内閣支持率の回復?

 

こさいたろうの視点・論点 0055

2018/06/28

 

 

内閣支持率の回復?

 

 

先日、本稿読者の方からメールをもらいました。

 

『つい最新の世論調査、安倍内閣支持率が下がる…と、思いきゃ5%上昇との報道です…?何故?なのか、サッパリわかりませんですねぇ… カケの理事長の記者会見の内容がかなり、矛盾しているのに…』

 

6/22-24日経52%(前月比10ポイント増)、6/23-24毎日36%(同5P増)、6/16-17共同44.9%(同6P増)、など。支持する理由、日経新聞の記事によると「国際感覚がある」「安定感がある」が上位。同時に、自由民主党への支持率は、各社ともに30%後半を依然維持したままです。

 

読者の方に、お返事を出しました。以下のように。思うがままに一気に書いたので、読み返すと説明が足りなかったり、表現が適切でないところもありますが、そのまま載せます(カッコ内は本稿執筆時加筆)。

 

内閣支持率の回復、わからないようで、わかる気もします。国民の多くに危機感がないんだと思いますね。だから、ちょっとした政治状況で動くんですよね。(米朝首脳会談を受けた拉致問題進展への期待感など)

 

(でも)公文書が勝手に改ざんされる社会になってしまったら、それが表にも出ない社会になってしまったら、政治家を忖度して役人が簡単に便宜を図る社会になってしまったら、自衛隊がいつでも海外に出られる日本になってしまったら、国の借金を日銀が引き受け続けたら、景気刺激の名目で借金重ねて公共事業を乱発し続けたら、収入より支出が大きく上回る財政状況が30年近く続いているのに見て見ぬふりを続けてしまったら…

 

国民の多くは、気付いていないか、気付いていても知らないふりを決め込むか、マジで考えるとやばいので考えないようにしているか、そんな感じなのだと思います。

 

今はそれほど緊迫・困窮している状況ではないんですね。何となく自由はあるし、本格的に飯が食えないとか娘を売るとか、そんな状況でもないし。ただ、そんな事態は知らぬ間に、あっという間にやってくることもあります。戦前の歴史がそれを証明していると思います。こんなはずじゃなかった、と。

 

僕は、安倍晋三という政治家には、もしかすると歴史の軌道を変えてしまう、そんなにおいを感じています。今のところ明確に説明できないので説得力はないのですが。

 

 

以上なのですが、このお返事を書いた数日後に国会で党首討論がありました。野党党首の質問の甘さや批判もあるようです。そういう部分もあるでしょう。でも、最高の権力者たる内閣総理大臣が野党党首の質問に丁寧にかつ簡潔に答え、自らの政見を明らかにすることがまず第一に求められるはずです。これは、国民に対してということでもあります。

 

でも、少なくとも私にはそのような姿勢を感じることはできませんでした。これは、他の論戦や質疑でもいつも同じです。都合が悪いと思しき件に関しては、真正面から答えない、はぐらかす、どうでもいいことを延々と話し続ける、いつもそんな感じです。質問者の懸念を理解し、説明を尽くしてわかってもらおうという姿は全くありません。

 

むしろ、国会論戦では、質問と答弁あわせて制限時間が決まっているので、時間さえやり過ごせば、という考えなのではないでしょうか。森友問題も加計問題も、憲法改正も財政健全化も、経済運営も、野党の疑問に、つまり国民の疑問や懸念を真正面から受け止め、自らの言葉で訴え、説明し、理解と共感を求めていく、そういう熱い思いのようなものが全く伝わってこないのです。

 

自民党の一部議員から、夜の時間にテレビも入れて党首討論をやったらどうか、という意見が出ているようです。いい案だと思います。立憲民主党の枝野代表は、時間制限は片道だけに適用すべきではないか、と言っているようです。これも妙案。一対一の党首討論なのだから、それぞれ持ち時間を与えればいいと思います。そして、私がもう一つ付け加えるとすれば、もっとじっくり討論できるように、持ち時間1時間一本勝負、毎週各野党党首とやればいいと思います。5分とか10分とかでまともな討論ができるわけがありません。

 

いずれにしても、今の政治・行政権力のありようから目を背けず、日本や世界の未来を見据えて、本当に安倍さんで、本当に自民党でいいのか、野党もダメだからという理由で続けさせていいのか、そろそろ本気で考えないとマズいことになってしまうのではないかと、一人山里で、勝手に頭を抱えている今日この頃です。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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監視機能という役割

 

 

こさいたろうの視点・論点 0054

2018/06/21

 

 

監視機能という役割

 

 

最近「来年は統一地方選挙だなぁ」と思うことがたびたびあった。幾人かの方から「小斉さんの話を聞きたい」と連絡があったからだ。ある方はわざわざ山梨までお越しになられた。自分のわかる範囲で質問に答えるような感じなのだが、話をしながらいろいろなことを思い出し、思いが巡る。

 

私が初めて港区議選に立候補して初当選したのが1995年。1999年、2003年と当選させてもらい、三期目の途中、2004年に港区長選挙に立候補するも落選。3年浪人の後、2007年の港区議選に再出馬し当選。4年の任期満了で退任。2012年衆院選、2013年参院選、いずれも敗退、政治の世界を離れた。

 

18年間、前職の秘書時代を含めれば約20年政治の世界に身を置き、7回の選挙を経験したということになる。結局、区議選以外は全敗だった。最後の国政挑戦は、多くの方に生活まで支えてもらっての挑戦で、何度もお願いできるものではなく、最後の挑戦と決意して臨んだ結果だった。

 

 

私の一貫した政治テーマは「行政改革」。税金の使い道を厳しくチェックすること、権力に近しい者が、あるいは権力を持つ者がそれを利用して得をするようなことがないよう厳しく監視すること、ここに問題があれば民主政治の屋台骨は知らぬ間に揺らいでいくと強く思っていた。

 

昨今のモリカケ問題もこれにかかわる大問題だ。仮に、政治家の具体的関与がなかったとしても(それはあり得ないと経験的に思うが)、国民に疑念を与えるような状況が生じていることのみをもって、政治家には重大な責任がある。安倍首相に責任を取らせ入れない今の国会とは何なのか。

 

選挙に出ようとする人は、実現を目指す政策を示す。もちろん大切なことだと思う。ただ私は、議員となって政策実現を目指す大前提として、役所の仕事を厳しくチェックする姿勢があるかが問われると思う。どの方向で問うていくかは主義・主張による。ただ、その姿勢がなければ代議員になるべきでない。

 

日本の政治は、良し悪しは別として、役人が政策立案をし、それを執行していく。国政であれば政府・与党の意向を受け、地方であれば公選首長の大方針の下に政策は作られるが、多くの場合は役人がその知見に基づき原案を作る。したがって、日本の議会の役割はそれを監視することだと私は思う。

 

