明らかにしてほしい。でも、果たしてそれだけでよいのか。

 

衆議院の予算委員会に、ことさら甲高い声で「委員長、時計を止めて下さい」と連呼する野党理事がいる。何党の誰か知らないが、顔を確認するといいおっさん。でも、声が極端に幼く小学生のようにも聞こえる。正直、気持ちが悪い。

 

同じ予算委員会に、汚いヤジを飛ばす野党委員もいる。これはたまに安倍首相から名指しの逆襲を食っているので知っているが、立憲民主党で復活した本多とかいう議員だ。テレビでも怒鳴り散らす声が聞こえるのだから、議場では大変な音量だと思う。正直、低能に見える。

 

失礼で不遜な言い方かもしれないが、現政権の私物化や隠蔽体質、その実態を明らかにしようという重要な局面なのだ。委員長の周りでわめき散らしたり、感情に任せて怒鳴り散らしたりしている場合ではない。追及の信頼を貶めていることに気づかないのか。

 

国民の多くは、見ればわかる。長々とした答弁で時間稼ぎをしたり、的を外すような答弁ではぐらかしたりしている姿を見れば、何か不都合なことがあるのだろうということを。それを非難してギャーギャー騒げば、騒ぐ人たちの方がおかしいような気持になってしまう。

 

もっと大人にやれば、もっと野党の言い分も理解されるというものだ。さらにいえば質問者も、核心に触れる質問をして、あとは答弁させておけばいい。おかしなことを言えば、重ねて質問を続ければいい。国民はその光景を目の当たりにして、十分に真実を知るに近づける。

 

政府が不必要に時間を費やす答弁を続ければ、改めて質疑の機会を求めればいい。拒否すれば、それもまた国民は受け止めて、判断する。小さなことのように見えるかもしれないが、冷静沈着に、興奮せず、ギャーギャー騒がず質疑に臨むということは、国民から信頼を得る入口だと強く思う。

 

 

 

それと、もう一つ野党に言いたい。ここまで疑惑が深まってなお、内閣支持率は30%以上ある。これは、積極的支持というよりも、自民党以外に政権を担える政治勢力はないじゃないか、という国民の意思表示にも見える。

 

追及の手を緩めてはいけないが、その後のことも真剣に考える時期が到来しているのではないだろうか。国民に対し、自民党政権が下野した場合、どんな国づくりを目指し、どんな政権を準備するのか。それがないために、疑惑追及に対する国民の後押しも強くならない気がしてならない。

 

野党が大合併して一つになる必要なんてない。基軸の政党を決めて、共通して目指すべき政策を掲げ、協力して進めばいい。安倍政権ではダメな部分、今疑惑を招いている権力のありようを正すために、どんな陣容で具体的に何をするのか、国民に示す時が来ている。

 

近い将来への展望を示すことで、疑惑の解明がさらに国民から支持され、真実が明らかになることにつながると、僕は思っている。

 

 

※ 先週の配信が本日になってしまいました。お詫び申し上げます。来週は2本配信する予定です。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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今後の政局

 

こさいたろうの視点・論点 0044

2018/04/03

 

今後の政局

 

佐川氏の証人喚問が終わりましたが、結局は「刑事訴追の恐れがあるため答弁は差し控えさせて頂きます」の常套句の連発で真相は全く明らかになりませんでした。安倍政権は、「あとは国民の判断を待つ」との姿勢で、逃げ切り体制を敷き始めました。なんと、世論調査によっては内閣支持率回復の結果も。

 

理由は未解明ではありますが、権力サイドの都合により公文書が書き換えられてしまったという、議会制民主主義の根幹を揺るがす大問題を起こしてしまった内閣に、いまだに40%前後の支持が寄せられるという現実。私としては全く理解できない世論が形成されています。私が変な人間なのだろうかと思ってしまいます。

 

そんな中、民進党が希望の党などとの合併、それに先立つ分党などを本格的に検討するという報道がありました。視点・論点の読者の方からは、「先の総選挙前に飛ぶ鳥を落とす勢いであった希望の党、どのような形で落ち着いていくのか。さっぱりわからず、また、みえてきませんね」とのご意見を頂きました。

 

(以降略)

※ 省略部分、ご購読の上、読み進めて頂ければ幸甚に存じます
※ ご購読ご希望の際は、お手数ですが、私あてご連絡下さい

※ 連絡先:http://www.kosaioffice.com/contact-me/

 

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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森友・公文書改ざん 政局のゆくえ

 

こさいたろうの視点・論点 0043

2018/03/27

 

 

森友・公文書改ざん政局のゆくえ

 

 

ほぼ毎週「こさいたろうの視点・論点」と銘打ち、私の拙文の発信を続けておりますが、3月21日、読者の方からこのようなご質問を頂戴いたしました。

 

『小斉さんは騒動中の問題については、どのような進展をすると…?予測しておりますか… お聞かせ下さい!』

 

それに対して、私はこのようにお答えしました。

 

政局の予測ですが、山が動き出しているような気がします。公明党の態度が変化してきているのと、おそらくそれに合わせて自民党内の風向きも変わってきているように見えますね。安倍首相の求心力が急速に低下する可能性が高い気がします。

 

公明党はそもそも、安倍改憲に消極的だったので、来年の統一選に向けて、できれば改憲を政治日程から外したいと思っている節があり、首のすげ替えは渡りに船だったのかもしれません。

 

二階氏は、自公政権の安定が重要なので、公明党の意向も踏まえて、世論に逆らわない形にしたいのではないでしょうか。

 

麻生氏は、なんで自分に火の粉が飛んでくるのかと思っている節があり、辞めるにしても自分だけが辞めることに不満があるのではないかと思います。菅官房長官との確執が影響を及ぼす可能性がありそうです。

 

あとは、証人喚問で佐川氏がどこまで何を話すか、が当面の最大のポイントだと思います。佐川氏は、自分だけがすべてを背負わされて幕引きされることに難色を示しているとも噂されているので注目です。ただ、「刑事訴追の恐れがあるため答弁は差し控える」で逃げ切ろうとすれば、野党側は、「真相究明のため」として、安倍あきえ氏、契約当時の理財局長などの証人喚問、さらには籠池氏への出張喚問も言い出してきて、収拾がつかなくなるものと思います。世論の大勢は、それに賛成するはずですし。

 

でも、もし総辞職するにしても、辞め時、辞めさせ時が難しいのもありますよね。安倍氏が辞めても、問題は残るわけで、辞めたから終わりという小さな案件ではありませんし。

 

また、おなかが痛くなる可能性もあるかも…

 

 

 

そして、今日〈3月27日〉、国会において佐川氏への証人喚問が行われています。時間をつくり、参議院の証人喚問をNHKテレビ中継ですべて見ました。今は、衆議院の証人喚問を見ながら本稿を執筆しております。

 

参議院の証人喚問では、案の定、肝心な部分はすべて証言拒否でした。官僚の矜持を示し、自らの刑事訴追を覚悟で真実を述べてくれるのではないかと淡い期待もありましたが、やはりダメでした。本当のことを話せば、自らにとどまらない広範な影響が及ぶからではないかと、私は推察しています。

 

その上で佐川氏は、総理・総理夫人からの影響について、「私の勉強した範囲では、ない」と発言しました。在任中には関与は確認できていない、という主旨の発言もしました。これは、裏を返せば、それ以前の事情は知らないよ、ということを殊更強調しているように聞こえます。本事案について一貫して影響を受けていないとは、言っていない訳です。佐川氏が理財局長に就任した時期は、契約締結が確定した後のこと。公文書改ざんのキーマンは佐川氏であるものの、森友事件そのもののキーマンは佐川氏でなく、契約交渉に至る過程の者なのではないか、という疑惑がさらに深まったように感じます。

 

公文書を改ざんしてまで何を守ろうとしたのか、何を隠そうとしたのか、それは誰がやったのか、誰かが圧力をかけたのか、あるいは誰かを忖度したのか、さらにはこのようなことが恒常的に行われていたのではないか、闇が深まるばかりの証人喚問です。

 

このような事件の真相究明すらできず、うやむやなまま幕が引かれるようなことがあれば、国民と政治・行政との信頼関係は地に落ち、日本は民主主義国家として成り立たなくなってしまいます。大げさでなく、極めて危機的状況を招来します。

 

一部、もっと大事なことを国会で議論すべきだ、野党の政局パフォーマンスだ、というような声もありますが、まったく当たりません。国会で虚偽の発言をする、公文書を改ざんしてしまう、その疑いがかけられても証言を拒否する、こんな状況そのものが異常であり、必ず真相を明らかにしなければならない、森友案件は最重要案件だと、証人喚問を受けて私は改めて強く思います。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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政治の責任〈官僚の公文書改ざん〉

