追悼 井出正一さん

 

こさいたろうの視点・論点 0065

2018/09/15

 

追悼 井出正一さん

 

井出正一さんが旅立たれた。ご存知ない方もあるかもしれないので、以下、東信ジャーナルの記事を引用させて頂く。

 

(以下、東信ジャーナル訃報記事より)

新党さきがけ代表や厚生大臣を務めた元衆議院議員、井出正一(いで しょういち)氏=佐久市臼田(旧臼田町)出身=が、2日午前6時56分、佐久市の佐久医療センターで呼吸不全のため死去した。先月より体調を崩し同病院に入院していた。79歳。通夜は近親者のみで5日午後6時、佐久市臼田620の2の自宅。

葬儀告別式は17日午後1時、佐久市営武道館(佐久市中込2941)で、井出家と橘倉酒造合同葬。喪主は長男の太(ふとし)さんと、二男の平(たいら)さん。葬儀委員長は栁田清二(やなぎだ せいじ)佐久市市長。

井出氏は昭和14年6月20日、農林大臣、郵政大臣、内閣官房長官を歴任した衆院議員、井出一太郎氏の長男として誕生。現衆議院議員の井出庸生氏の叔父で、小諸市の元参院議員・衆院議員、小諸市長等の小山邦太郎氏は祖父。栁田佐久市長、小泉俊博小諸市長は井出氏の秘書を務めた。

慶応義塾大学経済学部卒、同大学院修了。昭和61年に自民党の衆院議員で初当選し、3期10年。平成5年に自民党を離党して3期目は新党さきがけで当選。同6年夏から村山内閣で13カ月、厚生大臣を務めた。党代表になり同8年の衆院選は、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制になり、小選挙区では新進党の羽田孜氏に敗れ、比例復活できずに落選、同10年の参院選でも落選した。

家業の橘倉酒造で代表取締役会長を務め、平成14年から長野県日中友好協会長を同27年まで務めた。

(引用終わり)

 

私は、大学在学中に東京都議会議員の秘書や選対事務局長を経験した後、結党直後の新党さきがけに所属する代議士の秘書となった。自ら政治家を志すこととなった原点が、新党さきがけだった。

 

井出正一さんは、この新党さきがけの結党メンバーだった。自民党から飛び出した10人の代議士たちの一人だった。私は事務方の末席も末席に座っていただけだったが、新しい日本を作ろうとする姿は眩しかった。

 

当時、冷戦体制の終焉、バブル経済の崩壊、国内外で社会秩序の激変が始まっていた。日本の政界は新たな針路を指し示すことができず、むしろリクルート事件をはじめとする政治とカネ問題で迷走していた。

 

そんな状況を打ち破らねばならないと思う同志が自民党を離党し、結集した。中選挙区制度下、父親から受け継いだ固い地盤を持つ井出さんは、自民党にいればまず当選は間違いない環境にあった。

 

自らの保身を捨て、あえて荒波に打って出たのが井出さんはじめさきがけのチャーターメンバーだった。38年にわたる自民党一党支配を終わらせ、新たな政治の幕を開いた功績は極めて大きい。

 

しかし、その後の新党さきがけは順風満帆とはいかず、小選挙区制度の導入が引き金となり起きた政党の離合集散の動きに埋没していく。多くの国会議員、地方議員が党を離れていく中、私は党に残った。

 

そして、衆院選前夜、党代表となった井出さんを、東京支部所属の私が代表室に訪ねた。東京ブロックで比例代表候補を絶対に擁立すべきと要請するために。

 

当時、東京選出の代議士が一人党に残っていたが、新しくできる民主党の推薦を得る代わりに新党さきがけが東京で比例候補を出さないということを、さきがけから民主党に移った菅直人氏と約束していた。

 

それはどうしても納得できない。井出さんへの直談判だった。代表室で湯呑に酒を注ぎ差し出してくれた井出さんは「小斉君、僕も同じ思いだ」と言ってくれた。生意気な若僧に対してこの時も、この後も分け隔てなく接してくれた。

 

結局、東京で比例候補は出せず、さきがけは2議席に。井出さんも落選された。次の参院選で再起を期したが届かなかった。そして、「さきがけは終の棲家である」とおっしゃって、静かに政界を引退された。

 

引退後も、常に私のことを気にかけて頂いた。無謀ともいえる挑戦にあたっても、いつも激励の言葉を贈って下さった。私が背水の陣と定めて戦った参院選の時に送っていただいた色紙にはこうあった。

 

さきがけの志をば掲げつつ 弓張り給へ 鹿を逐へ君

 

政治家としての原点が「さきがけ」にあるということを改めて思い出させて下さった。土地に根ざし、常に少数意見に耳を傾け、平和を志向し続ける井出さんの姿勢。まさにさきがけであり、僕が理想とする良識ある保守政治家の姿だった。

 

今も私の盟友である、井出正一門下で現佐久市長の柳田清二君のおかげで、出棺前、先生と最後のお別れをすることができた。目を覚まして「小斉君」と声をかけてくれそうな、眠っているようなお顔だった。

 

先生、ありがとうございました。私は、さきがけの志を忘れることなく、山あり谷ありの人生を歩み続けて参ります。

 

合掌

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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これからの災害 復旧にとどまるだけでいいのか

 

こさいたろうの視点・論点 0064

2018/09/09

 

これからの災害 復旧にとどまるだけでいいのか

 

9月6日、北海道で大地震が発生した。その二日前には、関西から北陸にかけて激烈な台風が上陸。改めて、わが日本は自然災害から免れぬ運命であることを痛感させられる。

 

まずは、無情にも命を落とされた方々に心より哀悼の意を表するとともに、被災された皆様にお見舞い申し上げたい。一日も早く平穏な日常を取り戻されるよう祈るばかりである。

 

 

2018年、まだ四か月残っているものの、すでに多数の自然災害が頻発する年となってしまっている。

 

北海道の地震、先の台風上陸に加え、冬の豪雪、1月の草津白根山噴火、4月の島根県西部地震、5月の霧島山・新燃岳噴火、6月の大阪府北部地震、7月の西日本豪雨など枚挙に暇ない。夏の殺人的猛暑も激烈な自然災害に数えるべきかもしれない。

 

あまりにたくさんの災害がありすぎて、新たな災害が起きると、以前の災害の記憶は急速に薄れていってしまう。旧知のテーラー経営者の方はFacebookで「店頭での義援金、今年は何回送金先を代えることになるのでしょうか」と投稿されていた。

 

昨年の干支は60年に1度巡ってくる丁酉(ひのと・とり)で、昔からこの年には自然災害が頻発するといわれてきたそうだ。それが一年遅れてやってきたとネット上では話題だ。そんないわれがあるほどに、日本は自然災害が起きやすい地域なのだと再認識しなければならない。

 

今のところ人間には制御不能である。地震も噴火も台風も、寒さや暑さも、止めたりコントロールしたりすることはできない。適当な言葉とは言えないが、これからはいかにうまく付き合い、やり過ごし、最低限命だけは守るということではないかと僕は思っている。

 

報道によると、今回の北海道大地震と西日本の台風災害を受け、補正予算案の編成方針を決めたとのこと。関係者は総額一兆円を超える規模になる可能性に言及しているという。

 

一日も早く人々が日常の生活に戻れるように取り組むこと、もちろんこれには反対しないし、迅速にやってもらいたい。ただ「復旧」という言葉が示すような「元に戻す」という対応を繰り返すことだけで本当によいのだろうか。

 

数年前、山梨でも大雪害があった。数多くの農業用ハウスが倒壊した。それらの撤去と建て替えには補助金が充てられた。償却年数がとっくに終わった古びたハウスが、雪害の後、ほとんど自己負担なく新品に置き換わったことを私は実際に目の当たりにした。

 

当時、北関東から長野県中部にかけて雪害地域に同様に適用された。充てられた税金の総額はいかほどになるのだろうか。自然災害が起きるたびに、同じような税金投入を続けることはできるのだろうか。私はかなり悲観的にならざるを得ない。

 

自然災害はいつかどこかで必ずやってくることを前提として、新たな国づくり、地域づくりをしていく必要があるのではないだろうか。住む場所も、建物の形状も、産業のあり方も、命だけは守れるように、建物や公共インフラは被害にあってもすぐに更新できるように、長い年月をかけても置き換えていくべきだと思う。

 

それには、長期的視点による計画が必要である。その昔、関東大震災後、復興院総裁となった後藤新平は「地震は何度でもやってくる」「大きな被害を出さないため公園と道路をつくる」と、国家の百年後を見据えた大構想をぶち上げる。

 

幅員100メートルの幹線道路や広大な緑地帯を、皇居を中心に環状に配する。学校と公園を一体整備し、地域の防火・避難エリアとする。環状道路や都心の一部学校、砧緑地などにその名残がある。まさに未来を見据えた大構想だった。

 

結果としては、地主やそれらを基盤とする既成政治家の大抵抗にあい、計画は大幅縮小、後藤構想とは似て非なるものとなってしまうのだが、今こそ、日本国全土にわたってそんな大構想が必要ではないだろうか。

 

しかし、その逆に政治はどんどん小粒になり下がってしまっている。目先の金をわが選挙区に引っ張ることで自らの選挙を有利に進めたい、政治の多くの動きがそんな風に見えてならない。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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東京都心の摩天楼化を見て思い出すこと

 

こさいたろうの視点・論点 0063

2018/09/03

 

東京都心の摩天楼化を見て思い出すこと

 

先日、旧知の方より連絡がありました。港区西麻布の再開発に関して調べているとのこと。当該地周辺に住んでいる人で今も付き合いがある人があれば紹介してほしいとのことでした。私も山梨に移りすでに丸5年。振り返ってみれば、港区で生活していた日々は遠い昔のこととなりつつあります。

 

そんな話があったこともあり、今の港区の開発動向はどうなっているのか気になり、ネット検索をかけてみました。相変わらず、続いていますね。新橋・虎ノ門・赤坂の港区北部と、新橋駅から品川駅付近までの東海道線沿いは「再開発促進地区」に指定され、多くの開発が進行中です。

 

都市計画決定による街づくり地区位置図(PDF:943KB):港区役所公式サイトより

https://www.city.minato.tokyo.jp/toshikeikaku/toshikeikaku/chikukeikaku/documents/h30machizukuriichizu.pdf

 

都市計画による街づくり地区の一覧は、以下の表にまとめられています。完了しているもの、進行中のものを含めて、全部で50地区あります。この中には有名な、六本木ヒルズや東京ミッドタウンももちろん入っていて、最近ニュースになっている品川・田町間にできる山手線の新駅を核とした開発も含まれています。

 