「役人は悪」なんて言うつもりはない。むしろ、日本の役人は能力が高いと思う。ただ、もちろん万能ではなく、時には主権者が誰かを忘れてしまうこともあるし、何らかの圧力に屈して一部の利益に資する行動をしてしまうこともあるかもしれない。そんな時、問題を指摘し、誤りを正す役割を果たす人がいなければどうなるか。

 

今の政治には、この「監視機能」が極めて弱くなっているように見える。だから、公文書の改竄がいとも簡単に行われてしまう。自民党内でも石破茂氏や小泉進次郎氏が苦言を呈するコメントを発している報道を見るが、甘い。野党も、役人に罵声を浴びせて満足しているだけに見える。

 

選挙に立候補する人々の政策を見極めることも大事だが、行政という権力を常にチェックする、それを主権者と共有する姿勢を持った人物を一人でも多く議会に送り込むことが必要だ。正直、私たち有権者にそれができていないからこそ、私たちの求める政治にならないのだと思う。

 

役人と仲良くし、役人に丸め込まれ、役所のやることは追認。そうして、言葉は悪いが大したことのない選挙公約をいくつか役所にやってもらい、公約を実現したと大げさに有権者にPRする。そんな議員が本当に必要だろうか。政治と行政の緊張関係、それを前提とした厳しい議論から必要な政策が編み出されるはずだ。

 

経験から言えば、少人数でも厳しいチェック機能を果たせる議員が議会にいれば、良質の政治的緊張感は極めて高まる。来年は統一地方選挙。地方選挙では、自民党とか何とか民主党とか所属政党は実はあまり関係ない。地方議会の民主党系議員は、実は役所ベッタリ、チェック機能を果たせない人物も多い。

 

私たちが議会に送り込む議員の質によって、政治の質が決まるといっても言い過ぎではないと思う。誤解を恐れずに言えば、今の政治がダメだと愚痴ることは、天に唾していることと同じだ。普通に暮らしていると候補者を見極めることは極めて難しい。この数年、政治を離れ痛感する。それでも、可能な限り見極めねばと強く思う。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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パソコン起動不能になって思ったこと

 

こさいたろうの視点・論点 0053

2018/06/11

 

パソコン起動不能になって思ったこと

 

6月3日、再起動をかけたパソコンに異変。不具合があり、修復もできず、windowsが起動できないという画面に。いろいろな修復メニューが画面に並んでいるので、初期化以外のすべてを試みるも、全く改善せず。これは困ったことになったと、改めて愕然。

この視点・論点も、データはすべてパソコンにあり、メール送信やfax送信もパソコンから。また、メインの仕事である野菜やたまごの販売も、お客様のデータ、生産者さんとのやり取り、伝票の発行からお金の管理など、ほとんどの業務を不具合の生じたパソコンで行っている。

あろうことか、パソコンに保存されているはずの復元ポイントは直前に行ったシステムチェックの折に消失してしまい、残っているのはお正月に念のため外付けハードディスクにとっておいたバックアップファイルのみ。でも、まずはデータが大切なので、データを取り出す方法をネット検索で懸命に調査。

ubuntuというLINAX OSで起動できればデータを取り出せることがわかり、祈る気持ちで試してみた。結果は成功。すぐに外付けハードディスクにコピーし、まずは第一段階、一安心。ノートパソコンを使い、火曜日の出荷作業は何とか遺漏なく行うことができた。

残すははOSの復旧。結論としてはバックアップソフトが機能してお正月時点の状態に復帰させることができたのだが、復元方法がよく理解できずに四苦八苦した。そこに、取り出したデータをコピーして、ほぼいつもの状態に戻すことができた。日常業務に田んぼの作業などと並行して行い、結局、金曜日の午後までかかった。

昨年末、パソコンに何かあっては大変だとなぜか思い立ち、お正月に最低限のバックアップをしておいて本当によかった。自分の生活はパソコンなくしては成り立たないのだと、改めて考えさせられた。自分が幼少のころには、パソコンというものは影も形もなかったわけで、時代の急速な変化を考えさせられた。

自己責任と言われればそれまでなのだが、なぜ今回このような事態になってしまったのか、振り返ってみた。おそらく原因は、windows10の自動アップデート。常に最新の状態になるように自動更新設定していた。起動不能になる直前、かなり時間のかかる更新が行われたのだ。

今回の「起動不能事件」で、いろいろとネット検索をかけてみた。すると、大きな更新の際には起きやすい問題なのだそうだ。だから、自動設定せずに、少し時間をおいてから更新すべきだと。大きな会社などでは、一年ほどおいて、更新機能に不具合が生じにくいように修正されてから更新するそうだ。

先述したとおり、今や僕のような零細個人事業主であっても、業務にパソコンは必須。欠かせないインフラだ。今回のようなことがあると多大な時間的損失を被る。場合によっては、これまで積み重ねてきたさまざまな情報が一瞬にして消え失せる恐れすらあった。

自己責任、それは理解しているつもりだ。だからこそ、自分でバックアップもとってきた。しかし、僕が予想している通りに「自動更新」が起動不能の原因であった場合、果たして自己責任と切って捨てるだけで本当にいいのだろうか。

パソコンが今や社会の基礎的インフラとすれば、システム更新の危険性をもっと十分にユーザーに知らせるべきであるし、データのバックアップや復元ももっと安易に行えるように改善すべきだ。今回は過去の経験から時間がかかりすぎると思い利用しなかったが、サポートの充実も必要ではないか。

携帯電話やスマホも同様だが、私たちの生活に欠かせないものとなっていく反面、その不具合に関しては使用者の責任が大きくなり、作り手・売り手側の責任が回避される傾向が大きくなっているような気がしてならない。つまり、少しずつ「やさしくない社会」になりつつあるような気がしている。

私たちが望む社会とはどのような社会か、不断に考えていく必要がある。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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すべて人力の除草作業で思ったこと

 

こさいたろうの視点・論点 0052

2018/06/10

 

 

すべて人力の除草作業で思ったこと

 

 

この10日ほど、田んぼとコンピュータにつきっきりでした。本稿にも全く手が付けられる状況でなくなってしまい、一週抜けてしまいました。誠に申し訳ございませんでした。何卒お許し賜りますようお願い致します。世の情報にすっかり疎くなってしまった10日間。まずは、田んぼの作業から感じたことを書きたいと思います。

 

5月24日に田植えをしたのですが、細かい問題が重なり、その後の除草作業に機械を使うのが困難となってしまいました。そのため、自らの手で株まわりの泥をかき回すという作業を全面で行いました。一反に満たない小さな田んぼゆえできたことですが、つい数十年前までは当たり前のように行われていたこと。

 

今は、除草剤をまけば雑草は抑えられます。日本のほとんどの米づくりでは、この方法です。その米をほとんどの日本人が食べているわけで、特段体に悪いことはないのだと思います。でも、せっかく自分で作るので、できれば無農薬のお米を食したいという思いをのせて作っています。

 