 

こさいたろうの視点・論点 0042

2018/03/17

 

 

政治の責任〈官僚の公文書改ざん〉

 

 

財務省による公文書の改ざん。忖度であれ、いずれかからの指示であれ、一度確定された公文書を書き換えた事実は消えません。民間企業で重大な不祥事が起きた際、知っていようがいまいが、トップが責任を取ることは当たり前ではないでしょうか。

 

議院内閣制をとる日本の政治において、与党が中心となり内閣が組織され、行政権が行使されます。官僚は、その手足となり動きます。特に数年前からは、政治主導強化の観点から、幹部官僚の人事を内閣で一括して行う改革までなされています。

 

公文書を改ざんし、それを国会に提出するという犯罪にも問われかねない、取り返しのつかない行為を官僚が行ってしまった以上、たとえ政治サイドが関与していないとしても、政治がその責めを負うべきではないでしょうか。

 

しかも、改ざんを認めた財務省トップの財務大臣にとどまらず、内閣として責任を取らねばならない極めて重大な問題です。今後、いかなる役所の文書も説明も、常にその真偽を疑わねばならない、民主主義の危機を招いているわけですから。

 

それが、どうしたことでしょう。麻生財務大臣は「最終責任者はサガワ」と連呼し、改ざん当時の現場責任者にその責めを一手に引き受けさせて逃げ切ろうとしているようにしか見えません。

 

 

 

改ざんに麻生財務大臣や安倍首相が本当に関与していないのか、あるいは、事務次官まで通じていた財務省ぐるみの行為だったのではないか、これらの真相を明らかにすることはもちろん重要です。やらねばなりません。

 

また、書き換え、削除された内容が、具体的な口利きや指示、あるいは忖度などによる特別扱いがなされていたのか、つまり、森友問題の核心の追及も極めて重要です。徹底的な究明がなされなければなりません。

 

その上で、財務官僚が公文書を改ざんし、それを国会に提出した事実は決して消えません。国権の最高機関たる国会を、つまり、主権者たる国民を欺いた事実は決して消えないということです。

 

私は大袈裟でなく「民主主義の危機」だと認識します。したがって、この事件の責任を取るべきは「内閣」以外にあり得ません。責任の取り方は、真相を明らかにし、辞める、これしかありません。

 

安倍首相が関与しているか否かはともかくとして、官僚が決裁文書を改ざんしたという事実一点をもって、内閣総辞職すべき、それだけ重大な事件であることを忘れてはならないと思っています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

※ 今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

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本当のことを伝えること〈民主主義の根幹〉

 

こさいたろうの視点・論点 0041

2018/03/11

 

 

本当のことを伝えること〈民主主義の根幹〉

 

 

昨日、NHKラジオ『震災7年 福島「漂流する」子どもたち』という番組を聴きました。明日、東日本大震災から7年、避難を余儀なくされた子どもたちの苦悩、今なお続いていることを取り上げていました。被害に軽重はないものの、原発事故による被害は異質のものであると改めて感じました。

 

自然災害による被害と、その後に起きた原発事故による被害を同列に扱ってはいけないと思うのです。一度事故が起きれば放射能被害は世代を超えて続き、そのことに起因して人々の心をも大きく揺さぶることになります。子どもたちはこのような状況に翻弄され生きていかねばなりません。

 

事故直後から、情報は統制され続けました。それはある意味今でも続いているのだと思います。原子力発電所がひとたび事故を起こしてしまった時、それが永遠ともいえる被害を及ぼすことから目を背けてはいないでしょうか。原発を続けたい大人の論理が優先されているのではないでしょうか。

 

「原子力規制委員会が、世界で一番厳しい審査基準を満たしていることを確認し、安全が確認されたものから再稼働させる」、現政府が原発再稼働をさせる際の条件としています。しかし、安全を完全に確認することなどできないはず。福島の今も続く被害を直視できていない証左。

 

二度と事故を起こさないためには、原子力発電をやめるしかありません。でも、やめたくない大人がたくさんいるからやめられないのだと思います。それなら、なぜやめたくないのか、なぜ続けたいのか、続けたら将来にわたりどんなリスクがあるのか、本当のことを伝える責任があると思います。

本当のことを伝えずに、都合の悪いことは伝えずに、自分たちの思い通りにしようという権力者の姿勢を見過ごしてはなりません。本当のことが伝わらないからこそ、いまだに原発事故による被災者、避難者に対する差別や偏見が続きます。社会の空気を変えねばならないと感じます。

 

 

 

「都合の悪いことは伝えない」といえば、森友事件の公文書改ざん疑惑。この週末に大きく動きました。佐川国税庁長官(全理財局長)辞任、当時の近畿財務局交渉担当者の自殺、これらを受けて財務省が、週明けに書き換えがあったことを認めると報じられ始めました。

 

朝日新聞の報道がなければ、その後の国会での追及がなければ、このことを国民が知ることはありませんでした。国民が気付かなければ公文書を書き換えてもよい、ということがあってはならないはず。問題発覚当初、「捜査中につき答弁を控える」という対応でやり過ごそうとした内閣の責任は免れません。

 

原発事故と同列に扱うなとの声もあるかもしれませんが、権力者の都合によって国民に本当のことが伝えられない、歪めて伝えられる、という意味において問題の根っこは同じだと感じています。権力者による情報統制が積み重なり、それが当たり前という日本社会にしてはならないと思います。

 

日本における主権は国民にあります。つまり、権力者の持つ権力の源泉は国民にあります。したがって、政治や行政の情報は原則として公開されなければなりません。ましてや、恣意的に手が加えられるようなことがあってはなりません。最終的な評価と判断は国民がなすべきです。

 

今、この基本的な原則が揺らいできているように私は感じています。時計の針が戻りつつあるようにも感じます。「よらしむべし、知らしむべからず」、出典は論語、当初の意味とは別に封建時代、「人民はただ従わせればよく、理由や意思を説明する必要はない」という意味で使われるようになりました。

 

時代は移り、形こそ主権在民の社会になりましたが、いまだに「よらしむべし…」の風土が色濃く残っていると思わざるを得ません。今回の森友疑惑しかり、原発事故後の権力者の姿勢からも感じられます。未来の日本を拓くために乗り越えなければならない根本問題だと、私は強く思います。

 

7年前の今日、東日本大震災は起きました。地震、津波、そして原発事故。筆舌に尽くせぬ甚大な被害を及ぼしました。その辛苦を忘れぬようにすることは当然ですが、多くの犠牲の上に私たちは何を考え、何を目指すべきなのか、今一度思いを馳せねばならないと改めて感じています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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公文書改ざん・民主主義の根幹を揺るがす

 

こさいたろうの視点・論点 0040

2018/03/03

 

 

公文書改ざん・民主主義の根幹を揺るがす

 

 

森友問題に関連して、またもや重大疑惑。まだ疑惑にとどまっているが、事実なら私は、民主主義の根幹を揺るがす大問題だと思います。

 

森友学園と財務省の間で土地取引をした際、財務省近畿財務局の管財部門が作成した局内の決裁文書。朝日新聞の報道によると、その当時の決裁文書と昨年2月に国会に提出された文書の内容が違うというもの。起案日、決裁完了日、決裁番号、決裁印は同じなのに、文書の内容が異なるというにわかには信じがたい報道内容。

 

契約当時の文書には、森友学園との交渉経緯や森友学園の要請にどのように対応したかが記載されていたが、国会提出資料にはそれらが項目ごとなくなったり、一部消えたりしている。また、契約当初の文書にあった「特例的な内容となる」などの表現も消えていると報道されています。

 

もしも事実なら、公文書を改ざんした犯罪になることは免れないだけでなく、国民に対して都合の悪いことは伝えない現政権の体質、権力維持のためには国権の最高機関である国会をも欺く姿勢、平たくいえば、ちょっとまずいから隠しちゃえという国家中枢のありようが厳しく問われなければなりません。自分の子どもに「都合の悪いことは隠しちゃってもOKだよ」なんて言えるのか。そういう問題だと思います。

 

かつて地方自治に関わった者として、このような悪弊は地方自治にも伝播し、日本社会全体に暗い影を落とすことを危惧しています。国政でもやっているんだから、自分たちもちょっと位いいのではないか。国政ほどはあくどくはやっていませんよ。こんな言い訳が聞こえてくるような気がします。

 

 

 

10年ほど前までは、役人の天下りをそのままにしておくべきでないという世論が高まっていました。天下りにメスを入れるという期待もあって政権交代がなされましたが、120%の期待外れに終わり、安倍政権誕生後はその議論はなりを潜めてしまい、逆に天下り復活のような状況になってしまっています。

 