都市計画による街づくり地区の一覧(PDF:108KB):港区役所公式サイトより

https://www.city.minato.tokyo.jp/toshikeikaku/toshikeikaku/chikukeikaku/documents/h30machizukurichikuchiran.pdf

 

私が港区議会議員に初当選させて頂いたのは平成7年(1995年)。そのころは13番目くらいまでが完成していました。その後、汐留、品川駅東口、泉ガーデンなど、続々と大規模な開発が完成していきました。この20年余りで、港区の街並みは大きく変貌したのです。

 

私は、大規模な再開発に必ずしも反対する立場ではありませんでした。時代に合わせ、防災上の観点や経済の進展も見据え、開発が必要な地域はあります。森ビルや三井不動産などは総じて、開発後のソフト面のまちづくりも見据えて手掛けていたように思います。

 

 

大手デベロッパーが大規模再開発を手掛ける一方で、主に経済政策的意味合いから建築関連の規制緩和がなされ、小さな敷地に異常に背の高いビルが建てられるようにもなっていきました。総合設計制度やら天空率やらという制度で容積率が緩和された結果、周辺のまちなみに合わないビルが立ち上がりました。

 

私は当時、良好な住環境を長期にわたり維持・発展させるためには、良好なまちなみ、景観を保つための仕組みが不可欠だと主張していました。背の高いビルが計画されると、周辺住民が反対するといういわゆる「建築紛争」が頻発していました。

 

法令上建築可能となれば、事業者はなるべく高く立てて、儲けを多くしたいとなります。まあ、やむを得ないですよね。だから、いくら反対運動を起こしても実のある結果は得られません。時には、ゴネにゴネて金で解決させようとする住民が、議員がいたことも事実です。

 

いろいろ勉強しまして、これは「絶対高さ制限」というルールを設定しない限り、まちなみの維持・保全はできないな、という自分なりの結論に至り、議会で強く取り上げることにしたのです。でも、あの当時の区役所は動きがかなり鈍かったんですよね。

 

以下のような質問を何度もしたのですが、まあケンモホロロ、と言いますか。正直、真剣に取り上げてくれるような雰囲気はありませんでした。

 

絶対高さ制限を定めよ(小斉太郎一般質問要約):https://wp.me/p8PEo8-qE

建物の高さ規制を早急に(小斉太郎委員会質疑要約):https://wp.me/p8PEo8-u7

 

でも、この機会に港区役所の公式サイトを見ましたら、実現させてくれていました。なかなかしっかりした形で。すでに、港区議をやめて7年になりますが、わずかながらも政策決定に影響を与えることができたように感じ、今更ながら勝手に喜んでいます。

 

絶対高さ制限を定める高度地区の概要(PDF:563KB):港区役所公式サイトより

https://www.city.minato.tokyo.jp/toshikeikaku/documents/koudo_summary.pdf

 

政治・行政の世界では、「都市計画は国家百年の視点で」とも言われます。老朽マンション建て替えを検討する関係者などには「資産価値が下がる」と評判が悪いようですが、長期的視野に立てば絶対に必要なルールだと私は今も確信しています。

 

こんなことを思い出しました。昔話にて恐縮ですが、「少数でも、主権者の賛同を得ることにより、言論で政治を動かせる」いうことを現役の政治家各位に今特に伝えたいと思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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「出自」ではなく「実力」が評価される社会が必要

 

こさいたろうの視点・論点 0062

2018/09/02

 

「出自」ではなく「実力」が評価される社会が必要

 

少年野球をしている息子が楽しみにしているテレビアニメがある。メジャーセカンドという作品(NHK Eテレ 毎週土曜17:35-)。小学生の野球漫画だ。

 

主人公と準主役の小学生二人の父親は、元メジャーリーガーで盟友という設定。さらには、主人公の祖父もプロ野球選手だったというストーリー。物語としては面白くていいのだが、このアニメを見ながら密かに感じていることが私にはある。それは、二世や三世が当たり前に描かれていることへの漠然とした違和感だ。

 

私が子どものころに熱中した野球漫画に、二世は出てこなかった。息子が野球を始めたことで思い出して、最近文庫版を大人買いしてしまった「ドカベン」。主人公の山田太郎は、小学生時代に交通事故で両親を亡くし、畳屋の祖父との貧しい家庭に育つという設定だ。

 

実際の野球選手でも、王選手は下町の中華屋の息子だったし、野村選手は母一人貧乏な生活から這い上がってきた。調べると、長嶋選手も大学時代に父親が急逝し、母親が行商で生活を支えたとか。

 

もちろん、スポーツ選手の二世でも、成功を収めるためには人並みを越えた努力をされているはずで、敬意を表する。ただ、今の時代なので貧乏からとは言わないまでも、特別でない環境から努力で夢をつかむ方に光を当ててほしい。というか、当てるべきだと私は思う。

 

出自ではなく、思い(夢)や努力の価値を重んじるべきではないだろうか。

 

 

私は、政治が与える影響も少なからずあるように感じている。今月、自由民主党の総裁選挙がある。安倍首相と石破氏の一騎打ちになりそうだが、この二人も実は世襲議員だ。

 

安倍首相の祖父が岸信介元首相であることは有名だが、父も父方の祖父も代議士である。一方の石破氏も、父は鳥取県知事から参議院議員となった政治家だ。

 

さらに言えば、総裁選挙にあたり名前の挙がっていた野田聖子氏は祖父が代議士、河野太郎氏と岸田文雄氏は祖父も父も代議士、小泉進次郎氏に至っては曽祖父以来4代目の大世襲政治家である。自民党の総裁候補は、これ以降も軒並み世襲政治家が続く可能性が高い。

 

政治家の子が政治家に。政治家一族。農家だとか造り酒屋が代々跡を継いでいくことに違和感はないが、政治の世界も同じようでいいのだろうか。国民の各界各層から有為な人材を、出自とは関係なく見つけ出していくことが求められるのではないだろうか。

 

特に、これから急速な少子高齢化が進み、社会の構造が変わり、新しい将来設計図を描かねばならない時、現行システムの中でいわば勝ち組ともいえる政治家一族の一員に、社会システムの大胆な変更を担えるだろうか。私は疑問符を付けざるを得ない。

 

スポーツの世界であれば、いくら二世でも実力が伴わなければ残念ながら淘汰されてしまう。しかし、政治の世界では、いわゆる地盤はもちろんのこと、人脈や経験など有形無形の財産が引き継がれることで、地位が継承されていく。必ずしも実力とは言えない下駄を履く。既得権といえる。

 

20世紀には圧倒的速度による文明の進展があり、これからはその歪みが世界の至る所で表面化していくはずだ。国内外における大きな変革期を迎えるにあたり、私たち主権者には、政治を任せる人材を出自によってではなく、その実力や見識、情熱を厳しく見極めて探し出す努力が求められる。

 

そんな時代にあるからこそ、子どもの野球漫画であっても、主人公の役柄設定を必要以上に気にしてしまう。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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自民党総裁選を注視する

 

こさいたろうの視点・論点 0061

2018/08/22

 

自民党総裁選を注視する

 

ANN世論調査(8/18-19)、自民党の次期総裁には誰がよいかの回答。石破茂42%、安倍首相34%、野田聖子氏10%。ただ、自民党支持層に限定すると、安倍首相58%、石破氏31%、野田氏5%。

 

一方で、自民党国会議員の動向は、報道によると、主要派閥は軒並み安倍首相の支持を決めており、約70%の票を固めた形だという。

 

これらの数字に、昨今の日本政治の問題点が表れている。国会は民意を反映していないことがよくわかる。国民が安倍首相に不安や懸念・疑義を持っていても、自民党の国会議員はさほど感じていない。あるいは、別の要因で安倍首相を支持せざるを得ないのだろう。

 

そもそも選挙からして民意を反映しない制度となっていることが根本原因だ。常に指摘している通り、40%の得票で70%の議席を得ているのが国政の実態。選挙が終わると、多くの国民の声はかき消されていく。

 

さらに言えば、政党に所属し、選挙の際に公認を得ることが当選へのほぼ絶対の条件となっており、国会議員やその候補者は国民ではなく公認権を握る所属政党の幹部に顔が向くようになる。人事権も握られている。

 

ゆえに、国民の40%が次期自民党総裁には石破氏がよいのではないかと思っていても、自民党国会議員の70%は安倍首相続投を支持するという「ねじれ」が生じる。一時、「衆参のねじれ」が国政の停滞を招くといわれたことがあったが、いまや国民と国会がねじれてしまうに至ってしまった。

 

衆参のねじれは、両院がそれぞれの見識に従いお互いの決定をチェックするというメリットが少なからずある。しかし、国民と国会のねじれは、民主主義国家として大きな問題をはらむ。主権者である国民の意志とは別な方向に、権力者が政治を進めてしまう危険性がある。

 

言うまでもなく、9月の自民党総裁選挙の当選者は、次の内閣総理大臣となる。自民党の議席が過半数を大きく上回っているからそう断言できるのだが、だからと言って、自民党という乗組員グループの中だけで船長を決めて、あとの者は船長に従え、というのはいかがなものか。

 

 

 

一部の報道によると、政策テーマごとの討論を石破氏が希望しているのに対して、安倍首相サイドは消極的な姿勢だという。そのようなことがあってよいものか。

 

繰り返しになるが、今回の自民党総裁選挙は、実質的に次期総理大臣を決める選挙となる。つまり、国民全体の将来に大きく関わる選挙だ。自民党員にのみ投票の権利があるとはいえ、国民には選挙の行方を知る権利があるはずだ。

 

たとえ一票を持たないにしても、立候補者の人となりを知り、目指すべき国家像やそれを実現させる具体的政策を聞き、批判したり、あるいは支持したりする思いを表明することができてしかるべきである。

 

特に、この間の国政運営においては、モリカケ問題にとどまらず、自衛隊の日報隠し、働き方改革法案の杜撰なデータ捏造など、権力者サイドを忖度したかのような行政機関の不祥事が頻発してきた。これらをどう総括し、どのような政治責任を取り、改革していくのか、国民として見過ごすわけにはいかない。

 

また、安倍首相再選ならば憲法改正を政治日程に乗せるということのようだが、この点に関しても、9条2項を残しつつ自衛隊の存在を明記するという案、国民的議論が熟していると言えるのか。日本の将来にかかわる重大問題だけに、候補者の明確な姿勢を国民に伝えるべきだ。

 

いずれにしても、国民の意志を置き去りにした政治にならぬよう、あきらめずに注視し続けることが重要だと考えている。さらには、民意を反映する政治システムへの改変にも思いを致す時期に来ていると思う。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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誤審・潔く認めるということ

 

こさいたろうの視点・論点 0060

2018/08/10

 