作業は極めて単純。植えたお米の苗に沿って一歩ずつ前進。植えた苗のまわりの泥をかき回す。これで泥にある雑草の種や芽を攪拌して退治する。同時に、田植え機で植え漏れのあったところや苗の本数の少ないところなどに補植していく。これを黙々と続けるわけです。

 

作業をしながら、子どもが赤ん坊のころを思い出していました。植えたての苗はまだ十分土に根付いていない。したがって、雑に扱うわけにはいかず、土に根付くように願いながら丁寧にまわりの泥をかき回します。12年前、生まれたての息子を風呂に入れるとき、落とさないように、つぶしてしまわないように、細心の注意を払っていた時のことをなぜか思い出していました。

 

少しずつ大きくなっていき、やがて青々とした稲に成長し、穂をつけ、収穫に至ります。この成長の過程を見届けていくことは、なんとも楽しいし、嬉しいものです。思い通りにいかないこともあり、トラブルが生じ絶望的にさせられてしまうことも時にはありますが、何とか元気に育ってほしいと思わせてくれるのが子育てと似ているのだと気づかされました。

 

もちろん、機械に助けてもらう農業においても、同じような感覚を生じるものと思います。ただ、期せずしてすべて人力の除草・補植作業をする中で、より強く思わせてもらう機会となりました。

 

多くの人たちが安価でおいしいお米を食べられるように、また、農民が農業でしっかり生計を立てられるようにするために、技術の革新、機械化、省力化、化学的手法の採用などは否定すべきではないと思っています。食べる人たちが選択できればいい。

 

ただ、今回の作業で思ったのは、手作業の、人力の農作業の中には、私たち日本人が大切にすべきものを再確認させてくれる何かがある、ということです。生き物を尊び、それを育んでくれる大地や水に感謝し、理屈抜きで無事の成長を祈る。弱いものを守るが、守るための厳しい淘汰も避けられないこともある。

 

機械や農薬を使う農業においても感じることは同じだとは思いますが、素足で田んぼに浸かり、泥に触れ、一つ一つの稲苗と向き合うことでその思いは強くなる、そのように特に今回は感じました。

 

先述したとおり、現実問題として明治時代以前の人力による農業に戻ることはできませんし、することもないと思います。でも、人が自らの力で米を育て、収穫し、食べて生きてきたという歴史の中に、私たちがこれから生きていくために必要な教訓といいますか、忘れてはいけないことが多分に含まれていると思うのです。

 

実は、来年から、生産者の仲間に声をかけて、みんなで田んぼができないか思案中です。そんな中、ある生産者さんが何気なくこんなことを言ってくれました。「まったく機械を使わない、すべて人力の米づくりをごく一部でもいいからやってみてはどうか」と。

 

にわかに忙しくなり、来年からできるかどうかはわかりませんが、いずれは必ず田んぼをもう少し広くやりたいと思っています。その時にはぜひ、人力のお米づくりもメニューに加えたいと思います。日本全体でも、人の力が主体の米づくりをごく一部でもいいから残して、子どもたちに伝えていくことが必要ではないでしょうか。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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決着のつかない理由

 

 

こさいたろうの視点・論点 0051

2018/05/29

 

決着のつかない理由

 

日本大学アメリカンフットボール部の反則タックル問題。発生したのは5月6日。すでに三週間以上経っているが、問題は決着するどころか、混迷を極め、泥沼に陥っている。昨日の報道では、ついに選手が声明を発表するようで、そこには「コーチ陣一新」を求める内容を盛り込むとのこと。

 

監督が辞めるだけでは納得せず、指導者を全て入れ替えろという選手の思い。悪質タックル事件をきっかけに、これまで我慢していたものが噴き出てきたといえる。そもそも選手と指導者との間に信頼関係が醸成されていなかったものと推察せざるを得ない。近く発表される選手の声明を注視したい。

 

反則タックルをした選手は「監督・コーチの指示があった」と言い、監督・コーチは「指示はしていない」と真っ向から否定。言った言わないについて、どちらが正しいのか真相は簡単にはわかるまい。しかし、フィールドでルールを無視した危険な反則タックルが行われたのは事実。

 

さらには、わかっていたのか見逃したのかは決着していないものの、指導者が当該選手にその後もプレーを続けさせたことも事実。試合後の、悪質タックルを容認するかのような監督の音声データも残っている。この状況では、仮に明確な指示がないとしても、指導者は自らを省み、責任を取るのが当然ではないのか。

 

それでも、事件発生から長期間指導者たちは雲隠れし、ことが大きくなってしまったから仕方なく辞めるというふうにしか見えない。こんな指導者を選手が信頼するはずがない。今までは好きなアメフトを続けるために我慢してきたのだろう。宮川選手の勇気ある会見が心を動かしたのだと思う。

 

ただ、報道等から推察するに「コーチ一新」では本質が変わらないと感じる。内田監督は、監督は辞めるといったものの、日大の常務理事職は辞めないと。日大の職員人事や体育会運営の実権を握るのがこの常務理事職のようで、責任を取るふりをしながら、自らの権力は巧妙に維持・温存しようとしているとしか見えない。

 

指導者として事の本質を理解し、向き合い、本当に反省するなら、責任を取るなら、日大の理事からも去るべきだ。現場は離れるが役員には残る、では責任を取ったことにならない。選手たちの求める「コーチ一新」の人事に関与し、権限を行使できる立場に留まるということになる。本質は変わらない。

 

明確に指示していなくても、現場は指示とみなして動いた。仮に、指導者自身がそこまでやれとは意図していなかったにしても、現に事は起きてしまった。これは紛れもなく指導者の責任ではないか。最終責任を負うのが指導者の役割ではないか。それができない指導者の存在そのものが、決着がつかない理由だ。

 

 

おそらく多くの人が感じているのだと思うが、同じような構図が日大とは別の世界で広がっている。国政における、いわゆる「モリカケ」問題だ。公文書改ざん、次官のセクハラ辞任など、ありえない不祥事が後を絶たない財務省。そのトップが最終責任を負わない。取り方をはき違え、その座にとどまり続ける。

 

財務省が自分で辞めないなら、任命権者である首相が厳格に判断し、人事権を行使すべきはずだが、そのそぶりはない。逆に守っている。それは、自らも最終責任を取らねばならない瀬戸際にいるからだ。「私も妻も関与していない」「関与していたなら総理も国会議員も辞める」と自らを瀬戸際に位置付けた。

 

百歩譲って、仮に明確な関与はなかったとしても、これまで明らかになった事実を総合すれば、首相を慮った、つまり忖度があったことは否定できない。そこに端を発しているならば、政治指導者は自省しなければならない。責任を取らねばならない。それが、国民から与えられた国会議員の、大臣の役割だ。

 

その姿勢がかけらもないことで、すでに一年以上の時間を空費してしまっている。このことにも責任を感じてもらわねばならないが、終わらせない野党が悪いと言わんばかりの態度。仮に明確な指示・関与がなくても、国民に疑念を抱かせ、払拭できず、払拭する努力も不足している時点で、政治責任を取るべきなのに。