現場を離れて長く、現状は不明ですが、当時は地方自治体でも退職公務員の天下りが当たり前のように行なわれていました。優秀な人材の登用は当たり前、といった説明が当たり前のようになされるだけでなく、中央省庁のように天下り後の給料は高くないとか、わたりによる退職金はもらっていないから悪くないといった言い訳までされていました。

 

国でやっているんだから、地方でも少し位いいじゃないか。この感覚が、日本の行政機構の偽らざる雰囲気だと思います。中央集権、上意下達の弊害だと思います。今回の件も、もし事実なら、日本社会にかなりの悪影響を及ぼしていってしまう問題だと危惧します。

 

また、私も地方議員時代、行政事務の調査の際、事務の経緯や裏付けを求めるために決裁文書の提出を求めることがしばしばありました。押印された決裁文書の写しが手元に届く訳ですが、それが原本と異なる、改ざんされていると疑ったことは一度もなかったと記憶しています。そしてもちろん、改ざんはなかったと思います。国民から選挙で選ばれた議員が行政のチェックを行なうというのは民主主義の根幹。国民の代表である議員に改ざんされた公文書が示されるなどということは、民主主義社会の根幹を揺るがす大問題であることは、論を待たないものと思います。

 

麻生財務大臣も財務省も、誤報であれば誤報といえばいい。その場合は、報道した朝日新聞は厳しい批判を甘受しなければなりません。元の決裁文書と国会提出文書を並べてみせて、何の改ざんもないと明らかにすればいい。ただそれだけのことだと思います。

 

しかし、麻生財務大臣も太田財務省理財局長も「捜査中」を理由に文書の存在の有無についての回答を拒否。自主的な調査も拒否。その後、厳しい追及を受けて、調査して6日に国会に報告と態度を変化させたものの、及び腰の姿勢は何を意味するのか。財務省自身による調査の報告を待ちたいと思います。

 

事実であれば、今後現政権のどんな説明も疑いの目を向けねばならず、さらに信頼できない政権ということにならざるを得ないと思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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子ども食堂のこと〈アルマーニ制服問題から考える〉

こさいたろうの視点・論点 0039

2018/02/27

 

 

アルマーニの制服を採用する学校教育がある一方で、増える子ども食堂

 

前回の「小斉太郎の視点・論点」では、「アルマーニの制服と名門校」という拙文を発信させて頂きました。それを読んでくれた旧知の女性から、以下のようなご意見を頂きました。

 

『今回の泰明小の標準服問題。ブランドだの、高いだの。そうしたキャッチフレーズから脱却して、さらにもう一段問題を深掘りする議論がされるべきです。義務教育無償と言われていますが、実際は、制服(標準服も含め)、副教材費や部活費用にPTA費など、進学時には約20~30万円かかりますし、給食費もあります。実態は、多くの保護者にとって、有償義務教育です。アルマーニだから買えない家庭を想像するなら、普通のノーブランドの制服他一式も、同じ時期に一度に数万円から十万以上の支出となるため買えないまたはカードローンで買う世帯の事は、なぜ想像しないのでしょう。アルマーニを値段で批判するより、義務教育課程での制服採用の適否や、高過ぎる副教材費等について語って欲しい。』

 

また、私の住む地域の地方紙・山梨日日新聞に、アルマーニ制服問題に関連して、以下のような寄稿を見つけました。制服の高額化を受けて制服をリサイクルするために立ち上がったNPO法人ユニフォームリサイクリングリンクの坂本事務局長の寄稿です。

 

『山梨県内の高校でもブレザー導入でベストやネクタイなどのパーツが増えていること、ワイシャツやポロシャツ、セーター、靴までが学校指定になっていることなどから、ジャージなどを合わせて経済負担は10万円以上になっています。全国の学校で制服のブランド化が進んでいます。』

 

寄稿によると、去る1月に初めてのリサイクル制服販売会を行ったそうですが、旧型の制服を組み合わせて販売したそうです。その際に『標準学生服(学ラン)にもかかわらず、上着の裏やズボンに校章の刺しゅうがあり、「登校時に校門の前で先生がチェックし交渉が入っていないと学校内に入れてくれない中学がある」との訴え』があったそうです。これは、指定の店から買わなきゃダメということですね。

 

名門公立小学校がアルマーニの制服を採用する背景、エリート意識の固定化やそれを公立学校が追求しているという社会矛盾、家庭の経済環境による排除の論理などが内包されていることは前回記した通りですが、明らかになったアルマーニ制服問題は、制服そのものの必要性とともに、教育に関わる負担は如何にあるべきかという大きな課題を改めて投げかけているともいえます。

 

教育に関わる自己負担、親の負担。我が子のことだから当たり前、と議論を封じてしまってよいのでしょうか。指定の制服でないと学校に入れない事例や、必ず購入しなければならない指定の副教材などがあることは、大人の経済活動が最優先されていると勘ぐらざるを得ません。学習塾・予備校に通うことが当たり前になっている日本社会の現状も同様といえます。ツイッターでこんなコメントを寄せてくれた人もいます。『疑うべきは、学校長と業者の癒着でしょう。生徒数が300人強の安定した顧客がおり、毎年約8万の商品が売れるのです。有る程度のキックバックが有っても不思議はない』

 

一方で、安倍自民党政権は昨秋の衆議院解散時、突如として「消費税増税分を教育無償化に充てる」と言い出しました。同じ党の石破茂氏もラジオでそのことを知り、『党内でそんな話は聞いたことがなく、ひっくり返って驚いた』と述べているように、日本の教育をどうするかというグランドデザインは議論もされずに、その時々の社会の空気によって弥縫されていく様は明らかです。

 

日本の教育はどうあるべきなのか。まず、この大命題から目を背けずに国民的議論を行なう中で、教育に関わる負担、どこまでを公費で賄うべきなのかを考えていく必要があると本当に思います。冬の受験シーズンになるとテレビで「受験生の皆さん、頑張って下さいね」というアナウンサーの定番の台詞を聞くたびに、受験がゴールの日本教育、そのために当たり前のように塾に通う子どもたちの環境がこのままでいいのか、すべて現実を生きる大人の論理で維持・継続されている気がして、私の気持ちは深く沈みます。私は、多様な教育、自由に作れる学校、選べる教育、子ども一人ひとりに等しく教育費用を公費負担する、これが教育改革のキーワードだと今でも思っています。次回以降に、改めて論じてみたいと思います。

 

 

 

さて、アルマーニの制服を採用することがニュースになっているその裏側では、楽しいはずの食事を淋しく一人で摂らねばならない子どもや満足に勉強する環境を持てない子どもがいます。

 

「子ども食堂」、報道によって、あるいは何人かの知り合いの地方議員さんが取り組んでいることを風の噂で聞いたりすることもあり、そういう取り組みが全国各地で行なわれていることを知ってはいました。身近ではなかったのですが、昨秋、私が卒業した中学・高校の校友会から連絡をもらい、20年ほど上の先輩が「子ども食堂」の活動に取り組んでいることを知りました。その先輩はわざわざ山梨まで足を運んでくれて、子ども食堂を始めた経緯やその内容を説明して下さいました。

 

その先輩の始めた子ども食堂は、子どもの費用負担なしで、ケータリングのお弁当を提供しつつ、子どもたちに勉強を教えるということが主眼です。先輩の話を聞いてからいろいろ調べたのですが、一口に「子ども食堂」といっても、手作りの食事を提供することに重きを置いているところもあれば、少額の負担を求めるところもあったり、さまざまなようです。それぞれに意義あるものと思います。私は、先輩から直接お話を伺い、「少なくとも10年以上続けて、子どもたちが専門技術や資格を得て自立するところまで見届けていきたい」との強い思いに共感致しました。

 

詳細は、以下のホームページや新聞記事をご参照頂ければと思います。

 

また、最後に、先輩からのお願い文も掲載致しますので、このような活動にご賛同、ご共感下さる方がおられましたら、ぜひご協力、取り組みに参加して頂ければ幸いです。ご関心をお寄せ頂けます際は、私あてにご連絡下さい。「かわさき寺子屋食堂」の竹岸章をご紹介させて頂きます。

 

社会全体で未来を担う子どもたちを支える、税金で支える土台部分があり、その周辺でそこからもこぼれ落ちそうな子どもたちや子どもたちの多様な興味や関心を引き出すような活動が支え合いの精神で行なわれている、そんな日本になればいいな、と強く思います。

 

〈竹岸理事長からのお願い文〉

 

子どもの貧困にご興味をお持ちの皆様へ

お願い

 