誤審・潔く認めるということ

 

先日、久方ぶりに夏の甲子園大会をテレビ観戦しました。旭川大高校と佐久長聖高校の一戦。手に汗握る好ゲームでした。

 

私の両親の出身地である北海道の代表校がどうしても気になります。今でこそ実力差はなくなってきていますが、昔はかなり弱くて、応援していても負けることばかりでした。しかし、最近はなかなかの好ゲームをすることが多く、彼らのプレーが楽しみです。

 

結果は、5対4のサヨナラゲーム。導入後初の延長13回からのタイブレーク勝負となり、佐久長聖高校がチャンスをものにしました。もちろん、佐久長聖のナインも全力プレー、両校の健闘を称える気持ちはありますが、実は8回表にある事件(僕はそう思っています)が起きていました。

 

旭川大が3-2とリードして迎えた8回表、佐久長聖の攻撃。二死走者なしから2番打者が左翼への浅い飛球を打ち上げました。左翼手は懸命に前進、ダイビングキャッチ。華麗なるファインプレーでした。僕も「よし!」と思わずテレビの前で叫びましたが…。テレビの画面には一塁に打者走者が立っている映像が映し出されていまではないですか。判定は捕球を認めず安打になったというアナウンサーの説明が聞こえてきました。

 

その後、数回スロービデオが流されましたが、どうみてもダイレクトキャッチの超ファインプレーにしか見えません。一緒に見ていた息子も「捕ってるよ~」と。でも、微妙な判定のプレーはNHKはVTRを繰り返さないのは昔から。ネットで確認してみると、捕球シーンの動画が無数に上がっていました。僕だけの勘違いではないことを確信しました。

 

試合後の、旭川大高校監督の談話。「審判がヒットと言えばヒットです」。当該の左翼手は、「自分の中ではつかんだと思ったんですが…」と述べた後、「その後ミスしたことには変わりない。自分のミスで負けてしまって申し訳ない」と話していました。潔さに感服しました。

 

でも、彼らの潔さはそれとして、ダイレクト捕球シーンがテレビで捉えられている中で、判定を下した審判や高野連は何の対応もしないのでしょうか。

 

 

 

2018年8月6日 21時27分 東スポWebの記事より。『試合後、高野連の竹中事務局長は「審判には完全捕球に見えなかったということ。(苦情や抗議の)電話は数件かかってきたとは聞いている。リプレー検証は今後も全く考えてないです」と話した。』

 

僕は、ダメだと思います。高校生の野球だからと、抗議してはいけない決まりだからと、今回のような判定を不問に付していいはずがないと思うのです。

 

確かに審判も人間です。ミスもあると思います。そして、審判の判定を最終的には受け入れねばならないのだとも思います。そうしなければ、勝負が成り立ちませんから。でも、映像を確認し、ミスがあったのならばそれを謝し、さらなる審判技術の向上につなげるべきです。いかにアマチュアの高校野球であっても、選手たちは勝利を目指して日夜厳しい練習を重ねてきているわけです。一つのプレーで流れが大きく変わるのと同じように、一つの判定ミスで流れが大きく変わってしまうこともあります。今回はまさにそれでした。責任は重大だと思います。

 

高校生に対してだからこそ、大人はミスがあれば潔く認めねばなりません。誤りがあっても、権威や権力をかさに着て誤りを認めない、世間の声にも耳を貸さず、自らに誤りなしと開き直る。これは、教育的観点からも間違えていると思います。私たちは、そんな社会を志向しているでしょうか。そんなはずはありません。

 

試合に出たいなら相手選手にけがを負わせろといったアメフトの監督、判定を捻じ曲げろといったボクシングの会長。ことが明るみに出た後も、そんなことは言っていないという開き直った嘘のコメント。問題の根幹は通底しているように感じます。

 

高校野球、夏の甲子園大会は今回で100回目とのこと。公共放送がほぼ全試合を生中継する。一部の私立高校は名前を売り優秀な生徒を集めるために選手を全国から集める。高校生の全力プレーが感動を呼びますが、その感動をいわば利用するかのような大人の利権が絡みすぎてきてしまっているのではないでしょうか。こんな高校スポーツは他にありません。

 

私の住む山梨県でもベストフォーに残る高校で地元選手のレギュラーメンバーは一握りしか見当たりません。こんなことを言うのもなんですが、佐久長聖高校の多くのメンバーは関西出身でした。

 

そんな問題に加え、今や「命にかかわる危険な暑さ」と形容詞がつく昨今の日本の夏。この時期の日中、炎天下で高校生にプレーさせてもよいのか、という議論も高まっています。

 

今回の「誤審」も一つのきっかけとして、高校野球のあり方を再考すべき時が来ていると感じます。さらには、スポーツ競技にかかわる組織・団体の閉鎖性、独善性にもメスを入れるべき時期にあるのだと強く思います。そして、それは日本社会体のありよう、目指すべき針路にも深くかかわる議論であるべきとも思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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地方議員のなり手不足

 

こさいたろうの視点・論点 0059

2018/08/03

 

地方議員のなり手不足

 

先日、村議会議員のなり手が足りず議会の存続が危ぶまれている、人口約400人の高知県大川村を小泉進次郎氏が視察したことで、「地方議員のなり手不足」について再び大きく取り上げられていました。

 

地方議員“なり手不足”400人の村で何が(18/07/31:日テレNEWS24)

http://www.news24.jp/articles/2018/07/31/04400237.html

 

昨年、この大川村が、このような状況の中で村議会をやめて、議会の代わりに「町村総会」を設けることを模索すると発表したことで、地方議員のなり手不足がにわかにクローズアップされてきました。町村総会とは住民全員が集まり物事を決めるというもので、地方自治法94条にその規定があります。

 

総務省が難色を示したことも影響したともいわれる中で、大川村では実現を断念したようですが、課題解決に至ったわけではなく、全国で同様の問題の深刻さを増しているのが実情です。私の住む山梨県の北杜市でも、一昨年の市議会議員選挙には定数22人のところ立候補者数は23人で、かろうじて選挙が実施されたような状態でした。

 

地方議員のなり手不足の原因として、報酬が低すぎてそれだけで生活が成り立たないからだとか、地方議員年金を廃止したから先行きに不安があるからだとか言われています。でも、報酬を上げれば、議員年金を復活させれば、問題は解決するのか。答えはNOだと僕は思います。

 

地方議会の役割は何か、その役割を十分果たすためにどのような議会が必要なのか、現状は役割を果たせる議会として機能しているのか、といった本質を議論しない限り解決策は見いだせないとうのです。

 

 

 

僕はかつて地方議員でした。東京特別区の議員だったため報酬は高く、議員報酬のみで生活をする専業議員でした。25歳からやらせてもらい、ほぼこの道しか知らずに年をとったため、議員を辞めてからは生きるためのスキルに乏しく苦労していますが、それは自らの責任と受け止めています。

 

むしろ、4期やらせてもらう中で子どもも生まれ、「生活するために当選し続ける必要があるのかもしれない」という気持ちが、自らの脳裡にめぐるようになってきたことが大きな悩みとなっていたことを思い出します。そうなってくると、当選するために追及の手が緩んだり、過度な住民要望に応えざるを得なくなっていく懸念があったからです。

 

役所の税金の使い道を厳しくチェックする、一部に偏った不公正な行政を正す、行政やそれを取り巻く特権的なありようを正す、といった僕自身の初心、議員が果たすべき役割を十分果たせなくなってはならない、そう考えました。そして、地方議員を辞め、国政の場でそれまでの経験を活かしたいと決意したのですが、結果は落選となりました。

 

そんな経験をもとに「地方議員のなり手不足」を考える時、報酬が少なくて生活が成り立たない、的な理由づけには納得できないところがあります。議員は職業ではなく、一時的に報酬が生活に充てられたとしても、生活するために当選し続けようと考えるような人に任せるべきではありません。

 

大川村の問題提起も受ける形で今年の3月、総務省の研究会が、小規模の市町村を対象にした新たな議会のあり方を提案する報告書をまとめました。本来は地域ごとに住民が話し合って答えを探すべきで国から押し付けるような形はよくないと思いますが、その報告には解決へのヒントがあるようにも思えます。以下サイトに詳しく解説されています。

 

「なり手不足 地方議会はどうなる?」(くらし☆解説)

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/700/294803.html  (NHK公式サイト:18/04/11)

 

要約すると、① 報酬は低く、議員の数を多くする ② 報酬は上げて、議員の数は絞る という二案。僕は、行政を厳しくチェックするのが議会の最も大きな役割と考えており、その意味で①は絶対機能しないと思います。常に仕事として行政を担う役所の情報量や準備能力にかなわず、議会が追認機関、ガス抜き機関になってしまうおそれが大です。

 

僕は、議員の報酬をもう少し上げて、議員の数を絞り、行政の仕事ぶりをしっかり監視できる能力を持った人を議会に送り込むことが住民の全体利益にかなうものと思います。一部集落や組合、職域の利益を代表する人の集まり、という古い議会のありようを、これを機に替えていく必要があると思います。

 

あわせて、議員と元の職との兼業を可能とするために、議会は夜間、休日開催とし、総務省の報告書にもあるように、幅広い民意を反映させるために議員以外の住民にも議会に参画してもらう仕組みを作ればよいと思います。経験上、鋭い問題意識を持った住民はかなりおられるはずです。また、議員を辞したら職業復帰できる社会風土を作ることも重要です。

 

来年4月には統一地方選挙が行われます。地方自治法ができてから70年余りが経ちました。地方議会のあり方をゼロベースで見直し、真に住民のために機能する議会に作り直していかなければならない時期に来ていると思います。私が新たな山里に移ってきても、市議会が何をやっているのかはほとんど見えてこないことが問題の根深さを物語っていると思います。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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唐突な「夏休み延長」

 

こさいたろうの視点・論点 0058

2018/07/26

 

唐突な「夏休み延長」

 

今年の日本列島の夏、大変な状況になっています。猛烈な雨と大災害、その後にやってきた猛烈な暑さ。地球の長い歴史を見れば気象に当たり前はなく、大きな変化の時を迎えているのかもしれません。

 

私たちの生活様式を見直し、地球温暖化を抑えていく努力はしていかねばならないと思いますが、温暖化だけに昨今の気象の変化の要因を求めていいのかとも思います。変化し続ける地球環境にどのように適応していくかも合わせて考えなければならないと思います。いずれにしても、私たちは自然に生かされている存在だということを忘れてはならないと私は常々考えています。

 

 

さて、この猛暑、酷暑を受け、菅官房長官が記者会見で次のようなことを明らかにしました。

 