 

決着がつかない理由。それはズバリ安倍首相。自らを省み、最終責任を負う姿勢が全くない。それはつまり「自分は何も悪くない」と本気で思っているからなのだと思う。社会的重みは別として、内田監督と同様。指導者が責任を取って初めて、真相が究明され、本質の改革につながる。

 

日本の社会的指導層の劣化。これは、広く言えば、国民全体にもその責がある。政治、教育、スポーツ界にとどまらず、日本の各界において、その任に相応しい指導者をどのように選び出すか、日本の喫緊の課題だ。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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首都高速道路網は、今のまま必要なのか

こさいたろうの視点・論点 0050

2018/05/24

 

首都高速道路網は、今のまま必要なのか

 

先日、「日本橋の高架撤去 江戸橋-神田橋間を地下化に」という新聞記事を目にした。日本橋を覆うように架かっている首都高速を地下に潜らせるプロジェクトをいよいよ前に進めるようだ。日本の道路の起点ともいえる日本橋と、その周辺の水辺の景観を取り戻すことに反対はない。

 

日本橋の高架撤去 江戸橋-神田橋間を地下化に(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20180523/k00/00m/020/049000c#

日本橋上の首都高 神田橋-江戸橋JCT間地下化(東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018052302000124.html

 

ただ、日本橋だけでいいのか。この議論が本格化した2001年当時、僕は東京にいたが、日本橋周辺の一部分だけ切り取って首都高速を地下化することには疑問を抱いていた。首都高速道路そのものの役割や必要性を再検証し、東京全体の都市像を見直すべきだと思っていた。

 

当時所属していた港区議会でもこの問題を取り上げたこともあるが、僕自身が政治の現場を離れ、東京も離れたため、自らの主張は脳裡の奥にしまい込まれていた。今回報道に接して、そのころの記憶がよみがえってきた。山梨の山里に住まうようになり、ますます必要性が気になっている。

 

たまに来るまで東京に行くが、首都高速道路、特に都心環状線の渋滞は目に見えて減っている。周辺の環状道路が整備されたこと、若者の車離れなどにより、交通量が減ってきているのだと思う。これからさらに人口減少社会に拍車がかかり、この傾向は続くであろう。

 

そんな中、巨額を投じて日本橋界隈だけの景観を取り戻せばそれでいいのだろうか。老朽化した首都高速というインフラを維持するだけでも莫大な金がかかる。それでも維持し続ける必要性があるのか、真剣に考えるべきではないだろうか。

 

景観を取り戻すというのであれば、それは日本橋に限らない。東京五輪前夜、車社会の到来と相俟って爆発的に増加する自動車交通をさばくために建設された首都高速。既存のお堀や運河などの公共用地を重層に使うことで用地を確保してきた。出来上がった高架道路に景観の概念はなかった。

 

皇居内堀、墨田川や神田川、明治神宮外苑など、高速道路によって景観は台無しになったといってよい。さらに言えば、一般道路の拡幅や新設を行い、その上に高速道路を架けたことで、いきなり大きな川が通るがごとく、それまでの「まち」が分断されてしまったところもたくさんある。

 

僕は、日本橋の景観が取り戻せてよかった、に終わらせてはいけないのだと思っている。首都高速、特に山手線の内側、都心部分の首都高速が本当に必要か、本気で考える好機にすべきだ。時代が大きく変化していることから目を背けるべきではない。

 

田舎に住んでいると、一つの橋が、一つのトンネルが非常に大切だ。無駄と思えるものも多いのでそれに精査は必要だが、なくては困る必要最小限の橋やトンネルも、老朽化が進む。日本橋の高架拘束を地下に通すことに何千億円もかけるなら、もっとやるべきことがあるだろうとも思う。

 

この文章を作るにあたって、日本橋の老舗和菓子店の6代目の方のインタビュー記事(日経電子版)を目にした。「日本橋に首都高いらない」というタイトル。大いに賛同する内容なので、ご紹介したい。以下、リンクアドレス http://bit.ly/2J2neUD

 

また、その昔、僕が書いたものもコンピューターの奥底に眠っていたので、こちらも改めて掲載したい。10年以上に書いたものだが、考えは今も全く変わっていない。むしろ、今こそ本格的に議論してもらいたいものだとつくづく思う。でも、日本橋界隈の地下化に矮小化され進んでいってしまうであろうことが残念でならない。

 

小斉太郎

 

 

 

〈 以下、昔に書いた文章となります 〉

 

首都高速道路をはずして空のみえるまちに

https://wp.me/p8PEo8-1a

(小斉太郎:2007/03/01公開原稿)

 

首都高速道路(以下首都高速)は昭和30年代、急速に増大する自動車交通に対処するため、計画・建設された。

 

その際、昭和39年の東京五輪開催に間に合わせるために、既存の公共空間のストックを食い潰すこととなった。具体的には、河川や公園、皇居内堀など、都市に豊かさや潤い、品格を与えていた空間が、高架式高速道路で覆われることとなってしまったのである。加えて、既存の空間を使えない地域では強引な道路拡幅が行われ、その上部を高速道路としたため、既存のまちがそれによって分断されてしまった。

 

一方、首都高速は当初「都市内交通」の円滑化を目指した連続立体交差道路として建設された。しかし、東京中心市街地外周の環状道路が未整備だったことにより、「都市間高速道路」(東名道や東北道等)が首都高速に接続された。これにより、「都市内交通」の一環だった首都高速は新たに、「都市間高速道路」の一部としての役割を付与されることになり、膨大な通過車両がとめどなく流入する現在の姿となってしまった。

 

これらの経緯を踏まえた上で、今後の首都高速のあり方について、以下に私見を述べたい。

 

前述のように今や、「都市間高速道路」へのアクセスが首都高速の主たる任務となってしまっている。一日46万台の車両が首都高速都心環状線を通るが、そのうち60%が都心に目的地のない通過車両とされる。このことから考えれば、中央環状線、外郭環状線、圏央道という周辺部の三環状道路が完成すれば、現在の首都高速の役割の大部分が新環状道路に移行することとなる。つまり、現在のかたちの首都高速道路網を維持する必要性は極めて低くなるはずだ。

 

一方で、完成から40年以上経過した首都高速は経年的劣化等により、早晩再構築(大規模改修・更新)が必要となるのは明らかだ。一説には、都心部の首都高速の再構築には約5兆円の事業費が必要とされている。このような巨額投資をしてまで首都高速道路網を維持する必要は本当にあるのだろうか。三環状道路ができれば、都市計画に基づいた一般道路の拡幅、新設等を行うことで、都市内交通の円滑化を図ることは十分に可能なのではないだろうか。

 

また、冒頭述べたように、首都高速は公共ストックを食い潰し敷設され、それによって分断され、空のみえなくなったまちがたくさんある。首都高速をはずしても深刻な交通問題が発生しないとするならば今こそ、真に豊かな生活環境を実現するまちづくりへ舵を切るべきではないのか。