拝啓 本格的な冬の到来となりましたが、皆様方におかれましては益々御隆昌のことと存じ上げます。

さてこの度私どもは子どもの貧困を解決する一助となるべく、NPO法人川崎寺子屋食堂を開設致しました。このNPO法人は川崎市多摩区の2教場で週2日ずつ経済的に恵まれない子ども達を支援するため、無償で食事と学習指導を提供していくものでございます。私どもは子どもの貧困がもたらす経済的な損失や、社会的な軋轢を、先手を打って防ぐための活動を目指しております(詳しくはホームページhttp:;//terakoya.or.jp/をご高覧願います)。

お陰様で全国から熱いご支援を賜っておりますが、認定NPO法人になるためにはもう一回り大きなご支援の輪を必要としております。と申しますのは寄付金の所得税控除が認められる認定NPOの条件として、2年連続で3000円以上の寄付する方が100人以上必要となっているのでございます。

誠に勝手なお願いで恐縮でございますが、明るい未来を子ども達に持たせるためにご協力を賜りたく、心よりお願い申し上げます。

敬具

特定非営利活動法人川崎寺子屋食堂  理事長 竹岸 章

 

 

※ ご賛同頂ける皆様、ご関心お寄せ頂いた皆様、ご質問等は小斉太郎までご連絡ください。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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アルマーニの制服と名門校

 

こさいたろうの視点・論点 0038

2018/02/21

 

 

アルマーニの制服と名門校

 

 

東京・中央区立泰明小学校で、イタリア・アルマーニ社監修の制服(標準服というらしい)が採用されるとの報道の波紋が広がっています。公立小学校で8万円を超えるような制服が校長の独断で採用され、保護者の負担を求める。このようなことが妥当かどうか、が問われています。

 

誤解を恐れずに言います。泰明小学校の校長は、異常だと思います。自らの経験から推測すると、校長の周辺には校長を煽る異常な人たちが取り巻いているようにも感じます。同質な人たちに囲まれ、自らの異常性に気づかなくなっているのではないでしょうか。負担な困難な人たちへの思いが全く至らない。

 

ハフポストというニュースサイトに、昨年11月に配布された保護者向け文書、「平成30年度からの標準服の変更について」の全文が掲載されました。各人が選択して入学する私立学校であれば許される範疇かもしれませんが、歴とした公立小学校校長の言葉。改めて異常性を感じます。

 

 

校長の言葉を『』で括り抜粋し、※印以下に私の批評を述べます。文書全文は、以下に全文が掲載されています。ご関心あります方はどうぞ http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/07/principalletter_a_23355613/

 

『泰明小学校を選択してくださり、本校の教育方針に得心をしてくださり、そして、本校でお子様が自負をもって学んでくれたらと、期待なさって本校を選択されたのだと思うのですが、どうも、その意識と学校側の思いのすれ違いを感じるのです』

 

※ 中央区立泰明小学校は、公立学校です。特認校という制度で「選択」した家庭もあるようですが、学区域内に住まいしていれば「選択」するわけでなく、この学校に通学するわけです。そういう学校の校長がこのようなことを言うのは、勘違いしているとしか言えません。

 

『子どものたちの様子から申し上げれば、日常の振る舞い、言葉遣い、学校社会という集団の中での生活の仕方などを見ていますと、どのような思いや願いがあって本校を選択されたのかが分からなくて、思案に暮れることがあります』

 

※ どんな学校を選択しようとも、親は子の躾にいつも悩みながら過ごしています。振る舞いも、言葉遣いも、すべて。もちろん家庭での教育が大切ですが、学校という教育機関でも教員という専門家が、粘り強く子どもに向き合っていくべきです。この言葉からは、そんな姿勢が微塵も感じられません。

 

『泰明小学校はやはり特別な存在であります。中略… 「泰明らしさ」は失われるものではないと思っております』

 

『泰明小学校という学び舎の気高さ。この伝統ある、そして気品ある空間・集団への凝集性とか、帰属意識とか、誇りとか、泰明小学校が醸し出す「美しさ」は保っていかなければと、緊張感をもって学校経営してきました』

 

『しかし、私が泰明小学校の在るべき姿としての思い描いていることとはかけ離れた様子、事実があることも否めません。なぜ、本校を選択されたのですかと問い返したいと思う出来事や対応が多いこと、これが泰明の実態だったのでしょうかと、学校を管理する者として思い悩むこともしばしばです』

 

『言動、もちろん、公共の場でのマナー、諸々含めて、児童の心に泰明小学校の一員であることの自覚が感じられないと思うことも度々です。中略… がくっと心折れる場面の多いことも事実です』

 

『教育は内面を育てる営みがほとんどです。ですから、私どもも懸命に児童の内面を鑑み、自覚をもたせ、「泰明の子らしく」を金科玉条の如くは大げさかもしれませんが、でも、泰明小学校の児童はかくあるべきだと思い指導いたしております』

 

『その力がまだ足りないのだと忸怩たる思いもありますが、なかなかその指導が行き渡らないのはなぜだろうと悩んでおります。対外的にも、「泰明小」そして「泰明の子」は注目されます。そういう衆目に答える姿であるかどうか、これまた、忸怩たる思いになることもしばしばです』

 

※ この校長の本質が表れている部分だと感じ、少し長くなりましたが引用しました。指導の到達点そのものが間違っているから、その指導が行き渡らないのだと私は思います。小学生にとって、「泰明の子ども」という自覚だとか「泰明の子らしく」とか「衆目に答える」とか、ということが大切なことではないはずです。

 

※ 自覚が感じられない言動やマナーというのが具体的にどんなものかわかりませんが、大人の期待に応えるように振舞う子どもを作るのが目標であってはならないと思います。なぜそう振舞うべきなのか、自分で考え、納得し、行動する人間に育てることこそ大切ではないでしょうか。

 

※ 思い通りにならない、思うような子どもに仕上がらないと校長は悩みを吐露していますが、私はそんな人間を教育者として認めたくありません。悲しいです。しかし、衆目に応える姿になることを求めているのは校長だけなのでしょうか。以下を読むとわかることがあります。

 

『「自分は泰明小の一員であるから、そのようなふざけた行いはしない」と自戒できる児童を我々は育てたい』

 

『もうひとつ、私が危惧しているのは、泰明小学校は銀座の街と共に歩んできたということを児童や保護者の皆様にご理解いただいているのかどうかということです。泰明小学校に通ってくると言うことは、例え特認校であっても、銀座の街の子供たちになると言うこと』

 

『街の方々は、泰明小学校の子供たちのためならと、事あるごとにご尽力してくださいます。学習活動面でもご周知のような協力を惜しみなくしてくださっています』

 

『”街との絆”を感じながら泰明小で学んでほしい。保護者の皆様には、そういう学校で我が子は学んでいるものだということを意識して欲しいと思うのです。私は、立場上、地域の方々との接点がありますが、皆さんが、学校のことをとても大切に考えてくださっていることが分かります。街に学校があると言うことは、こんなに嬉しいものなのだな、と感じるのです』

 

『しかし、このような意識も薄れつつあるのではないかと私は心配しています。中略… それほど多くはないはずの地域の催しや企画などにどれだけの方が参加してくださっているのでしょう。銀座の街あっての泰明小学校なのです』

 

※ 「銀座の街」がキーワードです。街の重鎮には卒業生も少なからずいるはず。母校愛から、学校も校長自身もそれらの人々にお世話になっているはずで、それらの人々からの声は無視できません。明確な要請はなくても、校長が忖度していることも考えられます。

 

※ 学校と街が手を携えるということは大切なことだと思います。でも、名門校であることを殊更に押し付けたり、ましてや、高級ブランドの制服を身に纏えば学校と街の一体感が醸成される、座にある学校らしさも生まれるなどという考え方が、問題を解決するとは到底思えません。

 

※ 私もかつて、東京都内の名門校と言われるエリアで活動していました。名門校と言われる学校が存在し続けることへの問題意識はあったものの、その地域と学校との関係は自然な形で一体感を醸し出していました。もちろん、高価な制服などはありませんでした。

 

※ 校長の文書はこれ以降、「ビジュアルアイデンティティー」などと称してアルマーニ制服の必要性を訴えているのですが、取って付けたような言い訳なのでここでは省略します。校長の思いの本質は、ここまでに凝縮されていると思います。

 

※ 東京の公立学校には、戦前からの流れも汲み、名門校というものが存在しています。教育委員会は認めません。どの公立校も同じと言います。しかし、越境入学の規制は緩く、教員も優秀者を配置するという特別扱いが周知です。長年の積み重ねで、それが固定化しています。

 

※ 結果、今回の泰明小学校のような事例が出てきてしまいました。子どもに向き合うことよりも名門を維持することを優先させるがごとくの学校教育、これこそが問題の本質だと私は思います。明治150年。公教育のあり方を見直す時期がやって来ていると思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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線香配るなんて、もうやめてほしい

 

こさいたろうの視点・論点 0037

2018/02/11

 