菅義偉官房長官は24日午前の記者会見で、全国各地で記録的な猛暑が続いていることを受け、「小中学校に関する暑さ対策の一つとして夏休み期間の延長を検討すべきだ。総授業数を確保しながら、どのような工夫が可能なのか、文部科学省で検討する」と明らかにした。菅長官は「児童生徒の安全、健康を守るための猛暑対策は緊急の課題だ。学校へのクーラー設置を支援していく必要は当然ある」と指摘。財源に関しては「来年のこの時期に間に合うように責任を持って対応したい」と語った。(2018/07/24-12:32:時事通信)

 

クーラーの件はまた改めて論じたいと思うが、気になるのは夏休みを長くすべきだと官房長官が公式に述べている点。これまで現政権からそのような意向が示されたことはなかったのではないでしょうか。

 

むしろこれまでは、ゆとり教育からの転換と称して学習指導要領を改定するなどし、学校での教育時間を増やし、結果的に子どもたちの休みを削る方向にあったはずです。現に、公立学校の長期休暇は短縮される傾向だったと感じています。

 

想定を超える猛烈な暑さに全国が見舞われる中、子どもたちの健康を第一に考えていますよ、というアピールなのかもしれませんが、あまりに唐突で、国民の歓心を得たいようにしか見えません。これまでやっていることと全く整合性が取れないと感じるのは私だけでしょうか。

 

ものすごく暑くなってきたから、夏休みを長くします。全国一律でやります。安倍政権は皆さんのために、子どもたちのために頑張ってます。増やした授業時間の確保は何とか帳尻合わせるようにします。といった場当たり的な対応で本当にいいのでしょうか。私には、この官房長官会見の内容は、安倍政権、ひいては最近の劣化した政治を象徴しているように見えます。

 

子どもたちのために、夏休み(長期休暇)はどうあるべきなのか、「本質的」に考えることから始めなければならないと思うのです。

 

まずは、地方分権型社会を目指しているのであれば、学校が、地域が、保護者や地域社会と話し合い、決めていけばいいのだと思います。学校や地域によって環境に違いがあるはずで、みんな違っていいと私は思います。

 

その上で、子どもの長期休暇は、親への負担がとても大きいものです。一昔前、私が子どものころは、お父さんが働きに行ってお母さんが家事を担う、いわゆる標準世帯が一般的でした。夏休み制度はそんな環境の上に成り立っていたのではないでしょうか。

 

今は、共働き当たり前。むしろ、女性の社会参加が促され、それが標準になりつつあります。また、ひとり親家庭も増加。実際、私自身も、夏休みが終わる8月いっぱい、三度の食事をどうこなしていくか、喫緊の課題になっているのです。

 

さらに言えば、経済的な格差も影響してくると思います。比較的豊かな家庭では、学習塾に通わせる、体験型イベントに参加させるなど、夏休みだからこそできる教育方法も選択できると思います。しかし、そうでなければ、子どもは家にいるか、学童に毎日行かされるといった感じになってしまうのではないでしょうか。学童に毎日行くなら、学校に行くのと一緒です。

 

夏休みを長くするとか短くするとか言う前に、どうすれば子どもにとって意義深い長期休暇を与えられるのか、社会全体で考えるべき時に来ているのだと思うのです。

 

もちろん、一義的には親の責務があるとは思います。私自身も、時間をやりくりし、ない頭を絞り、自分の息子が少しでも楽しく、意味のある夏休みになるようにしてやろうとは思っています。

 

さはさりながら、日本の、そして世界の未来を担う子どもたちが個性を輝かせ羽ばたいていくためには、社会全体でその成長を支える環境も必要だと感じます。

 

猛暑に対応して夏休みを長くするなどと言い出す政府、その軽薄さだけを感じてしまうのです。皆さんはどのようにお考えになりますでしょうか。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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自己都合の選挙制度変更

 

こさいたろうの視点・論点 0057

2018/07/18

 

 

自己都合の選挙制度変更

 

 

今日、参議院埼玉県選挙区の定数を2議席、比例区の定数を4議席増やし、比例区の中で政党が「特別枠」を自由に設置できる公職選挙法改正案が成立しました。来夏の参議院議員選挙から新制度が適用されることになります。

 

 

 

変更の背景は、第一に一票の格差の是正。議員一人当たりの有権者数が最も多い埼玉県選挙区の定数を増やすことで格差を縮める。これは理解できます。ただ、増やす分を比例代表の議席から減らすのが筋。

 

しかし、減らすどころか4議席増やすと。これが自民党の主眼。先の変更で、鳥取・島根、徳島・高知は2県で一人の議席しか配分されなくなりました。選出されなくなってしまう県の参院議員を救済、確保するための変更。

 

これを自民党の「自己都合」と言わずしてなんと言えばいいでしょうか。選挙制度は民主主義社会の土台ともいえます。できる限り民意を鏡のように反映させるべきです。

 

現時点で多数を形成している政党が、自らの都合がよいように選挙制度を変えてしまうこと、こんなことがまかり通っていい訳がありません。多くの人が気づかぬうちに権力が固定化されていく危険性を多分に孕んでいます。

 

自民党はどんどん変質しているように私には見えます。4割台の得票率で7割の議席を得てしまう衆院の小選挙区制度、一人区の割合が多くなってしまった参院の選挙制度、これらが影響しているように思います。

 

民意が正確に反映されない国会において、制度によって圧倒的な議席数を得た自民党は、白紙委任状を得たがごとく振舞い始めているように見えるのです。この度の選挙制度変更は、それをわかりやすく示しています。

 

確かに野党もだらしがない。何をやりたいのかわからない。どんな国を目指すのかもほとんど伝わらず、それなら安倍自民党にやってもらうしかない、という多くの国民の思いもわからなくはありません。

 

ただ、そう言っているうちに自民党は変質し、日本社会も変質し始めてしまっているのではないでしょうか。権力者の自己都合が優先されるようになり、権力が固定化し、権力者の変更がままならなくなることが最も危うい。

 

日本国憲法下、政治的権力は主権者たる国民から与えられるもの。国民から与えられた権力を今回のように使うならば、国民はこれからも権力を与え続けてよいかどうか真剣に考えるべきです。

 

たとえ野党がだらしなくても、現在の権力者に大きな問題があれば、それに退場を促すことの方が重要だと私は思います。だらしない野党を育てる責務も国民にはあると思います。

 

「奢れるものは久しからず、盛者必衰の理をあらわす」、平家物語の一節。今の時代、その引導を渡す力を持つのは、ひとえに国民において他はありません。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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児童虐待事件から自らを省みる

 

こさいたろうの視点・論点 0056

2018/07/06

 

 

児童虐待事件から自らを省みる

 

 

本稿は、夕日に染まりながら汗を流している子どもたちを見ながら、少年野球の練習グラウンドで書いています。

 

最近、耳を疑ってしまうような虐待の末に命を落とした少女のニュースが頭から離れません。なぜこんなことが起きてしまうのか。しつけだったと強弁する父親、見て見ぬふりを続けた母親を決して許すことはできません。今、目の前で大好きな野球に一生懸命に取り組む息子やチームメイトたちを見ていると、まるで別世界の出来事のように感じてしまいます。

 

ただ、このニュースをきっかけに、改めて「児童虐待」をキーワードにネット検索をかけてみると、こんな検索結果が目にとまりました。

 

 

 

『イライラして怒鳴るなど、大人が子どもを自分の感情のはけ口に利用する行為は虐待です』(週刊女性PRIME 16/11/06 山梨県立大学人間福祉学部 西澤哲教授 談)

 

正直に申し述べます。身に覚えがあります。朝起きない、時間に間に合うように準備しない、何度言っても直そうという姿勢が見えない、そんな息子との生活の中で我慢できずに怒鳴ってしまう時があります。人に迷惑をかけない、人から信頼される、そんな大人に育ってほしいという思いで時間や約束を守れない息子を厳しく叱ってしまいます。

 

しかし、私自身が我慢できずに怒鳴ってしまう背景は、実は別のところにある。怒鳴ってしまった後に気付くのです。

 

私自身の仕事が思うように進まないこと、そのために経済的不安が常に付きまとっていること、40代も後半になり人間関係にも悩むことがあり、体力の低下も実感するようになってきたこと、さらには昨年から父子二人の生活となり、仕事に加えて子どもの送迎、慣れない炊事、洗濯、掃除などに時間に追われる毎日が続いていること。

 

こんな日常が私自身を焦らせ、思うように動いてくれない息子に強い言葉を投げつけてしまう、これは先の定義に当てはめれば「虐待」にあたる可能性が高いです。それを「しつけ」だと言い張ってしまうことは、先日命を落とした少女の父親と同じになってしまいます。私の場合は、このままではいけないと気付いています。自分の心をコントロールしなければなりません。

 

世の中はこぞって、亡くなった少女の両親に非難を浴びせます。私も同じ気持ちですし、非難を受けて当然のこととも思います。ただ、あんなにひどいことをしてはいない(と自分では確信している)ものの、自らのイライラが子どもへの言動に重なっていないか、常に自省することの必要を改めて感じています。「私はあの親とは全く違う立派な親である」と胸を張って言うことは、残念ながらできません。

 

そもそも、大した能力もない人間ゆえ思うように進まなくて当たり前、ある程度は諦めることを前提に生活をすればいいのですが、「できれば思うように進んでほしい」とつい考えてしまいます。息子の振る舞いについても「思うように動いてほしい」と願ってしまう自分がいます。

 

でも、その結果思うようにならない時、それをありのままに受け止められる人間にならねばなりませんね。親の言動が子どもを傷つけてしまうということに思いを致して。息子には、できの悪い親であることを詫びるばかりです。

 

児童虐待。程度に大きな違いはありますが、どんな親も常に我がふりを省みるべきなのだと、痛切に感じている毎日です。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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内閣支持率の回復?

 

こさいたろうの視点・論点 0055

2018/06/28

 

 

内閣支持率の回復?