 

港区というエリアで考えても、古川上空に架かる首都高速がなければ、古川の親水化や河岸の緑化の機運は急速に高まり、東京を代表する散歩道となることだろう。六本木交差点上空の首都高速がなければ、空のみえる明るいまちに変貌し、環境悪化が進む六本木のまちの再生に資するだろう。溜池から谷町に架かる重層構造の高速道路がなくなれば、一般道路の再整備や緑化が促進され、東京を代表するブールバール・アベニューとなるだろう。そしてなにより、機械的に分断されてしまったまちを一体化する新たなまちづくりの契機にもなるはずだ。

 

もちろん港区だけでなく、首都高速がなくなることにより各地で同様の効果が期待できる。新たな公共空間の創出によって、豊かで潤いある生活環境を生み出すことは間違いない。

 

今、日本橋上空の高速道路を地下化する議論が活発だ。でも、日本橋だけが特別であっていいのだろうか。日本橋上空の高架式高速道路が景観的に劣悪で、河川という公共ストックの利用を阻害し、環境を悪化させている、というのであれば、それは都心部の首都高速道路沿線のほとんどにあてはまる議論なのである。私は、日本橋のプロジェクトが進行し局所的に巨額な投資が行われる前に、東京・首都圏の高速道路網について、全体の視点から改めて考えねばならないと思う。そして私は、首都高速の高架をはずし、その上で東京のまちづくりを考えるべきだと強く思うのである。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

※ 今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

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「農地 雑感」

 

こさいたろうの視点・論点 0049

2018/05/09

「農地 雑感」

 

あの厳寒の冬はいつだったのか。私の住む山梨県最北西部の山里にもようやく、暖かい春がやってきました。寒さに耐え忍んでいた草木は、ここぞとばかりに一斉に芽吹き、鳥たちは心地よさそうに唄い始めています。まわりの田んぼの耕耘も進み、水も入り始め、標高の少し低い村では田植えも始まっています。

田んぼの風景は美しいものです。大都会の片隅で生まれ育ち、子どものころに田んぼをほとんど見たことのない私のような者でも、なぜか懐かしさを感じます。心を揺さぶられます。何代にもわたる日本人のDNAが作用しているのかもしれません。

 

 

ただ、田んぼの風景は自然にできているものではありません。人が作り上げている風景です。今でこそ圃場整備という公共事業、土木工事で整備されるのが常ですが、その昔は人力で田んぼが作り上げられていました。つまり、人がいなければ、誰かが受け継いでこなければ、今この時の田んぼの風景はありません。

都会の宅地や商業地では、頻繁に所有者が変わり、その時々の必要に応じて土地の利用方法が変化していくことが当たり前です。そしてそれは、それほど難しいことではありません。でも、農地はそう簡単にはいかないものだと、山里に移り考えさせられています。

就農人口の減少、高齢化や耕作放棄地も年々増え続ける中で、農村部の地方自治体では新規就農者がもてはやされます。それは、多額の税金投入に表れています。僕の周辺は、地域に根付こうとする真面目な仲間ばかりですが、果たしてすべてがそうなのか。実態はよくわかりません。

そして、私の知る限り、ほとんどの新規就農者は農地を借りて耕作していると思われます。つまり、農地を所有している人はごくわずかのように感じます。そのような形態で、昔からの農家のように、子孫の代にまでわたって地域に根差し、農地を守っていけるのでしょうか。そういう思いに至ってもらえるでしょうか。

一方で、私は、昔から続くいわば「地つき」の農家さんも知っています。これも私の知る限りですが、その多くの後継者さんは「勤め」に出ながら田畑をやっています。「やりたくないなぁ」という思いもありながら、受け継いでいくことは当たり前、というふうに思っている人もいるわけです。

田畑、特に田んぼは、私たちの故郷、日本という国の原風景だと思います。つまり、日本の伝統や文化、ひいては日本人そのものを体現しているといってもよいと思います。その意味で私は、私たち日本人が守り、受け継いでいくべき最も重要なもののひとつであると思っています。

先の戦争に敗北し、占領軍により農地解放という政策を進められ、地主・小作の仕組みは崩壊し、無数の地主が生まれることとなりました。その後、時代の急激な変化もあり、地主が先祖代々の土地を守り、耕作を受け継いでいくという生き方は当たり前ではなくなりました。

その結果、就農人口は急激に減り続け、耕作放棄地は急激に増え続けることとなり、今もその流れに歯止めはかかりません。一方で、農地は流動化しません。所有者が簡単に手放すことはしないからです。それとは別に、相続などを経て所有者が細分化されて所有実態がわからなくなってしまっている土地もあるようです。

ただ、農地の所有権が簡単にクルクル変わるようなことになってしまったら、農を基盤とした地域社会を維持することができるのか、何よりも良好な農業用地として維持することができるのか、私は維持することはかなり難しいと思わざるを得ません。

日本のこれからの農業、農を基盤とした地域社会、そして作物を生産するための農地はどのようにあるべきなのか、何を守って、何を革新すべきなのか。山里でまる4年働き、昨年からは暮らすようにもなった私ですが、全く答えを見つけることができません。能力の限界かとも思っています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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「希望を抱くには未だ至れない(南北首脳会談)」

 

こさいたろうの視点・論点 0048

2018/04/30

 

「希望を抱くには未だ至れない(南北首脳会談)」

 

僕が若い頃、理由と時期は思い出せないのだが、「北朝鮮とはいったいどういう国なのだろう」と思うようになった。書店で北朝鮮の内情を伝えるような本を見つけると、購入してよく読んでいた。金日成を崇拝し、その絶対権力を幼少時から礼賛する教育をして、反抗すれば収容所に送られるか、死刑、といった内容に戦慄を覚えた。

25歳で港区議会議員になった時、ある先輩区議と無所属議員控室で同室になった。旧社会党の闘士、社会主義に見切りをつけ無所属で区議に復帰していた人だ。雑談の中、僕が北朝鮮に興味・関心があると伝えると、一冊の本をくれた。「北朝鮮幻滅紀行 凍土の共和国」という本だった。

書店では見かけたことのない本だった。在日朝鮮人二世であり、元朝鮮総連幹部が肉親を訪ねて北朝鮮を訪問した際の日記風のルポルタージュ。飢餓と強制労働に苦しむ北朝鮮の民衆の実情を赤裸々に伝える内容に、驚愕し、怒りさえ覚えた。

地上の楽園と信じ北朝鮮に渡った在日朝鮮人の人々やその子孫は、今どうなっているのだろうか。いろいろな本を読む限りは、その子孫に至るまで幸せな生活をしているとは到底思えない。民衆のすべてが常に監視され、言動を密告され、移動の自由もなく、体制を批判すれば処罰されるという社会は今も続いているのだろうか。