 

線香配るなんて、もうやめてほしい

 

 

週刊新潮の記事に端を発し、政治家の「線香配布問題」がクローズアップされている。記事は、茂木敏充経済再生担当相が選挙区内において秘書を通じて有権者に線香を配布していた、という内容だ。これに端を発し、野党幹部の「政治とカネ」問題も次々に浮上。

 

希望の党の玉木雄一郎代表が政党支部から慶弔費を支出していることが明らかとなり、無所属の会の岡田克也代表が個人後援会から香典を支出していることも報じられた。そういえば、立憲民主党に移籍した山尾志桜里氏も、選挙区内の有権者に供花代と香典を支出していたのも記憶に新しい。

 

さらに最近では、立憲民主党の近藤昭一副代表、元民進党の菊田真紀子衆院議員らにも同様の問題が判明している。与党側も、菅官房長官や小渕元経産相、松本文明衆議院議員、金子原二郎参院予算委員長らが、自らの政治団体で多額の線香を購入していることが明らかになっている。

 

もうこうなってくると、法令をくぐり抜ける手法に多少の違いはあれど、明るみにでていない政治家も含め、多くの政治家が香典や線香を配り回っている実態は容易に想像できるというものだ。政党支部名で配布すれば名前が類推されない、なんてそんなことあるはずがない。

 

とはいえ、私自身が政治家秘書を経て地方議員をしていた頃、政治家としてどのような基本姿勢で、原則で冠婚葬祭に関わるか、頭を離れたことがなかったことを思い出す。例えば、香典を持たずにお葬式に参列できるか。私は、常人にはできないと考えていた。

 

 

 

公職選挙法249条の2 第3項に、議員・候補者等「本人が自ら」が参列する結婚式・葬式に祝儀や香典を持参する場合、法律違反の適用除外とする旨の規定がなされている。私はこの法令を根拠に、自らの行動の指針としていた。

 

自ら参列する場合のみ香典を持参する。それでも交際の範囲が広がるにつれ、負担は徐々に重くなる。選挙区外の方への香典は何ら問題ないのだが、選挙区外の方との交友も増えていく訳で、いくら自ら参列する場合のみとはいえ、台所事情は本当に厳しくなる。

 

本当はこんなことを公表すべきではないが、お付き合いの度合いによって包む金額も変えさせてもらった。心苦しいがやむを得なかった。しかも、お香典は受付所の裏ですぐに開封され記録される。誰がいくら持ってきたか、否応なく共有される。

 

葬儀の受付はたいてい町の方が担われているので、それとなくそんな話題になることも知っている。なので、あまりに少ない金額もいれるのも気が引けた。そういうこともあり、私自身は、葬儀への参列は限定的だった。本当にお世話になった方のものに限られるようになった。

 

葬儀は結婚式と違い、参列しようと思えばいくらでも行ける。断られることは、まずない。私はやらなかったが、常に選挙区内の葬儀情報を気にかけておけ、という議員がいたことも私は知っている。本人が参列すれば、香典を持参しても法律違反ではない。前述の通りだ。

 

でもこんなふうに政治活動する場合、香典分の収入を探さねばならない。いくら金があっても足りなくなるのは当たり前。政治家とは何か、本当に考えさせられる。元々の金持ちか、本業で稼いで片手間にやるか、それとも権力を利用して口利きの対価を得るか…

 

私が初めて議員秘書をしていた時代は、町のお祭りにはお酒を配って回っていた。車に政治家の名の入った熨斗で包んだ一升瓶をどっさり積んで、秘書が「おめでとうございます」といって神酒所を回るのだ。平成3年の頃だった。

 

その後、私が初めて議員になった最初の秋祭りの頃、地域のお祭りの役員さんに「奉納金とお神酒」を奉納するよういわれた。これまでの議員さんはみんなそうしてたと。私は断った。納得してもらった。世の中は変わりかけていた。今では渡す政治家ももらう住民もほぼいないと思われる。

 

世の中は変わる。意を決することさえできれば。お祭りの奉納金もお神酒もやめられたのだから。政治家が香典を持参する、名を伏せて線香を配る、やめようと思えばできるはず。さらにいえば、受け取る側も「政治家からは受け取らない」という風土になれば、必ず変化できると思う。

 

でも、野党党首がこんな発言をしているうちは、「希望」はないかなとも思う。『香典袋にあるいは受付に議員名を書かないなどの本人類推されないような最大限の必要な対応は行いながらやってきたので』『どんなに工夫しても受け取る側が、どう取るかがすべて』

 

弔意を示す際に「自分だと分からないようにする」なんてまともに言っているのか。工夫?死者への冒涜にも聞こえてしまうのは、私だけだろうか。いずれにしても、自らの行動を省み、責任を取ることからでなければ、変革の先導者にはなれない。希望の党の玉木氏のこと。

 

自民党のふてぶてしさも変わらない。茂木大臣はのらりくらり答弁して逃げ切りを図っている。野党も含めて「みんな同じことをやってるじゃないか」と高を括っているのだと思う。

 

相討ち覚悟で、政治家は葬式に香典を持参しない、持参したら公民権停止等の厳罰、香典にとどまらず政治家が金や物を配らないことが当たり前の社会、を作ろうと呼びかけられる政治家はいないのか。覚悟を決めればすぐにでもできるはずなのに。

 

残念でならないが、有権者の多くが念ずれば、いずれは社会が変わっていくと思ってもいる。名前を悟られないように香典を出すとか、その工夫をするとか、やっぱりオカシイから。政治家は香典を持参する方がオカシイと思われる社会に、変えていかなければならないと私は思う。

 

皆さんは、どう思われますでしょうか。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

※ 今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

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自然災害と補助金

 

こさいたろうの視点・論点 0036

2018/02/06

 

自然災害と補助金

 

雪が降ると、思い出します。先日、今シーズン二度目のまとまった積雪。車がないと何処にも出かけられないので、公道までの通路は朝一番に雪かき。山里で暮らすということは「雪とも共に生きる」ということ。諦観と言うほどでもなく、意外に自然に受け入れています。

でも、それも「程度」次第で。ここ山梨では四年前、未曽有の大雪に見舞われました。ネットに上がった画像を見ると山で囲まれた山梨県は全域真っ白に埋まっていて、衝撃を受けました。甲府で史上最高の114センチ、私の働く白州では2メーター越えの積雪で、4日間農場に缶詰めでした。

缶詰の夜には、テレビでソチ五輪。山梨は大変なことになっているのにテレビは何てノンキなのかと憤り、ツイッターで情報発信を続けていたことも、今は笑って話せますが、当時は本当に恐怖を覚えていました。日没史真っ暗な中の吹雪は方向感覚を麻痺させ、田畑の真ん中で遭難しかかったこともあり。

翌朝、明るくなり、深く積もった新雪をかき分けながら現場を確認。ほとんどの鶏舎と野菜用のビニールハウスは、雪の重みのため倒壊していました。以降、農場では可能な限りの出荷を再開するための応急復旧作業をしながら、長期間にわたり後片付けの日々が続きました。

そして、その農場は復旧しました。…

 

(中略)

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困っている人たちを助け、支える。もちろん、この大義を否定するものではありません。できる限りのことはすべきだし、共に支えあう心は日本人の精神だとも思います。しかし、こんな手厚い対応が未来永劫続けられるはずはないし、まじめに頑張る人間がバカを見るようなこともあってはならないと思うのです。

また、国家による国民の管理を強めつつ、国民の歓心を集める大盤振る舞いの税金の使い方を拡大させている現在の安倍政権。税を配る部分では、できるだけいい人の顔をしたいという権力者のありようが、災害対策にも表れます。国家社会主義的色彩を強める現政権への懸念も拭えません。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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明治150年に思う 〈礼賛ではなく、省みることの必要性〉

 

こさいたろうの視点・論点 0035

2018/01/30

 

明治150年に思う 〈礼賛ではなく、省みることの必要性〉

 

政府の「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議/内閣官房「明治150年」関連施策推進室ホームページには、次のような記載があります。

 

〈 「明治150年」に向けた関連施策の推進について平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです。このため、「明治150年」に向けた関連施策を推進することとなりました。〉

 

これを受けて、多額の予算を投じ、全国各地でさまざまな取り組みがなされているようです。また、安倍首相は1月22日の施政方針演説で「明治という新しい時代が育てたあまたの人材が、技術優位の欧米諸国が迫る『国難』とも呼ぶべき危機の中で、我が国が急速に近代化を遂げる原動力となった」と明治維新を礼賛しています。

 

でも、明治維新の功績はゼロとはいわないまでも、省みなければならないことの方が多くあるのではないかと思うのです。「明治の精神に学び」「日本の強みを再認識する」ということでなく、負の側面を直視し、未来の日本のための変革に繋げていくことこそ重要だと思います。