 

 

先日、本稿読者の方からメールをもらいました。

 

『つい最新の世論調査、安倍内閣支持率が下がる…と、思いきゃ5%上昇との報道です…?何故?なのか、サッパリわかりませんですねぇ… カケの理事長の記者会見の内容がかなり、矛盾しているのに…』

 

6/22-24日経52%(前月比10ポイント増)、6/23-24毎日36%(同5P増)、6/16-17共同44.9%(同6P増)、など。支持する理由、日経新聞の記事によると「国際感覚がある」「安定感がある」が上位。同時に、自由民主党への支持率は、各社ともに30%後半を依然維持したままです。

 

読者の方に、お返事を出しました。以下のように。思うがままに一気に書いたので、読み返すと説明が足りなかったり、表現が適切でないところもありますが、そのまま載せます(カッコ内は本稿執筆時加筆)。

 

内閣支持率の回復、わからないようで、わかる気もします。国民の多くに危機感がないんだと思いますね。だから、ちょっとした政治状況で動くんですよね。(米朝首脳会談を受けた拉致問題進展への期待感など)

 

(でも)公文書が勝手に改ざんされる社会になってしまったら、それが表にも出ない社会になってしまったら、政治家を忖度して役人が簡単に便宜を図る社会になってしまったら、自衛隊がいつでも海外に出られる日本になってしまったら、国の借金を日銀が引き受け続けたら、景気刺激の名目で借金重ねて公共事業を乱発し続けたら、収入より支出が大きく上回る財政状況が30年近く続いているのに見て見ぬふりを続けてしまったら…

 

国民の多くは、気付いていないか、気付いていても知らないふりを決め込むか、マジで考えるとやばいので考えないようにしているか、そんな感じなのだと思います。

 

今はそれほど緊迫・困窮している状況ではないんですね。何となく自由はあるし、本格的に飯が食えないとか娘を売るとか、そんな状況でもないし。ただ、そんな事態は知らぬ間に、あっという間にやってくることもあります。戦前の歴史がそれを証明していると思います。こんなはずじゃなかった、と。

 

僕は、安倍晋三という政治家には、もしかすると歴史の軌道を変えてしまう、そんなにおいを感じています。今のところ明確に説明できないので説得力はないのですが。

 

 

以上なのですが、このお返事を書いた数日後に国会で党首討論がありました。野党党首の質問の甘さや批判もあるようです。そういう部分もあるでしょう。でも、最高の権力者たる内閣総理大臣が野党党首の質問に丁寧にかつ簡潔に答え、自らの政見を明らかにすることがまず第一に求められるはずです。これは、国民に対してということでもあります。

 

でも、少なくとも私にはそのような姿勢を感じることはできませんでした。これは、他の論戦や質疑でもいつも同じです。都合が悪いと思しき件に関しては、真正面から答えない、はぐらかす、どうでもいいことを延々と話し続ける、いつもそんな感じです。質問者の懸念を理解し、説明を尽くしてわかってもらおうという姿は全くありません。

 

むしろ、国会論戦では、質問と答弁あわせて制限時間が決まっているので、時間さえやり過ごせば、という考えなのではないでしょうか。森友問題も加計問題も、憲法改正も財政健全化も、経済運営も、野党の疑問に、つまり国民の疑問や懸念を真正面から受け止め、自らの言葉で訴え、説明し、理解と共感を求めていく、そういう熱い思いのようなものが全く伝わってこないのです。

 

自民党の一部議員から、夜の時間にテレビも入れて党首討論をやったらどうか、という意見が出ているようです。いい案だと思います。立憲民主党の枝野代表は、時間制限は片道だけに適用すべきではないか、と言っているようです。これも妙案。一対一の党首討論なのだから、それぞれ持ち時間を与えればいいと思います。そして、私がもう一つ付け加えるとすれば、もっとじっくり討論できるように、持ち時間1時間一本勝負、毎週各野党党首とやればいいと思います。5分とか10分とかでまともな討論ができるわけがありません。

 

いずれにしても、今の政治・行政権力のありようから目を背けず、日本や世界の未来を見据えて、本当に安倍さんで、本当に自民党でいいのか、野党もダメだからという理由で続けさせていいのか、そろそろ本気で考えないとマズいことになってしまうのではないかと、一人山里で、勝手に頭を抱えている今日この頃です。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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監視機能という役割

 

 

こさいたろうの視点・論点 0054

2018/06/21

 

 

監視機能という役割

 

 

最近「来年は統一地方選挙だなぁ」と思うことがたびたびあった。幾人かの方から「小斉さんの話を聞きたい」と連絡があったからだ。ある方はわざわざ山梨までお越しになられた。自分のわかる範囲で質問に答えるような感じなのだが、話をしながらいろいろなことを思い出し、思いが巡る。

 

私が初めて港区議選に立候補して初当選したのが1995年。1999年、2003年と当選させてもらい、三期目の途中、2004年に港区長選挙に立候補するも落選。3年浪人の後、2007年の港区議選に再出馬し当選。4年の任期満了で退任。2012年衆院選、2013年参院選、いずれも敗退、政治の世界を離れた。

 

18年間、前職の秘書時代を含めれば約20年政治の世界に身を置き、7回の選挙を経験したということになる。結局、区議選以外は全敗だった。最後の国政挑戦は、多くの方に生活まで支えてもらっての挑戦で、何度もお願いできるものではなく、最後の挑戦と決意して臨んだ結果だった。

 

 

私の一貫した政治テーマは「行政改革」。税金の使い道を厳しくチェックすること、権力に近しい者が、あるいは権力を持つ者がそれを利用して得をするようなことがないよう厳しく監視すること、ここに問題があれば民主政治の屋台骨は知らぬ間に揺らいでいくと強く思っていた。

 

昨今のモリカケ問題もこれにかかわる大問題だ。仮に、政治家の具体的関与がなかったとしても(それはあり得ないと経験的に思うが)、国民に疑念を与えるような状況が生じていることのみをもって、政治家には重大な責任がある。安倍首相に責任を取らせ入れない今の国会とは何なのか。

 

選挙に出ようとする人は、実現を目指す政策を示す。もちろん大切なことだと思う。ただ私は、議員となって政策実現を目指す大前提として、役所の仕事を厳しくチェックする姿勢があるかが問われると思う。どの方向で問うていくかは主義・主張による。ただ、その姿勢がなければ代議員になるべきでない。

 

日本の政治は、良し悪しは別として、役人が政策立案をし、それを執行していく。国政であれば政府・与党の意向を受け、地方であれば公選首長の大方針の下に政策は作られるが、多くの場合は役人がその知見に基づき原案を作る。したがって、日本の議会の役割はそれを監視することだと私は思う。

 

「役人は悪」なんて言うつもりはない。むしろ、日本の役人は能力が高いと思う。ただ、もちろん万能ではなく、時には主権者が誰かを忘れてしまうこともあるし、何らかの圧力に屈して一部の利益に資する行動をしてしまうこともあるかもしれない。そんな時、問題を指摘し、誤りを正す役割を果たす人がいなければどうなるか。

 

今の政治には、この「監視機能」が極めて弱くなっているように見える。だから、公文書の改竄がいとも簡単に行われてしまう。自民党内でも石破茂氏や小泉進次郎氏が苦言を呈するコメントを発している報道を見るが、甘い。野党も、役人に罵声を浴びせて満足しているだけに見える。

 

選挙に立候補する人々の政策を見極めることも大事だが、行政という権力を常にチェックする、それを主権者と共有する姿勢を持った人物を一人でも多く議会に送り込むことが必要だ。正直、私たち有権者にそれができていないからこそ、私たちの求める政治にならないのだと思う。

 

役人と仲良くし、役人に丸め込まれ、役所のやることは追認。そうして、言葉は悪いが大したことのない選挙公約をいくつか役所にやってもらい、公約を実現したと大げさに有権者にPRする。そんな議員が本当に必要だろうか。政治と行政の緊張関係、それを前提とした厳しい議論から必要な政策が編み出されるはずだ。

 

経験から言えば、少人数でも厳しいチェック機能を果たせる議員が議会にいれば、良質の政治的緊張感は極めて高まる。来年は統一地方選挙。地方選挙では、自民党とか何とか民主党とか所属政党は実はあまり関係ない。地方議会の民主党系議員は、実は役所ベッタリ、チェック機能を果たせない人物も多い。

 

私たちが議会に送り込む議員の質によって、政治の質が決まるといっても言い過ぎではないと思う。誤解を恐れずに言えば、今の政治がダメだと愚痴ることは、天に唾していることと同じだ。普通に暮らしていると候補者を見極めることは極めて難しい。この数年、政治を離れ痛感する。それでも、可能な限り見極めねばと強く思う。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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パソコン起動不能になって思ったこと

 

こさいたろうの視点・論点 0053

2018/06/11

 

パソコン起動不能になって思ったこと

 

6月3日、再起動をかけたパソコンに異変。不具合があり、修復もできず、windowsが起動できないという画面に。いろいろな修復メニューが画面に並んでいるので、初期化以外のすべてを試みるも、全く改善せず。これは困ったことになったと、改めて愕然。

この視点・論点も、データはすべてパソコンにあり、メール送信やfax送信もパソコンから。また、メインの仕事である野菜やたまごの販売も、お客様のデータ、生産者さんとのやり取り、伝票の発行からお金の管理など、ほとんどの業務を不具合の生じたパソコンで行っている。

あろうことか、パソコンに保存されているはずの復元ポイントは直前に行ったシステムチェックの折に消失してしまい、残っているのはお正月に念のため外付けハードディスクにとっておいたバックアップファイルのみ。でも、まずはデータが大切なので、データを取り出す方法をネット検索で懸命に調査。

ubuntuというLINAX OSで起動できればデータを取り出せることがわかり、祈る気持ちで試してみた。結果は成功。すぐに外付けハードディスクにコピーし、まずは第一段階、一安心。ノートパソコンを使い、火曜日の出荷作業は何とか遺漏なく行うことができた。

残すははOSの復旧。結論としてはバックアップソフトが機能してお正月時点の状態に復帰させることができたのだが、復元方法がよく理解できずに四苦八苦した。そこに、取り出したデータをコピーして、ほぼいつもの状態に戻すことができた。日常業務に田んぼの作業などと並行して行い、結局、金曜日の午後までかかった。

昨年末、パソコンに何かあっては大変だとなぜか思い立ち、お正月に最低限のバックアップをしておいて本当によかった。自分の生活はパソコンなくしては成り立たないのだと、改めて考えさせられた。自分が幼少のころには、パソコンというものは影も形もなかったわけで、時代の急速な変化を考えさせられた。

自己責任と言われればそれまでなのだが、なぜ今回このような事態になってしまったのか、振り返ってみた。おそらく原因は、windows10の自動アップデート。常に最新の状態になるように自動更新設定していた。起動不能になる直前、かなり時間のかかる更新が行われたのだ。

今回の「起動不能事件」で、いろいろとネット検索をかけてみた。すると、大きな更新の際には起きやすい問題なのだそうだ。だから、自動設定せずに、少し時間をおいてから更新すべきだと。大きな会社などでは、一年ほどおいて、更新機能に不具合が生じにくいように修正されてから更新するそうだ。

先述したとおり、今や僕のような零細個人事業主であっても、業務にパソコンは必須。欠かせないインフラだ。今回のようなことがあると多大な時間的損失を被る。場合によっては、これまで積み重ねてきたさまざまな情報が一瞬にして消え失せる恐れすらあった。