北朝鮮には、何のかかわりもない日本人を闇夜に乗じて拉致していった過去がある。日本人に限らず、同胞の韓国人も含め、14か国から拉致を行っているとの報告もあり、国連の調査委員会は北朝鮮による拉致被害者はなんと、20万人を超えるとされている。

もちろん、北朝鮮に核を放棄させること、ミサイルによる威嚇をやめさせること、朝鮮半島に平和を取り戻すこと、これらは極めて重要な国際的課題である。隣国である日本にとっても、攻撃されれば甚大な被害を受けることは確実であり、最大級の関心事であることは言うまでもない。

 

 

しかし、北朝鮮に核やミサイルを放棄させるために、世界の各地から何の罪もない人々を連れ去ってきた過去を無視できるのか。国内で多くの国民が虐げられている疑いがある現状をそのままにしてよいのか。北朝鮮から発信されるニュース映像を見て、違和感を感じない人はいないはずだ。

無数の脱北者が後を絶たないことも、見過ごせない。韓国政府によると、韓国に入国した脱北者は累計3万人を超えているとしているが、中国や東南アジアなどに潜伏している潜在的脱北者は数十万人ともいわれている。相当の覚悟がなければ、死をかけて、家族を残して国を捨てるなど到底できるものではない。

また、かつては大韓航空機爆破やラングーン事件というテロ行為を重ねてきたことも忘れてはならない。最近では、韓国海軍哨戒艦「天安」爆破・沈没事件や延坪島砲撃事件を引き起こし、韓国人が殺されている。すべて北朝鮮自国の都合で人々の命が奪われている。

融和ムードがこれらをすべて不問に付すことに繋がっては決してならない。北朝鮮の態度の変化に乗じて、閉ざされた扉をこじ開けることに異論はない。しかし、「北朝鮮の体制保障」が、過去の非道な行為を消しゴムで消すようなことになってはならない。特に、人権を蹂躙してきた過去の行為を。

核やミサイルの放棄のみに前のめりになり、北朝鮮という国ができて以来70年近く続いてきたと言っても過言ではない、到底容認できない悪行や自国民への抑圧をなし崩し的に容認するようなことがあってはならないと心から思う。未だ、金正恩の笑顔と言動に無条件に希望を抱いてはいけない。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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「民意による政策変更」

こさいたろうの視点・論点 0047

2018/04/25

 

「民意による政策変更」

 

ネットのニュースで「初当選の近江八幡市長、公約通り新庁舎工事契約を解除」という見出しが出てきた。滋賀県の近江八幡市で市長選挙が行われていたことは知らなかったが、見出しが気になってネット検索をかけてみた。

 

 

 

どうやら、近江八幡市役所の新庁舎建設は2月から始まっていたようで、すでに着工しているものを途中でストップさせるというのが、当選した新市長の看板公約だったようだ。

 

ネットの情報だけでは正直よくわからないところも多いのだが、三期12年務めた現職市長がほぼダブルスコアで完敗〈21,047票vs 11,647票〉しているところを見ると、相当ひどい市政が続いていたという背景もありそうだ。その象徴的プロジェクトが「90億円の新市庁舎建設」だったのだろう。

 

それにしても、工事契約解除に踏み切った新市長には拍手を送りたい。市民が選挙を通じて意志を表明する、当選者がその意志を即座に実行に移す。民主主義社会のあたりまえのルールともいえるが、現実にはそう簡単なものではない。二元代表の一翼、議会の承認を受けている工事であり、着工している案件でもあったわけだ。

 

新市長は、事業者に工事契約解除を通知した理由を、『民意による政策変更』と述べたそうだ。僕は「あっぱれ」と言いたい。選挙を通じて主権者がその意志を示し、選ばれた政治家がその意志に基づいて政策実現を図る。今回の近江市長選挙に関するニュースは、何だか僕を清々しい気持ちにさせてくれた。

 

翻って、今の国政はどうだろう。暗澹たる気持ちしか湧いてこないのは、僕だけだろうか。僕たちは未来を見据えて、現在の政権や政治と役所のありようについて、本気で意志表示すべきではないか。国政を担う政治家は、それを汲み取り具現化させる責務を有しているはずではないか。

 

役人任せの政治、かつ役人に責任を押し付ける政治からの脱却が、信頼できる政治の大前提となる。その昔、政治の現場に身を置く中で訴え続けたことであるが、今の政治を見て、はっきり言えば安倍政権の進める政治のなれの果てを見て、時代が逆行していることを強く感じる。

 

『民意による政策変更』は、必ずできる。

 

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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地方議員年金復活は不要

こさいたろうの視点・論点 0046

2018/04/19

 

地方議員年金復活は不要

 

ちょうど私が港区議会議員を辞める頃、地方議員年金はほぼ破綻し、その後廃止されました。全国の地方議員が加入する年金制度でしたが、財源が枯渇したのです。つまり、「財布にお金がなくなってしまった」ということが廃止の大きな理由でした。

 

地方議員の年金制度は公的年金とは別だての特別な制度で、地方議員は自らの報酬から一定額を掛け金として納め(天引きされ)、議員は退任する際、退職一時金として保険金を受け取るか、三期以上務めた議員については65歳以降に年金として受け取ることも選択できるという仕組みでした。

 

平均寿命が伸び、年金を受け取る元議員が増える一方で、平成の大合併により地方議員の定数は急速に激減、それに伴って年金財源が枯渇していったと記憶しています。その間、現役議員の掛け金負担を急激に重くし、公費負担分も大幅に増やしたものの、事態は改善されませんでした。

 

私自身の経験を思い返すと。34歳の時、区長選挙に立候補するため、三期目の途中で区議を辞しました。その際に、退職一時金を受け取りました。かけた保険料総額の7割くらいの金額でした。区長選落選後、再度区議に復帰し一期務めた後も、同じように退職一時金を受け取りました。

 

ただ、受け取った退職一時金の多くは、前年の収入に応じて納付することとなる多額の地方税や国保料に消えていくことになりました。いずれにしても、掛け金の7割程度しか戻りませんので、年金制度がなければその分を自分で運用した方が有利だったと思います。当時は全くそんなことを考えませんでしたが。

 

当時、お金の心配がなければ、65歳まで待って、年金を生涯受け取る選択をすれば、大変有利だったものと思います。一般の方から見れば、議員経験者の特権待遇だと思われても仕方ない制度だったと思います。そういう制度だったので、財源がなくなり破綻したともいえると思います。

 

 

 

僕が地方議員時代、議員は職業でないと自分に言い聞かせてきました。労働の対価として給料をもらうのではない、と。与えられた任期、選挙を通じた公約を守り、政策実現に努め、行政を厳しく監視する役割を果たす、この立場を貫くことで報酬を与えて頂くのだ、との思いでした。

 

したがって、当選させて頂き4年間の任期を務めれば、そこでいったんリセット。次の選挙に出馬し、改めて公約を掲げ、そこで当選させて頂けば、そこから有権者の皆様との新たな契約期間が始まる、そういう思いで活動していました。

 