 

太平洋戦争では、日本は破滅的な危機でした。もし、当時の軍部が主張していたように、玉砕、本土決戦まで駒が進んでいれば、今の日本は存在していなかったことと思います。この最終決戦とも称された悲惨な戦争の源流は、明治維新にあったともいえると思います。

 

遅れてきた帝国主義国家、統帥権を政府から独立させ軍事優先国家を作った長州藩閥政治。「蝦夷を開墾し、カムチャツカ・オホーツクを奪い、琉球を参勤させ、朝鮮を攻めて朝貢させ、満州の地を割き、台湾・ルソンを収め、漸次進取の勢いを示せ」と海外侵略の必要性を説いた吉田松陰の薫陶を受けた維新の志士といわれる人たちが、革命によって権力を奪取し、その後、明治以降の日本は、松蔭の薫陶が具現化されていきました。北海道開拓、樺太領有、琉球処分、台湾・朝鮮植民地化、満州事変、フィリピン占領。ぴったり符合します。

 

天皇を神格化し、その権威を利用する政治風土を醸成してきたことも、触れない訳には行きません。そもそも、明治維新自体、内戦必至だったかどうか議論の分かれるところです。薩長の下級武士たちが権力を奪取するために天皇を利用して引き起こしたものともいえます。したがって、権力奪取後の国づくりも、必然、天皇の権威を利用することとなりました。革命で権力を奪った田舎侍が、その権力を維持するために天皇を頂点とする新たなヒエラルキーを作った訳です。天皇の軍隊、天皇の官吏、政治権力を巧みに天皇と繋げて、その権威を維持しようとしました。

 

戦争に負け、表面上は主権在民の日本国憲法ができましたが、明治以降に醸成された風土は一朝一夕で変わるものではなく、現代社会にも根強く残っているのではないでしょうか。天皇から与えられる勲章、未だに役人に手厚いのもその一つの残滓かと思います。

 

明治150年、本当にこのような風土が続くことが日本にとって望ましいのか、考える機会にすべきではないでしょうか。

 

中央主権的な国家体制も、明治期に作られた体制です。今でこそ県知事は選挙で選ばれますが、中央省庁の役人が就くことが少なくありません。戦前、天皇の官吏が各県に派遣されて知事職に就いていた流れと思います。国が自治権を制約し、地方自治をコントロールしている実態が未だに残っていることを表していると言えます。本当にこのままでよいのか、明治150年を契機として、改めて考えるべきではないでしょうか。

 

明治50年の時、長州軍閥の代表格、寺内正毅が首相でした。明治100年は、同じく長州出身の佐藤栄作が首相。そして、本年、明治150年も、長州が故郷の安倍晋三首相で迎えることとなりました。薩長史観という言葉があるそうです。いわば、戊辰戦争で勝利した勝者の歴史観。その方向から見れば、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」ということになるのかもしれません。しかし、そこには、日本を破滅寸前まで追いやった負の側面があることを忘れてはいけないと思うのです。政府が大々的に「明治150年キャンペーン」を行なおうとしているのを横目に見ながら、明治維新の失敗に学んでみたいという思いをさらに強くしている今日この頃です。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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政局と原発ゼロ

こさいたろうの視点・論点 0034

2018/01/21

 

政局と原発ゼロ

 

野党がまた迷走していますね。懲りずに、くっつくとか離れるとか。もういい加減に分かってほしいと思うのですが、無理なんでしょうね。目指す方向をそっちのけにして大きな固まりを作っても、何も成し遂げられないということを。

 

立憲民主党がなぜ一定の支持率を保っているのか、よく考えてみてほしい。本音を押し殺して自民党に対抗するためだけに大きな固まりを作る、っていうことをやめたからだと僕は思います。奥歯にものの挟まった言い方をする必要がなくなって、国民に分かりやすくなった訳です。

 

枝野さんは、排除されて気付いたんだと思います。自らの主張を曖昧にしたままでは、国民の心に思いを届けられないということを。もしかすると、小池さんに学んだのかもしれません。逆に小池さんは、大きな固まりを目指す曖昧路線に舵を切ったのは皮肉ですね。

 

結局、小池さんの作った希望の党は民進党別働隊が仕切ることとなり、大きな固まり路線に逆戻りですよ。民進党と一緒になろうとか、やっぱり立憲民主党とまず交渉すべきとか。言葉が汚くて恐縮ですが、間が抜けているとしかいえません。

 

野党の政治家は、今一度自らの信ずる道を一人の政治家として歩むべきではないでしょうか。一時的に野党が細分化されてもやむを得ないと思います。そこから主張をぶつけ合いながら、新たに政党を再構築していくしかないと僕は思います。

 

今の時点で一強多弱と言われている政界です。多弱の「多」がもっと増えたって大した影響はありませんよ。真に理念を共有できる人たちで政党を作る。小政党乱立でいいじゃないですか。その方が国民には分かりやすいと思います。

 

その上で、実現すべき政策が同じならば、協力・共闘すればいい。日本の未来を左右する重要政策はいくつもありますが、その一つに原発政策があります。党内に異論を抱えながらどっちつかずというのではなく、本心から原発ゼロ実現を目指す人たちが共闘する。

 

政党が細分化されれば、はっきり言えるはずです。そして、国民にもはっきり見えるはずです。私はそう思うのだけれど所属政党が、などという言い訳を通用させていてはダメなんです。小泉純一郎さんは明快じゃないですか。一人で始めているから、明快なんですよね。

 

大きな固まりでいたいのは、国会議員がバッジをつけ続けたいからとしか思えません。次の選挙で落ちようとも必要な政策実現を図るんだ、という気概を見せられないのか。大きな固まりを作る労力を、政策を実現させる労力に振り替えられないのか。

 

自民党が政権をおりて、取って代わる政治勢力が何をやるのか全く見えないところに国民の不信があります。何も変わらないなら、あるいはとんでもない方向に変わってしまうのなら、自民党のままでしょうがないな、ということになります。

 

そんな中で、小泉さんは池に石を投げ入れてくれたのではないでしょうか。明確な原発ゼロ社会の実現を目指そうと。その波紋を大波にするかどうかは、野党の政治家にかかっていると思います。野党でも電力労連系や偏狭な右翼系は反対でしょう。

 

そういう人たちは無理に協力してくれなくていいんです。本気でやろうという政治家だけでいい。スクラムを組めば大波になるはずです。とにかくこれを実現させる。それまでは、憲法改正も消費税増税も凍結、外交の基本姿勢は継続、と。

 

これだけはやり遂げるという政治家の信念が伝わって初めて、国民の心は動くのだと思います。立憲民主党も、真価が問われます。連合に気兼ねするようなそぶりを見せれば、終わりですね。野党が次の選挙など目もくれず邁進すれば、必ず展望が開けると僕は見ています。

 

原発ゼロ社会の実現は、日本社会の未来を大きく変える、日本社会の可能性を引き出す極めて重大な政策変更。既得権勢力は大反対を展開するはず。この既得権に真っ向から勝負を挑める政治家の出現を、僕は心から待望していますが、果たしてこの先やいかに。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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原発なき日本に

こさいたろうの視点・論点 0033

2018/01/15

 

 

原発なき日本に

 

 

1月10日、僕は目を覚まされたような気がしました。小泉純一郎さんは訴えていました。「原発ゼロのハードルは高くない」。そして、「金がかかっても原発を維持したい勢力に蹂躙されているのが悔しくてたまらない」と。全く同感でした。でも、政治の現場を離れた僕は何の行動もしてきませんでした。

 

小泉さんの発表していた「原発ゼロ・自然エネルギー基本法案」。「原発は極めて危険かつ高コストで、国民に過大な負担を負わせる」との基本姿勢の下、原発の即時停止、核燃料サイクル事業からの撤退、原発輸出の中止、自然エネルギーの電力比率を2050年までに100%、などの内容。

 

すべて賛同しています。もうやらなきゃいけない、小泉さんもそう思っているのだと思います。日々の生活に追われ何の行動もしてこなかった僕ですが、何の影響力を与えられずともできることを探さねばと、この日、勝手に目を覚まされた気持ちになったわけです。

 

「原発は安全」「コストは他の電源に比べて一番安い」「CO2を出さない、永遠のクリーンエネルギー」。専門家の意見を信じていたが、あの原発事故を見て勉強し直し、全部ウソだったと気づいた。「過ちを改むるに憚ることなかれ」。小泉さんは、この思いで原発ゼロ運動を始めたと話しています。

 

首相だった小泉さんとは全く立場は違いましたが、僕も原発の危険性やコストなどに深く思いを致さず、資源のない日本では一定の原子力発電は許容せざるを得ないだろうと考えていました。しかし、福島の事故を目の当たりにし、僕の思いは一変しました。