自己責任、それは理解しているつもりだ。だからこそ、自分でバックアップもとってきた。しかし、僕が予想している通りに「自動更新」が起動不能の原因であった場合、果たして自己責任と切って捨てるだけで本当にいいのだろうか。

パソコンが今や社会の基礎的インフラとすれば、システム更新の危険性をもっと十分にユーザーに知らせるべきであるし、データのバックアップや復元ももっと安易に行えるように改善すべきだ。今回は過去の経験から時間がかかりすぎると思い利用しなかったが、サポートの充実も必要ではないか。

携帯電話やスマホも同様だが、私たちの生活に欠かせないものとなっていく反面、その不具合に関しては使用者の責任が大きくなり、作り手・売り手側の責任が回避される傾向が大きくなっているような気がしてならない。つまり、少しずつ「やさしくない社会」になりつつあるような気がしている。

私たちが望む社会とはどのような社会か、不断に考えていく必要がある。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

※ 今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

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すべて人力の除草作業で思ったこと

 

こさいたろうの視点・論点 0052

2018/06/10

 

 

すべて人力の除草作業で思ったこと

 

 

この10日ほど、田んぼとコンピュータにつきっきりでした。本稿にも全く手が付けられる状況でなくなってしまい、一週抜けてしまいました。誠に申し訳ございませんでした。何卒お許し賜りますようお願い致します。世の情報にすっかり疎くなってしまった10日間。まずは、田んぼの作業から感じたことを書きたいと思います。

 

5月24日に田植えをしたのですが、細かい問題が重なり、その後の除草作業に機械を使うのが困難となってしまいました。そのため、自らの手で株まわりの泥をかき回すという作業を全面で行いました。一反に満たない小さな田んぼゆえできたことですが、つい数十年前までは当たり前のように行われていたこと。

 

今は、除草剤をまけば雑草は抑えられます。日本のほとんどの米づくりでは、この方法です。その米をほとんどの日本人が食べているわけで、特段体に悪いことはないのだと思います。でも、せっかく自分で作るので、できれば無農薬のお米を食したいという思いをのせて作っています。

 

作業は極めて単純。植えたお米の苗に沿って一歩ずつ前進。植えた苗のまわりの泥をかき回す。これで泥にある雑草の種や芽を攪拌して退治する。同時に、田植え機で植え漏れのあったところや苗の本数の少ないところなどに補植していく。これを黙々と続けるわけです。

 

作業をしながら、子どもが赤ん坊のころを思い出していました。植えたての苗はまだ十分土に根付いていない。したがって、雑に扱うわけにはいかず、土に根付くように願いながら丁寧にまわりの泥をかき回します。12年前、生まれたての息子を風呂に入れるとき、落とさないように、つぶしてしまわないように、細心の注意を払っていた時のことをなぜか思い出していました。

 

少しずつ大きくなっていき、やがて青々とした稲に成長し、穂をつけ、収穫に至ります。この成長の過程を見届けていくことは、なんとも楽しいし、嬉しいものです。思い通りにいかないこともあり、トラブルが生じ絶望的にさせられてしまうことも時にはありますが、何とか元気に育ってほしいと思わせてくれるのが子育てと似ているのだと気づかされました。

 

もちろん、機械に助けてもらう農業においても、同じような感覚を生じるものと思います。ただ、期せずしてすべて人力の除草・補植作業をする中で、より強く思わせてもらう機会となりました。

 

多くの人たちが安価でおいしいお米を食べられるように、また、農民が農業でしっかり生計を立てられるようにするために、技術の革新、機械化、省力化、化学的手法の採用などは否定すべきではないと思っています。食べる人たちが選択できればいい。

 

ただ、今回の作業で思ったのは、手作業の、人力の農作業の中には、私たち日本人が大切にすべきものを再確認させてくれる何かがある、ということです。生き物を尊び、それを育んでくれる大地や水に感謝し、理屈抜きで無事の成長を祈る。弱いものを守るが、守るための厳しい淘汰も避けられないこともある。

 

機械や農薬を使う農業においても感じることは同じだとは思いますが、素足で田んぼに浸かり、泥に触れ、一つ一つの稲苗と向き合うことでその思いは強くなる、そのように特に今回は感じました。

 

先述したとおり、現実問題として明治時代以前の人力による農業に戻ることはできませんし、することもないと思います。でも、人が自らの力で米を育て、収穫し、食べて生きてきたという歴史の中に、私たちがこれから生きていくために必要な教訓といいますか、忘れてはいけないことが多分に含まれていると思うのです。

 

実は、来年から、生産者の仲間に声をかけて、みんなで田んぼができないか思案中です。そんな中、ある生産者さんが何気なくこんなことを言ってくれました。「まったく機械を使わない、すべて人力の米づくりをごく一部でもいいからやってみてはどうか」と。

 

にわかに忙しくなり、来年からできるかどうかはわかりませんが、いずれは必ず田んぼをもう少し広くやりたいと思っています。その時にはぜひ、人力のお米づくりもメニューに加えたいと思います。日本全体でも、人の力が主体の米づくりをごく一部でもいいから残して、子どもたちに伝えていくことが必要ではないでしょうか。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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決着のつかない理由

 

 

こさいたろうの視点・論点 0051

2018/05/29

 

決着のつかない理由

 

日本大学アメリカンフットボール部の反則タックル問題。発生したのは5月6日。すでに三週間以上経っているが、問題は決着するどころか、混迷を極め、泥沼に陥っている。昨日の報道では、ついに選手が声明を発表するようで、そこには「コーチ陣一新」を求める内容を盛り込むとのこと。

 

監督が辞めるだけでは納得せず、指導者を全て入れ替えろという選手の思い。悪質タックル事件をきっかけに、これまで我慢していたものが噴き出てきたといえる。そもそも選手と指導者との間に信頼関係が醸成されていなかったものと推察せざるを得ない。近く発表される選手の声明を注視したい。

 

反則タックルをした選手は「監督・コーチの指示があった」と言い、監督・コーチは「指示はしていない」と真っ向から否定。言った言わないについて、どちらが正しいのか真相は簡単にはわかるまい。しかし、フィールドでルールを無視した危険な反則タックルが行われたのは事実。

 

さらには、わかっていたのか見逃したのかは決着していないものの、指導者が当該選手にその後もプレーを続けさせたことも事実。試合後の、悪質タックルを容認するかのような監督の音声データも残っている。この状況では、仮に明確な指示がないとしても、指導者は自らを省み、責任を取るのが当然ではないのか。

 

それでも、事件発生から長期間指導者たちは雲隠れし、ことが大きくなってしまったから仕方なく辞めるというふうにしか見えない。こんな指導者を選手が信頼するはずがない。今までは好きなアメフトを続けるために我慢してきたのだろう。宮川選手の勇気ある会見が心を動かしたのだと思う。

 

ただ、報道等から推察するに「コーチ一新」では本質が変わらないと感じる。内田監督は、監督は辞めるといったものの、日大の常務理事職は辞めないと。日大の職員人事や体育会運営の実権を握るのがこの常務理事職のようで、責任を取るふりをしながら、自らの権力は巧妙に維持・温存しようとしているとしか見えない。

 

指導者として事の本質を理解し、向き合い、本当に反省するなら、責任を取るなら、日大の理事からも去るべきだ。現場は離れるが役員には残る、では責任を取ったことにならない。選手たちの求める「コーチ一新」の人事に関与し、権限を行使できる立場に留まるということになる。本質は変わらない。

 

明確に指示していなくても、現場は指示とみなして動いた。仮に、指導者自身がそこまでやれとは意図していなかったにしても、現に事は起きてしまった。これは紛れもなく指導者の責任ではないか。最終責任を負うのが指導者の役割ではないか。それができない指導者の存在そのものが、決着がつかない理由だ。

 

 

おそらく多くの人が感じているのだと思うが、同じような構図が日大とは別の世界で広がっている。国政における、いわゆる「モリカケ」問題だ。公文書改ざん、次官のセクハラ辞任など、ありえない不祥事が後を絶たない財務省。そのトップが最終責任を負わない。取り方をはき違え、その座にとどまり続ける。

 

財務省が自分で辞めないなら、任命権者である首相が厳格に判断し、人事権を行使すべきはずだが、そのそぶりはない。逆に守っている。それは、自らも最終責任を取らねばならない瀬戸際にいるからだ。「私も妻も関与していない」「関与していたなら総理も国会議員も辞める」と自らを瀬戸際に位置付けた。

 

百歩譲って、仮に明確な関与はなかったとしても、これまで明らかになった事実を総合すれば、首相を慮った、つまり忖度があったことは否定できない。そこに端を発しているならば、政治指導者は自省しなければならない。責任を取らねばならない。それが、国民から与えられた国会議員の、大臣の役割だ。

 

その姿勢がかけらもないことで、すでに一年以上の時間を空費してしまっている。このことにも責任を感じてもらわねばならないが、終わらせない野党が悪いと言わんばかりの態度。仮に明確な指示・関与がなくても、国民に疑念を抱かせ、払拭できず、払拭する努力も不足している時点で、政治責任を取るべきなのに。

 

決着がつかない理由。それはズバリ安倍首相。自らを省み、最終責任を負う姿勢が全くない。それはつまり「自分は何も悪くない」と本気で思っているからなのだと思う。社会的重みは別として、内田監督と同様。指導者が責任を取って初めて、真相が究明され、本質の改革につながる。

 

日本の社会的指導層の劣化。これは、広く言えば、国民全体にもその責がある。政治、教育、スポーツ界にとどまらず、日本の各界において、その任に相応しい指導者をどのように選び出すか、日本の喫緊の課題だ。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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首都高速道路網は、今のまま必要なのか

こさいたろうの視点・論点 0050

2018/05/24

 

首都高速道路網は、今のまま必要なのか

 

先日、「日本橋の高架撤去 江戸橋-神田橋間を地下化に」という新聞記事を目にした。日本橋を覆うように架かっている首都高速を地下に潜らせるプロジェクトをいよいよ前に進めるようだ。日本の道路の起点ともいえる日本橋と、その周辺の水辺の景観を取り戻すことに反対はない。

 

日本橋の高架撤去 江戸橋-神田橋間を地下化に(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20180523/k00/00m/020/049000c#

日本橋上の首都高 神田橋-江戸橋JCT間地下化(東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018052302000124.html

 

ただ、日本橋だけでいいのか。この議論が本格化した2001年当時、僕は東京にいたが、日本橋周辺の一部分だけ切り取って首都高速を地下化することには疑問を抱いていた。首都高速道路そのものの役割や必要性を再検証し、東京全体の都市像を見直すべきだと思っていた。