つまり、一般の公務員とは、役割も立場も全く異なります。職業として労働時間が決められ、労働することで給料をもらい、そのお金で生活するということではないわけです。職業でないとすれば、特別の年金制度が存在することそのものに、私は違和感を感じていました。

 

しかも、今や国民皆年金制度となっており、地方議員であっても一国民として基礎年金加入者です。さらにいえば、一般公務員と違い、地方議員は兼業可能です。議員報酬を受け取りつつ、他の仕事もできます。不動産屋の社長や薬局のオヤジも地方議員をしていました。

 

兼業している地方議員は、厚生年金に加入している場合もあるわけです。兼業していない議員でも、各自の判断で公的年金の上乗せ、確定拠出年金の加入なども可能です。議員報酬から天引きして、税金を上乗せして運営する特別な年金制度は全く不要ではないでしょうか。

 

国政では与党である自民党・公明党が、「地方議員のなり手がいなくなる」ことを理由に、地方議員年金制度の復活を目論んでいると聞きます。全くピントが外れていると厳しく指弾せざるを得ません。なり手がいないから特権待遇を復活させるなんて、誰が納得するでしょうか。

 

仮に、特権的待遇を目当てに人材が集まったとしても(集まらないと思いますが)、そういう人が地方議員として本当にふさわしい人材と言えるのでしょうか。市井で汗水流して生きる人々と同じ目線で活動できる人材が集まって初めて、議会は機能するはずです。

 

少し前、「地方議員はおいしい就職先」というような書籍が売られていました。私は非常に苦々しく感じておりました。そんな思いで議会に来る人材にろくな人はいないと知っていたからです。地方議員年金制度の復活、特権的待遇を与えることで、こういうおかしな風潮にお墨付きを与えてしまうことを危惧します。

 

議会の役割を理解し、その役割をしっかりと果せる人材を、主権者が選挙によって選出するという全うな仕組みを機能させる。当たり前ですが、現実として難しいこのことを不断に追求していく、粘り強く取り組んでいくことが、今求められていると思っています。

 

その意味からも、議員を「おいしい職業」と曲解させてしまうような地方議員年金制度の復活に、私は断固反対なのです。

 

※ 参考資料:《制度の廃止を決断せよ》地方議員年金について https://wp.me/p8PEo8-lf 〈小斉太郎2009/11/13執筆〉

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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次の政権構想が必要だ〈問われる野党の役割〉

 

こさいたろうの視点・論点 0045

2018/04/14

 

 

次の政権構想が必要だ〈問われる野党の役割〉

 

 

国会審議を見ていて思うこと。今、野党がやるべきことは何なのか。安部長期政権で溜まりに溜まった膿が次々と噴出し始めている。ここぞとばかりに野党は攻め立てる。攻め立てること自体は、やってほしい。真実を明らかにしてほしい。でも、果たしてそれだけでよいのか。

 

衆議院の予算委員会に、ことさら甲高い声で「委員長、時計を止めて下さい」と連呼する野党理事がいる。何党の誰か知らないが、顔を確認するといいおっさん。でも、声が極端に幼く小学生のようにも聞こえる。正直、気持ちが悪い。

 

同じ予算委員会に、汚いヤジを飛ばす野党委員もいる。これはたまに安倍首相から名指しの逆襲を食っているので知っているが、立憲民主党で復活した本多とかいう議員だ。テレビでも怒鳴り散らす声が聞こえるのだから、議場では大変な音量だと思う。正直、低能に見える。

 

失礼で不遜な言い方かもしれないが、現政権の私物化や隠蔽体質、その実態を明らかにしようという重要な局面なのだ。委員長の周りでわめき散らしたり、感情に任せて怒鳴り散らしたりしている場合ではない。追及の信頼を貶めていることに気づかないのか。

 

国民の多くは、見ればわかる。長々とした答弁で時間稼ぎをしたり、的を外すような答弁ではぐらかしたりしている姿を見れば、何か不都合なことがあるのだろうということを。それを非難してギャーギャー騒げば、騒ぐ人たちの方がおかしいような気持になってしまう。

 

もっと大人にやれば、もっと野党の言い分も理解されるというものだ。さらにいえば質問者も、核心に触れる質問をして、あとは答弁させておけばいい。おかしなことを言えば、重ねて質問を続ければいい。国民はその光景を目の当たりにして、十分に真実を知るに近づける。

 

政府が不必要に時間を費やす答弁を続ければ、改めて質疑の機会を求めればいい。拒否すれば、それもまた国民は受け止めて、判断する。小さなことのように見えるかもしれないが、冷静沈着に、興奮せず、ギャーギャー騒がず質疑に臨むということは、国民から信頼を得る入口だと強く思う。

 

 

 

それと、もう一つ野党に言いたい。ここまで疑惑が深まってなお、内閣支持率は30%以上ある。これは、積極的支持というよりも、自民党以外に政権を担える政治勢力はないじゃないか、という国民の意思表示にも見える。

 

追及の手を緩めてはいけないが、その後のことも真剣に考える時期が到来しているのではないだろうか。国民に対し、自民党政権が下野した場合、どんな国づくりを目指し、どんな政権を準備するのか。それがないために、疑惑追及に対する国民の後押しも強くならない気がしてならない。

 

野党が大合併して一つになる必要なんてない。基軸の政党を決めて、共通して目指すべき政策を掲げ、協力して進めばいい。安倍政権ではダメな部分、今疑惑を招いている権力のありようを正すために、どんな陣容で具体的に何をするのか、国民に示す時が来ている。

 

近い将来への展望を示すことで、疑惑の解明がさらに国民から支持され、真実が明らかになることにつながると、僕は思っている。

 

 

※ 先週の配信が本日になってしまいました。お詫び申し上げます。来週は2本配信する予定です。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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今後の政局

 

こさいたろうの視点・論点 0044

2018/04/03

 

今後の政局

 

佐川氏の証人喚問が終わりましたが、結局は「刑事訴追の恐れがあるため答弁は差し控えさせて頂きます」の常套句の連発で真相は全く明らかになりませんでした。安倍政権は、「あとは国民の判断を待つ」との姿勢で、逃げ切り体制を敷き始めました。なんと、世論調査によっては内閣支持率回復の結果も。

 

理由は未解明ではありますが、権力サイドの都合により公文書が書き換えられてしまったという、議会制民主主義の根幹を揺るがす大問題を起こしてしまった内閣に、いまだに40%前後の支持が寄せられるという現実。私としては全く理解できない世論が形成されています。私が変な人間なのだろうかと思ってしまいます。

 

そんな中、民進党が希望の党などとの合併、それに先立つ分党などを本格的に検討するという報道がありました。視点・論点の読者の方からは、「先の総選挙前に飛ぶ鳥を落とす勢いであった希望の党、どのような形で落ち着いていくのか。さっぱりわからず、また、みえてきませんね」とのご意見を頂きました。

 

(以降略)