 

よく考えてみれば、絶対事故を起こさないなんてあり得ませんよね。しかも、ひとたび事故が起きれば、自動車や飛行機の事故とは桁違いの大きな被害を及ぼし、それは世代を超えて続いていきます。現に今、住民は故郷を失い、放射能汚染の不安の中で生きていかねばならない状況が続いています。

 

事故を起こした原子炉はいまだに処理の目途も立たない。周辺への長期的影響も誰もわからない。汚染水は増え続け、海への流出も懸念され、ある程度処理したら流しちゃえという暴論もある。原子炉を動かした際に出る使用済み核燃料の処理方法も、廃棄物の最終処分も確立されていない。

 

また、事故発生直後、「東電をつぶさない」という大前提で「電気料金値上げや税金投入」を行う法律を民主・自民の水面下の取引で成立させてしまいました。役職員の報酬カットはもとより、送電網等資産の整理売却、株式減資等で賠償金支払いをさせるべきだったと思います。

 

その結果、当初10兆円といわれた処理費用は21.5兆円に膨れ上がり、さらに増える可能性が高いと思われます。ここには僕たちの税金が投入され続けるのです。しかし、今や原発事故は風化してしまい、税金投入のみならず、原発事故が及ぼす社会への影響も議論されなくなってしまっています。

 

このような日本社会に、粘り強く脱原発社会の必要性を説き続け、法案作成にまで至った小泉さん、僕は心から敬意を表したいと思います。これをきっかけとして、改めて、日本のエネルギー政策についての国民的議論を再開させねばならないと強く思うのです。

 

しかし、1月15日に報じられた共同通信の世論調査では、小泉純一郎元首相らが主張する全原発の即時停止に賛成49.0%、反対42.6%とのこと。驚いています。あの事故を目の当たりにしてなお、原発を動かすべきなのか。僕が間違えているのでしょうか。わからなくなってしまいます。

 

安倍自民党政権、経団連、電力労組、日本社会の指導層は一貫して原発の必要性を訴えています。政府は「原発を重要なベースロード電源」と明言し、「安全性の確認された原発は再稼働を進めるという政府の一貫した方針は変わらない」と強調し続けています。

 

あの事故を受けてなお、無理やり「再稼働」でしょうか。事故後、ほとんどの原発が動かない中、電力は不足していません。あの事故を起こした日本が「原発輸出」すべきでしょうか。安易な金儲けにしか見えません。しかも、純粋な民間事業でなく、政府保証付き。事故が起きれば税金投入という甘やかしぶりです。

 

僕には、既得権益の維持温存としか見えません。自分たちのためだけ。これら指導層は、家族ともども原発の隣に住んでくれと言ったら、住むだろうか。もし事故が起きれば、子や孫も含めて事故処理作業にあたってくれと言ったら、快諾するだろうか。そんなことを思ってしまいます。

 

少し脱線しますが、戦争も同じだと思います。戦争遂行の指導者層は、最前線にはいきませんよね。その子どもたちも最大限守られることと思います。過酷な場面に投入されるのは、名もない庶民。庶民の過酷さに思いを致せない指導者を持つ国民はあまりに悲惨ではないでしょうか。

 

戦争と関連させて言えば、原発は原爆に変わり得る危険性も無視できません。テロリズムによって原発が破壊されれば、まさに原発は日本国民に向けた兵器ともなり得てしまいます。北朝鮮情勢が緊迫する中、特に日本海沿岸に集中立地する原発は極めて危険ではないでしょうか。

 

僕は今こそ、政治によって方向転換を図るべきと思います。日本は民主主義の国です。国権の最高機関は国会、国会を構成する議員は国民が選びます。福島の事故を受けてなお原発が必要だという指導層を取り換えるには、国会を変えるしかありません。

 

今回の小泉さんの動きが、原発に頼らない新しい日本をつくる第一歩になってほしいと期待しています。山里に住まう僕にできることはほとんどないのですが、小泉さんが顧問を務める「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」と、発起人をされている「自然エネルギー推進会議」の会員になろうと考えています。

 

 

原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟:http://genjiren.com/

自然エネルギー推進会議:https://janfre.com/

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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大事にすべきと思うもの

こさいたろうの視点・論点 0032

2018/01/07

 

大事にすべきと思うもの

 

あけましておめでとうございます。

 

昨年6月より、この「こさいたろうの視点・論点」をお送りし始めまして半年が経過致しました。皆々様のお支えにより続けることができておりますこと、年頭に当たり、改めまして厚く感謝と御礼を申し上げます。

 

時々の社会や政治の動きを捉えて、拙い政治経験も踏まえながら、私なりの論考をお伝えして参りました。本年も、しばらくの間は同じようなスタイルで配信させて頂く所存です。何卒、引き続きましてお付き合い賜れば幸いです。

 

政治の現場を離れて4年以上が経ち、政治の最前線に身を置く立場ではなく、日々山河を眺めながら畑仕事をし、その自然の中で子どもと育ち、野菜やたまごを育む生産者の仲間に囲まれ生活する者として、過去の経験を加味しながら文章を書き続けております。

 

もともと政治家として、演説することと同じ意味で文章を書き、私の思いや考えを皆さんに伝えて参りました。したがいまして、現場から離れた立場から時事問題を論説することにまだ慣れません。ぜひ皆様に忌憚なくご批評頂く中で、質を高めて参りたく思っております。

 

田舎におりますと、朝日が昇り、夕方暮れ、また朝が来る、一見変化のない単調な毎日が繰り返されているように錯覚致します。しかし、世の中は確実に僅かずつ変化しています。今何が変わりつつあるのか、これからどのように変わるべきなのか、常に念頭に置いて発信しようと思います。

 

この半年は、私から一方通行の発信となりがちでありました。お忙しい皆様からご意見やご感想のご返信を頂くことを強くお願いはできませんが、できましたらたまに、皆様のお声も頂戴できると有り難く存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。

 

さて、当地、元日より今日までほぼ晴天、毎日抜けるような青空が広がっております。朝晩の冷え込みは厳しく、零下10度に迫るような気温で布団から出るのは億劫ですが、美しい八ヶ岳の姿を眺めながら、清々しい新年を過ごしました。

 

山梨に移って4年あまり、農業労務者としてほぼ毎日、美しい風景の下で農作業労働をしてきました。昨年4月からは住まいをこちらに移し、自ら小さな畑を耕しながら、新鮮な野菜やたまごを販売しながら生活を営んでいます。

 

このような生活の中で、私たちは何を大切にして、何を目指して進むべきなのか、いつも思いを巡らせています。確固たる答えには到底辿り着いていません。その答えを探し続けることが人生なのかもしれないとも思います。

 

ただ、ほんの少しですが、これを大事にしなければと確信することもあります。土も凍てつく厳寒の季節もやがて去り、新たな草木が芽吹き始め、緑映える季節を経て暑い夏を迎え、実りの秋を喜び、また厳しい冬に移る。我が日本はこの四季が毎年繰り返されてきました。

 

このような気候風土が、四季の移ろいが、日本の美しい景色を生み出しています。そして、そのような自然に寄り添い、敬い、畏れ、私たちの先祖は田畑を耕し、森林を手入れし、代々その景色を継承してきました。

 

それは単に見た目の景色でなく、日本人の「心」をも形成しているように感じます。日本の風景。大事にしなければ、必ず次の世代に受け継いでいかなければ、と私は強く感じるようになりました。

 

昨今、農地の有効活用と称し、畑が潰され太陽光パネルが目立つようになりました。農業の成長産業化の一環で、山林が切り開かれ、また古い畑が集約され、巨大ビニールハウスによる生産活動も増えてきています。

 

すべてダメとは言えません。ただ、全部こうなってしまっていいのかと先行きを懸念しています。大地の力を借り、太陽の力を借り、自然と共に生きながらその恵みを頂く、このような営みが全くなくなってしまえば、日本人が日本人でなくなってしまうのではないか、という懸念です。

 

年末、我が家に初のスマートスピーカーがやってきました。AIです。しゃべりかけるといろいろなことに対応してくれます。私が子どもの頃漫画で見た、未来の生活のようで少し恐ろしいです。これから急速に、社会に導入されていくとニュースで盛んに報じられています。

 

人類の発展です。これからどんな技術革新が進むか、楽しみでもあります。ただ、発展を歓迎しつつも、日本人として守っていくべきものを忘れてはならないと私は考えています。自然と共に生きること、これは世界に誇るべき日本の財産だと、強く思います。

 

こんなことを考えながら、4度目の年男となった新年を過ごしました。本年もよろしくお願い申し上げます。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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大相撲を考える