 

当時所属していた港区議会でもこの問題を取り上げたこともあるが、僕自身が政治の現場を離れ、東京も離れたため、自らの主張は脳裡の奥にしまい込まれていた。今回報道に接して、そのころの記憶がよみがえってきた。山梨の山里に住まうようになり、ますます必要性が気になっている。

 

たまに来るまで東京に行くが、首都高速道路、特に都心環状線の渋滞は目に見えて減っている。周辺の環状道路が整備されたこと、若者の車離れなどにより、交通量が減ってきているのだと思う。これからさらに人口減少社会に拍車がかかり、この傾向は続くであろう。

 

そんな中、巨額を投じて日本橋界隈だけの景観を取り戻せばそれでいいのだろうか。老朽化した首都高速というインフラを維持するだけでも莫大な金がかかる。それでも維持し続ける必要性があるのか、真剣に考えるべきではないだろうか。

 

景観を取り戻すというのであれば、それは日本橋に限らない。東京五輪前夜、車社会の到来と相俟って爆発的に増加する自動車交通をさばくために建設された首都高速。既存のお堀や運河などの公共用地を重層に使うことで用地を確保してきた。出来上がった高架道路に景観の概念はなかった。

 

皇居内堀、墨田川や神田川、明治神宮外苑など、高速道路によって景観は台無しになったといってよい。さらに言えば、一般道路の拡幅や新設を行い、その上に高速道路を架けたことで、いきなり大きな川が通るがごとく、それまでの「まち」が分断されてしまったところもたくさんある。

 

僕は、日本橋の景観が取り戻せてよかった、に終わらせてはいけないのだと思っている。首都高速、特に山手線の内側、都心部分の首都高速が本当に必要か、本気で考える好機にすべきだ。時代が大きく変化していることから目を背けるべきではない。

 

田舎に住んでいると、一つの橋が、一つのトンネルが非常に大切だ。無駄と思えるものも多いのでそれに精査は必要だが、なくては困る必要最小限の橋やトンネルも、老朽化が進む。日本橋の高架拘束を地下に通すことに何千億円もかけるなら、もっとやるべきことがあるだろうとも思う。

 

この文章を作るにあたって、日本橋の老舗和菓子店の6代目の方のインタビュー記事(日経電子版)を目にした。「日本橋に首都高いらない」というタイトル。大いに賛同する内容なので、ご紹介したい。以下、リンクアドレス http://bit.ly/2J2neUD

 

また、その昔、僕が書いたものもコンピューターの奥底に眠っていたので、こちらも改めて掲載したい。10年以上に書いたものだが、考えは今も全く変わっていない。むしろ、今こそ本格的に議論してもらいたいものだとつくづく思う。でも、日本橋界隈の地下化に矮小化され進んでいってしまうであろうことが残念でならない。

 

小斉太郎

 

 

 

〈 以下、昔に書いた文章となります 〉

 

首都高速道路をはずして空のみえるまちに

https://wp.me/p8PEo8-1a

(小斉太郎:2007/03/01公開原稿)

 

首都高速道路(以下首都高速)は昭和30年代、急速に増大する自動車交通に対処するため、計画・建設された。

 

その際、昭和39年の東京五輪開催に間に合わせるために、既存の公共空間のストックを食い潰すこととなった。具体的には、河川や公園、皇居内堀など、都市に豊かさや潤い、品格を与えていた空間が、高架式高速道路で覆われることとなってしまったのである。加えて、既存の空間を使えない地域では強引な道路拡幅が行われ、その上部を高速道路としたため、既存のまちがそれによって分断されてしまった。

 

一方、首都高速は当初「都市内交通」の円滑化を目指した連続立体交差道路として建設された。しかし、東京中心市街地外周の環状道路が未整備だったことにより、「都市間高速道路」(東名道や東北道等)が首都高速に接続された。これにより、「都市内交通」の一環だった首都高速は新たに、「都市間高速道路」の一部としての役割を付与されることになり、膨大な通過車両がとめどなく流入する現在の姿となってしまった。

 

これらの経緯を踏まえた上で、今後の首都高速のあり方について、以下に私見を述べたい。

 

前述のように今や、「都市間高速道路」へのアクセスが首都高速の主たる任務となってしまっている。一日46万台の車両が首都高速都心環状線を通るが、そのうち60%が都心に目的地のない通過車両とされる。このことから考えれば、中央環状線、外郭環状線、圏央道という周辺部の三環状道路が完成すれば、現在の首都高速の役割の大部分が新環状道路に移行することとなる。つまり、現在のかたちの首都高速道路網を維持する必要性は極めて低くなるはずだ。

 

一方で、完成から40年以上経過した首都高速は経年的劣化等により、早晩再構築(大規模改修・更新)が必要となるのは明らかだ。一説には、都心部の首都高速の再構築には約5兆円の事業費が必要とされている。このような巨額投資をしてまで首都高速道路網を維持する必要は本当にあるのだろうか。三環状道路ができれば、都市計画に基づいた一般道路の拡幅、新設等を行うことで、都市内交通の円滑化を図ることは十分に可能なのではないだろうか。

 

また、冒頭述べたように、首都高速は公共ストックを食い潰し敷設され、それによって分断され、空のみえなくなったまちがたくさんある。首都高速をはずしても深刻な交通問題が発生しないとするならば今こそ、真に豊かな生活環境を実現するまちづくりへ舵を切るべきではないのか。

 

港区というエリアで考えても、古川上空に架かる首都高速がなければ、古川の親水化や河岸の緑化の機運は急速に高まり、東京を代表する散歩道となることだろう。六本木交差点上空の首都高速がなければ、空のみえる明るいまちに変貌し、環境悪化が進む六本木のまちの再生に資するだろう。溜池から谷町に架かる重層構造の高速道路がなくなれば、一般道路の再整備や緑化が促進され、東京を代表するブールバール・アベニューとなるだろう。そしてなにより、機械的に分断されてしまったまちを一体化する新たなまちづくりの契機にもなるはずだ。

 

もちろん港区だけでなく、首都高速がなくなることにより各地で同様の効果が期待できる。新たな公共空間の創出によって、豊かで潤いある生活環境を生み出すことは間違いない。

 

今、日本橋上空の高速道路を地下化する議論が活発だ。でも、日本橋だけが特別であっていいのだろうか。日本橋上空の高架式高速道路が景観的に劣悪で、河川という公共ストックの利用を阻害し、環境を悪化させている、というのであれば、それは都心部の首都高速道路沿線のほとんどにあてはまる議論なのである。私は、日本橋のプロジェクトが進行し局所的に巨額な投資が行われる前に、東京・首都圏の高速道路網について、全体の視点から改めて考えねばならないと思う。そして私は、首都高速の高架をはずし、その上で東京のまちづくりを考えるべきだと強く思うのである。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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「農地 雑感」

 

こさいたろうの視点・論点 0049

2018/05/09

「農地 雑感」

 

あの厳寒の冬はいつだったのか。私の住む山梨県最北西部の山里にもようやく、暖かい春がやってきました。寒さに耐え忍んでいた草木は、ここぞとばかりに一斉に芽吹き、鳥たちは心地よさそうに唄い始めています。まわりの田んぼの耕耘も進み、水も入り始め、標高の少し低い村では田植えも始まっています。

田んぼの風景は美しいものです。大都会の片隅で生まれ育ち、子どものころに田んぼをほとんど見たことのない私のような者でも、なぜか懐かしさを感じます。心を揺さぶられます。何代にもわたる日本人のDNAが作用しているのかもしれません。

 

 

ただ、田んぼの風景は自然にできているものではありません。人が作り上げている風景です。今でこそ圃場整備という公共事業、土木工事で整備されるのが常ですが、その昔は人力で田んぼが作り上げられていました。つまり、人がいなければ、誰かが受け継いでこなければ、今この時の田んぼの風景はありません。

都会の宅地や商業地では、頻繁に所有者が変わり、その時々の必要に応じて土地の利用方法が変化していくことが当たり前です。そしてそれは、それほど難しいことではありません。でも、農地はそう簡単にはいかないものだと、山里に移り考えさせられています。

就農人口の減少、高齢化や耕作放棄地も年々増え続ける中で、農村部の地方自治体では新規就農者がもてはやされます。それは、多額の税金投入に表れています。僕の周辺は、地域に根付こうとする真面目な仲間ばかりですが、果たしてすべてがそうなのか。実態はよくわかりません。

そして、私の知る限り、ほとんどの新規就農者は農地を借りて耕作していると思われます。つまり、農地を所有している人はごくわずかのように感じます。そのような形態で、昔からの農家のように、子孫の代にまでわたって地域に根差し、農地を守っていけるのでしょうか。そういう思いに至ってもらえるでしょうか。

一方で、私は、昔から続くいわば「地つき」の農家さんも知っています。これも私の知る限りですが、その多くの後継者さんは「勤め」に出ながら田畑をやっています。「やりたくないなぁ」という思いもありながら、受け継いでいくことは当たり前、というふうに思っている人もいるわけです。

田畑、特に田んぼは、私たちの故郷、日本という国の原風景だと思います。つまり、日本の伝統や文化、ひいては日本人そのものを体現しているといってもよいと思います。その意味で私は、私たち日本人が守り、受け継いでいくべき最も重要なもののひとつであると思っています。

先の戦争に敗北し、占領軍により農地解放という政策を進められ、地主・小作の仕組みは崩壊し、無数の地主が生まれることとなりました。その後、時代の急激な変化もあり、地主が先祖代々の土地を守り、耕作を受け継いでいくという生き方は当たり前ではなくなりました。

その結果、就農人口は急激に減り続け、耕作放棄地は急激に増え続けることとなり、今もその流れに歯止めはかかりません。一方で、農地は流動化しません。所有者が簡単に手放すことはしないからです。それとは別に、相続などを経て所有者が細分化されて所有実態がわからなくなってしまっている土地もあるようです。

ただ、農地の所有権が簡単にクルクル変わるようなことになってしまったら、農を基盤とした地域社会を維持することができるのか、何よりも良好な農業用地として維持することができるのか、私は維持することはかなり難しいと思わざるを得ません。

日本のこれからの農業、農を基盤とした地域社会、そして作物を生産するための農地はどのようにあるべきなのか、何を守って、何を革新すべきなのか。山里でまる4年働き、昨年からは暮らすようにもなった私ですが、全く答えを見つけることができません。能力の限界かとも思っています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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「希望を抱くには未だ至れない(南北首脳会談)」

 

こさいたろうの視点・論点 0048

2018/04/30

 

「希望を抱くには未だ至れない(南北首脳会談)」

 

僕が若い頃、理由と時期は思い出せないのだが、「北朝鮮とはいったいどういう国なのだろう」と思うようになった。書店で北朝鮮の内情を伝えるような本を見つけると、購入してよく読んでいた。金日成を崇拝し、その絶対権力を幼少時から礼賛する教育をして、反抗すれば収容所に送られるか、死刑、といった内容に戦慄を覚えた。

25歳で港区議会議員になった時、ある先輩区議と無所属議員控室で同室になった。旧社会党の闘士、社会主義に見切りをつけ無所属で区議に復帰していた人だ。雑談の中、僕が北朝鮮に興味・関心があると伝えると、一冊の本をくれた。「北朝鮮幻滅紀行 凍土の共和国」という本だった。

書店では見かけたことのない本だった。在日朝鮮人二世であり、元朝鮮総連幹部が肉親を訪ねて北朝鮮を訪問した際の日記風のルポルタージュ。飢餓と強制労働に苦しむ北朝鮮の民衆の実情を赤裸々に伝える内容に、驚愕し、怒りさえ覚えた。

地上の楽園と信じ北朝鮮に渡った在日朝鮮人の人々やその子孫は、今どうなっているのだろうか。いろいろな本を読む限りは、その子孫に至るまで幸せな生活をしているとは到底思えない。民衆のすべてが常に監視され、言動を密告され、移動の自由もなく、体制を批判すれば処罰されるという社会は今も続いているのだろうか。

北朝鮮には、何のかかわりもない日本人を闇夜に乗じて拉致していった過去がある。日本人に限らず、同胞の韓国人も含め、14か国から拉致を行っているとの報告もあり、国連の調査委員会は北朝鮮による拉致被害者はなんと、20万人を超えるとされている。

もちろん、北朝鮮に核を放棄させること、ミサイルによる威嚇をやめさせること、朝鮮半島に平和を取り戻すこと、これらは極めて重要な国際的課題である。隣国である日本にとっても、攻撃されれば甚大な被害を受けることは確実であり、最大級の関心事であることは言うまでもない。

 

 

しかし、北朝鮮に核やミサイルを放棄させるために、世界の各地から何の罪もない人々を連れ去ってきた過去を無視できるのか。国内で多くの国民が虐げられている疑いがある現状をそのままにしてよいのか。北朝鮮から発信されるニュース映像を見て、違和感を感じない人はいないはずだ。

無数の脱北者が後を絶たないことも、見過ごせない。韓国政府によると、韓国に入国した脱北者は累計3万人を超えているとしているが、中国や東南アジアなどに潜伏している潜在的脱北者は数十万人ともいわれている。相当の覚悟がなければ、死をかけて、家族を残して国を捨てるなど到底できるものではない。

また、かつては大韓航空機爆破やラングーン事件というテロ行為を重ねてきたことも忘れてはならない。最近では、韓国海軍哨戒艦「天安」爆破・沈没事件や延坪島砲撃事件を引き起こし、韓国人が殺されている。すべて北朝鮮自国の都合で人々の命が奪われている。

融和ムードがこれらをすべて不問に付すことに繋がっては決してならない。北朝鮮の態度の変化に乗じて、閉ざされた扉をこじ開けることに異論はない。しかし、「北朝鮮の体制保障」が、過去の非道な行為を消しゴムで消すようなことになってはならない。特に、人権を蹂躙してきた過去の行為を。

核やミサイルの放棄のみに前のめりになり、北朝鮮という国ができて以来70年近く続いてきたと言っても過言ではない、到底容認できない悪行や自国民への抑圧をなし崩し的に容認するようなことがあってはならないと心から思う。未だ、金正恩の笑顔と言動に無条件に希望を抱いてはいけない。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

※ 今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。
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「民意による政策変更」

こさいたろうの視点・論点 0047

2018/04/25

 

「民意による政策変更」

 

ネットのニュースで「初当選の近江八幡市長、公約通り新庁舎工事契約を解除」という見出しが出てきた。滋賀県の近江八幡市で市長選挙が行われていたことは知らなかったが、見出しが気になってネット検索をかけてみた。

 

 

 

どうやら、近江八幡市役所の新庁舎建設は2月から始まっていたようで、すでに着工しているものを途中でストップさせるというのが、当選した新市長の看板公約だったようだ。

 

ネットの情報だけでは正直よくわからないところも多いのだが、三期12年務めた現職市長がほぼダブルスコアで完敗〈21,047票vs 11,647票〉しているところを見ると、相当ひどい市政が続いていたという背景もありそうだ。その象徴的プロジェクトが「90億円の新市庁舎建設」だったのだろう。

 

それにしても、工事契約解除に踏み切った新市長には拍手を送りたい。市民が選挙を通じて意志を表明する、当選者がその意志を即座に実行に移す。民主主義社会のあたりまえのルールともいえるが、現実にはそう簡単なものではない。二元代表の一翼、議会の承認を受けている工事であり、着工している案件でもあったわけだ。

 

新市長は、事業者に工事契約解除を通知した理由を、『民意による政策変更』と述べたそうだ。僕は「あっぱれ」と言いたい。選挙を通じて主権者がその意志を示し、選ばれた政治家がその意志に基づいて政策実現を図る。今回の近江市長選挙に関するニュースは、何だか僕を清々しい気持ちにさせてくれた。

 

翻って、今の国政はどうだろう。暗澹たる気持ちしか湧いてこないのは、僕だけだろうか。僕たちは未来を見据えて、現在の政権や政治と役所のありようについて、本気で意志表示すべきではないか。国政を担う政治家は、それを汲み取り具現化させる責務を有しているはずではないか。

 

役人任せの政治、かつ役人に責任を押し付ける政治からの脱却が、信頼できる政治の大前提となる。その昔、政治の現場に身を置く中で訴え続けたことであるが、今の政治を見て、はっきり言えば安倍政権の進める政治のなれの果てを見て、時代が逆行していることを強く感じる。

 

『民意による政策変更』は、必ずできる。

 

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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地方議員年金復活は不要

こさいたろうの視点・論点 0046

2018/04/19

 

地方議員年金復活は不要

 

ちょうど私が港区議会議員を辞める頃、地方議員年金はほぼ破綻し、その後廃止されました。全国の地方議員が加入する年金制度でしたが、財源が枯渇したのです。つまり、「財布にお金がなくなってしまった」ということが廃止の大きな理由でした。

 

地方議員の年金制度は公的年金とは別だての特別な制度で、地方議員は自らの報酬から一定額を掛け金として納め(天引きされ)、議員は退任する際、退職一時金として保険金を受け取るか、三期以上務めた議員については65歳以降に年金として受け取ることも選択できるという仕組みでした。

 

平均寿命が伸び、年金を受け取る元議員が増える一方で、平成の大合併により地方議員の定数は急速に激減、それに伴って年金財源が枯渇していったと記憶しています。その間、現役議員の掛け金負担を急激に重くし、公費負担分も大幅に増やしたものの、事態は改善されませんでした。

 

私自身の経験を思い返すと。34歳の時、区長選挙に立候補するため、三期目の途中で区議を辞しました。その際に、退職一時金を受け取りました。かけた保険料総額の7割くらいの金額でした。区長選落選後、再度区議に復帰し一期務めた後も、同じように退職一時金を受け取りました。

 

ただ、受け取った退職一時金の多くは、前年の収入に応じて納付することとなる多額の地方税や国保料に消えていくことになりました。いずれにしても、掛け金の7割程度しか戻りませんので、年金制度がなければその分を自分で運用した方が有利だったと思います。当時は全くそんなことを考えませんでしたが。

 

当時、お金の心配がなければ、65歳まで待って、年金を生涯受け取る選択をすれば、大変有利だったものと思います。一般の方から見れば、議員経験者の特権待遇だと思われても仕方ない制度だったと思います。そういう制度だったので、財源がなくなり破綻したともいえると思います。

 

 

 

僕が地方議員時代、議員は職業でないと自分に言い聞かせてきました。労働の対価として給料をもらうのではない、と。与えられた任期、選挙を通じた公約を守り、政策実現に努め、行政を厳しく監視する役割を果たす、この立場を貫くことで報酬を与えて頂くのだ、との思いでした。

 

したがって、当選させて頂き4年間の任期を務めれば、そこでいったんリセット。次の選挙に出馬し、改めて公約を掲げ、そこで当選させて頂けば、そこから有権者の皆様との新たな契約期間が始まる、そういう思いで活動していました。

 

つまり、一般の公務員とは、役割も立場も全く異なります。職業として労働時間が決められ、労働することで給料をもらい、そのお金で生活するということではないわけです。職業でないとすれば、特別の年金制度が存在することそのものに、私は違和感を感じていました。

 

しかも、今や国民皆年金制度となっており、地方議員であっても一国民として基礎年金加入者です。さらにいえば、一般公務員と違い、地方議員は兼業可能です。議員報酬を受け取りつつ、他の仕事もできます。不動産屋の社長や薬局のオヤジも地方議員をしていました。

 

兼業している地方議員は、厚生年金に加入している場合もあるわけです。兼業していない議員でも、各自の判断で公的年金の上乗せ、確定拠出年金の加入なども可能です。議員報酬から天引きして、税金を上乗せして運営する特別な年金制度は全く不要ではないでしょうか。

 

国政では与党である自民党・公明党が、「地方議員のなり手がいなくなる」ことを理由に、地方議員年金制度の復活を目論んでいると聞きます。全くピントが外れていると厳しく指弾せざるを得ません。なり手がいないから特権待遇を復活させるなんて、誰が納得するでしょうか。

 

仮に、特権的待遇を目当てに人材が集まったとしても(集まらないと思いますが)、そういう人が地方議員として本当にふさわしい人材と言えるのでしょうか。市井で汗水流して生きる人々と同じ目線で活動できる人材が集まって初めて、議会は機能するはずです。

 

少し前、「地方議員はおいしい就職先」というような書籍が売られていました。私は非常に苦々しく感じておりました。そんな思いで議会に来る人材にろくな人はいないと知っていたからです。地方議員年金制度の復活、特権的待遇を与えることで、こういうおかしな風潮にお墨付きを与えてしまうことを危惧します。

 

議会の役割を理解し、その役割をしっかりと果せる人材を、主権者が選挙によって選出するという全うな仕組みを機能させる。当たり前ですが、現実として難しいこのことを不断に追求していく、粘り強く取り組んでいくことが、今求められていると思っています。

 

その意味からも、議員を「おいしい職業」と曲解させてしまうような地方議員年金制度の復活に、私は断固反対なのです。

 

※ 参考資料:《制度の廃止を決断せよ》地方議員年金について https://wp.me/p8PEo8-lf 〈小斉太郎2009/11/13執筆〉

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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