こさいたろうの視点・論点 0031

2017/12/26

 

大相撲を考える

 

横綱による下位力士に対する暴行事件。当事者はモンゴル出身の力士。暴行を受けた力士の師匠は日頃から反協会執行部的立場の大横綱。事件直後、何事もなかったかのように横綱出場で九州場所が始まった。そして、場所中の事件発覚。

 

僕がまず思うのは、暴力を振るうことはあってはならないこと。特に相撲取り、その中でも最高位の横綱。どんな理由があったとしても、このことを外しては行けないと思う。ワイドショーなどでは貴ノ岩の態度を取り上げていたが、どんな態度だったとしても情状酌量の余地はない。

 

その意味で、日馬富士が自ら責任をとる形で引退を選んだことはやむを得なかったことと思うし、それは潔かったことと思う。むしろ涙を見せながら会見に同席し、未練を感じさせた師匠の姿は、事の重大性を軽んじているようにも見えた。相撲界の将来に不安を感じる。

 

そもそも、九州場所が始まる前に、日馬富士自身が暴行を認め謝罪の意を表すべきではなかったか。同席した力士の中に、それを促す者は一人もいなかったのか。貴ノ岩が不自然に休場しているのに、当日の暴行を知っている者たちが、何事もなかったかのように土俵に上がっていた訳だ。

 

相撲協会の執行部も、少なくとも何かおかしいぞ、ということくらい分かっていたはず。表沙汰にならなければいい、くらいの思いがあったのではないかと勘ぐってしまう。自分たちの地位や立場を守ることを優先させたのではないか。人として正しかったか、胸に手を当ててほしい。

 

さらに問題を複雑にしているのが、貴乃花親方の存在。ほぼ無言を貫き、今に至っている。協会内部での問題解決でなく、警察に被害届を出し、捜査を委ねた。その結果、書類送検となり、示談がなされなければ、日馬富士には刑事罰が与えられる可能性が高そうだ。

 

僕は、心情的には、貴乃花親方の行動を理解しない訳ではない。相撲協会に問題解決を委ねれば、問題が矮小化されたり、ことによってはもみ消されることも危惧したのではないだろうか。元力士が集まる閉鎖的な組織だけに、その可能性がないとも言えない。

 

ただ、貴乃花親方の態度や立ち振る舞いは全くいただけない。無言を貫くにも、その理由の説明が一言二言あっていい。歩き方や椅子の座り方も、もう少し謙虚さがあっていい。いくら正しいことを主張しようとしても、あのような態度では多くの人は耳を傾けてくれないはず。

 

誰か助言・忠告するような人はいないのだろうか。それとも貴乃花親方が耳を傾けないのだろうか。側聞するところによれば、貴乃花親方は、相撲の原点を見つめ直しながらもっと開かれた相撲界を作りたいと思っているようだ。いいことを言っている。だからこそ、今の態度が残念。

 

僕は、小さなころから相撲が好きだった。相撲の世界に近かった父親の影響も大きい。父親と相撲観戦しながら、相撲はスポーツとは違うということを感じてきた。まず、姿格好が違う。ちょんまげを結い、まわし一本。知っているから変ではないが、現代社会と比較すると、異様とも言えなくない。

 

これは古来、相撲が神事の意味も担ってきたことに由来し、連綿と継続してきたことによる。いわば、日本の歴史と伝統を体現している。競技であるスポーツとは異なるのだと思う。だからこそ、神事としての相撲は江戸時代に娯楽的様子を加え、興行として発展してきた。

 

誤解を恐れずに披歴すれば、40年位前には、私の父親は「ごっつあん相撲」なる言葉をよく使っていた。八百長のことだ。片方がちょっと手を抜いたような相撲の取り組みを見た時に言っていたが、確かにそんな感じがあったように子ども心に覚えている。千秋楽、七勝七敗の力士同士の対戦はあまりなかったようにも記憶している。

 

ただ、父はそれに本気で憤っているというふうでもなかった。今と違って、大相撲にはそういうこともあると、多くの人が許容していたのではないか。力士の側も、程度をわきまえていたのではないか。これは想像でしかないが、そういったハンドルの遊びのような部分が大相撲にはあったような気がする。

 

それは、大相撲がオリンピック競技になるようなスポーツ種目でなく、日本独特の神事であり、そこから発展した興業が今の大相撲だからだと思う。この数十年、人々が大相撲を見る見方が少しずつ変化してきて、様々な問題を生じているように感じる。ハンドルの遊びが徐々になくなってきたと。

 

一部のテレビのコメンテーターが、もっと言えば横綱審議委員会の委員でさえも、一般社会との整合性や大相撲のスポーツ的側面を強調しがちで、大相撲の歴史や伝統に基づく特殊性や他のスポーツとは違う大相撲のありようを軽視しているようにも見える。

 

繰り返しになるが、いくら説諭であっても、暴力による解決は許されない。僕はそう思う。その上で、このような事件を受けて改めて、大相撲とは何か、今後大相撲はどのように存在していくべきなのか、真剣に考える時が来ているのではないだろうか。

 

僕は、日本の文化や伝統を守り、継承するという大相撲本来の存在意義を再認識すべきだと思う。競技スポーツとは違うということをはっきりさせるべきだと思う。その上で、人並み外れた体格の力士たちの力くらべ、興行としての大相撲を庶民が楽しめばいいのだと思う。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

※ 今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

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「農の雇用事業」という政策

こさいたろうの視点・論点 0030

2017/12/16

 

 

「農の雇用事業」という政策

 

 

これまで「青年就農給付金」「地域おこし協力隊」という政策を取り上げました。いずれもかなり多額の税金が投入され、ある程度の効果はあるのかもしれませんが、最終的な到達目標がどこに設定されているのか、いろいろ調べても定かではありません。

 

とにかく、一人でも田舎で農業に携わる人が増えればいい、というだけのようにも見えます。そのような政策に巨額の税金が投入され続けていいのでしょうか。いつまでやるのでしょうか。現場に身を置く者として感じるのは、補助金が当たり前の環境になりつつあるということです。

 

つまり、補助金なしでは農業経営が成り立たないような構造になりつつあるように感じています。今回取り上げる「農の雇用事業」という政策も、本来は雇用確保と定着促進のための研修がその主旨ですが、単に支払う賃金の一部を補助するだけになってしまってはいないでしょうか。

 

私は、私自身の体験しか分かりませんが、少なくとも私が実感したのは、「農の雇用事業」という政策は、当該農業生産法人の労働者確保とその賃金負担を抑制するという、農業生産法人への経営支援政策でしかないのではないかということです。

 

この政策では、研修生一人あたり最大で年間120万円の補助金を受給できます。助成期間は最長二年なので、農業生産法人が研修生一人を受け入れれば、240万円の補助金を受け取ることができます。研修生は、いわゆる正社員の雇用契約であることが条件です。

 

私の事例。私は月給額面15万円ボーナスなしで雇用されていました。農業は労働基準法の適用除外項目があるため、休日は週一日のみでした。なので、会社は私に年間180万円の賃金を支出していたことになります。その賃金のうち、120万円の補助を受けていたことになります。

 

そして、二年の受給期間が満了すると、会社は私に満額の賃金を支出しなければならなくなります。仮に、補助金を背負った研修生を単なる労務者として考えるならば、二年経った者は辞めてもらい、新たな研修生を労務者として働かせた方が経営的には得になります。

 

これは現場を実体験した者の肌感覚でしかありませんが、補助金をもたらす研修生期間を終えた者の多くは、その後何となく阻害され、居心地が悪くなり、多くが職場を離れていきました。そして、新たな労務者が研修生として補助金と共にやってくる。

 

さらに言えば、二年間の中身が研修と言えるものだったのか。確かに、全くの農業未経験の者が毎日現場で作業すること自体、研修と言えるかもしれません。ただ、体系的な研修体制がある訳でなく、補助金受給のための報告書も実態を正しく反映しているか疑わしいものがあります。

 

あくまで私の実体験に基づく論評につき、制度の趣旨に基づき、正しく活用している法人もあるのかもしれません。ただ、このような実情があることも考えると、制度が正しく運用されているのか、税金のムダづかいになっていないか、厳しく精査する必要があると感じます。

 

本当に新規就農者を増やすのであれば、その数値目標を明確に示し、本当にやる気のある者を直接応援し、定着を促すような政策を実施すべきです。既存の農業生産法人の経営を助けるだけの政策に多額の税金を投入してもその目的は達成されないと思います。

 

今日本では、巨額の財政赤字が膨らみ続けています。実感はなくとも数字上、経済指標が好転を見せ始めている中で、政権は増税の方向に動き始めています。ただ、増税の前にやるべきことがあるはずです。このような政策を一つずつ点検し、支出を精査すべきです。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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