※ 省略部分、ご購読の上、読み進めて頂ければ幸甚に存じます
※ ご購読ご希望の際は、お手数ですが、私あてご連絡下さい

※ 連絡先:http://www.kosaioffice.com/contact-me/

 

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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森友・公文書改ざん 政局のゆくえ

 

こさいたろうの視点・論点 0043

2018/03/27

 

 

森友・公文書改ざん政局のゆくえ

 

 

ほぼ毎週「こさいたろうの視点・論点」と銘打ち、私の拙文の発信を続けておりますが、3月21日、読者の方からこのようなご質問を頂戴いたしました。

 

『小斉さんは騒動中の問題については、どのような進展をすると…?予測しておりますか… お聞かせ下さい!』

 

それに対して、私はこのようにお答えしました。

 

政局の予測ですが、山が動き出しているような気がします。公明党の態度が変化してきているのと、おそらくそれに合わせて自民党内の風向きも変わってきているように見えますね。安倍首相の求心力が急速に低下する可能性が高い気がします。

 

公明党はそもそも、安倍改憲に消極的だったので、来年の統一選に向けて、できれば改憲を政治日程から外したいと思っている節があり、首のすげ替えは渡りに船だったのかもしれません。

 

二階氏は、自公政権の安定が重要なので、公明党の意向も踏まえて、世論に逆らわない形にしたいのではないでしょうか。

 

麻生氏は、なんで自分に火の粉が飛んでくるのかと思っている節があり、辞めるにしても自分だけが辞めることに不満があるのではないかと思います。菅官房長官との確執が影響を及ぼす可能性がありそうです。

 

あとは、証人喚問で佐川氏がどこまで何を話すか、が当面の最大のポイントだと思います。佐川氏は、自分だけがすべてを背負わされて幕引きされることに難色を示しているとも噂されているので注目です。ただ、「刑事訴追の恐れがあるため答弁は差し控える」で逃げ切ろうとすれば、野党側は、「真相究明のため」として、安倍あきえ氏、契約当時の理財局長などの証人喚問、さらには籠池氏への出張喚問も言い出してきて、収拾がつかなくなるものと思います。世論の大勢は、それに賛成するはずですし。

 

でも、もし総辞職するにしても、辞め時、辞めさせ時が難しいのもありますよね。安倍氏が辞めても、問題は残るわけで、辞めたから終わりという小さな案件ではありませんし。

 

また、おなかが痛くなる可能性もあるかも…

 

 

 

そして、今日〈3月27日〉、国会において佐川氏への証人喚問が行われています。時間をつくり、参議院の証人喚問をNHKテレビ中継ですべて見ました。今は、衆議院の証人喚問を見ながら本稿を執筆しております。

 

参議院の証人喚問では、案の定、肝心な部分はすべて証言拒否でした。官僚の矜持を示し、自らの刑事訴追を覚悟で真実を述べてくれるのではないかと淡い期待もありましたが、やはりダメでした。本当のことを話せば、自らにとどまらない広範な影響が及ぶからではないかと、私は推察しています。

 

その上で佐川氏は、総理・総理夫人からの影響について、「私の勉強した範囲では、ない」と発言しました。在任中には関与は確認できていない、という主旨の発言もしました。これは、裏を返せば、それ以前の事情は知らないよ、ということを殊更強調しているように聞こえます。本事案について一貫して影響を受けていないとは、言っていない訳です。佐川氏が理財局長に就任した時期は、契約締結が確定した後のこと。公文書改ざんのキーマンは佐川氏であるものの、森友事件そのもののキーマンは佐川氏でなく、契約交渉に至る過程の者なのではないか、という疑惑がさらに深まったように感じます。

 

公文書を改ざんしてまで何を守ろうとしたのか、何を隠そうとしたのか、それは誰がやったのか、誰かが圧力をかけたのか、あるいは誰かを忖度したのか、さらにはこのようなことが恒常的に行われていたのではないか、闇が深まるばかりの証人喚問です。

 

このような事件の真相究明すらできず、うやむやなまま幕が引かれるようなことがあれば、国民と政治・行政との信頼関係は地に落ち、日本は民主主義国家として成り立たなくなってしまいます。大げさでなく、極めて危機的状況を招来します。

 

一部、もっと大事なことを国会で議論すべきだ、野党の政局パフォーマンスだ、というような声もありますが、まったく当たりません。国会で虚偽の発言をする、公文書を改ざんしてしまう、その疑いがかけられても証言を拒否する、こんな状況そのものが異常であり、必ず真相を明らかにしなければならない、森友案件は最重要案件だと、証人喚問を受けて私は改めて強く思います。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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政治の責任〈官僚の公文書改ざん〉

 

こさいたろうの視点・論点 0042

2018/03/17

 

 

政治の責任〈官僚の公文書改ざん〉

 

 

財務省による公文書の改ざん。忖度であれ、いずれかからの指示であれ、一度確定された公文書を書き換えた事実は消えません。民間企業で重大な不祥事が起きた際、知っていようがいまいが、トップが責任を取ることは当たり前ではないでしょうか。

 

議院内閣制をとる日本の政治において、与党が中心となり内閣が組織され、行政権が行使されます。官僚は、その手足となり動きます。特に数年前からは、政治主導強化の観点から、幹部官僚の人事を内閣で一括して行う改革までなされています。

 

公文書を改ざんし、それを国会に提出するという犯罪にも問われかねない、取り返しのつかない行為を官僚が行ってしまった以上、たとえ政治サイドが関与していないとしても、政治がその責めを負うべきではないでしょうか。

 

しかも、改ざんを認めた財務省トップの財務大臣にとどまらず、内閣として責任を取らねばならない極めて重大な問題です。今後、いかなる役所の文書も説明も、常にその真偽を疑わねばならない、民主主義の危機を招いているわけですから。

 

それが、どうしたことでしょう。麻生財務大臣は「最終責任者はサガワ」と連呼し、改ざん当時の現場責任者にその責めを一手に引き受けさせて逃げ切ろうとしているようにしか見えません。

 

 

 

改ざんに麻生財務大臣や安倍首相が本当に関与していないのか、あるいは、事務次官まで通じていた財務省ぐるみの行為だったのではないか、これらの真相を明らかにすることはもちろん重要です。やらねばなりません。

 

また、書き換え、削除された内容が、具体的な口利きや指示、あるいは忖度などによる特別扱いがなされていたのか、つまり、森友問題の核心の追及も極めて重要です。徹底的な究明がなされなければなりません。

 

その上で、財務官僚が公文書を改ざんし、それを国会に提出した事実は決して消えません。国権の最高機関たる国会を、つまり、主権者たる国民を欺いた事実は決して消えないということです。

 

私は大袈裟でなく「民主主義の危機」だと認識します。したがって、この事件の責任を取るべきは「内閣」以外にあり得ません。責任の取り方は、真相を明らかにし、辞める、これしかありません。

 

安倍首相が関与しているか否かはともかくとして、官僚が決裁文書を改ざんしたという事実一点をもって、内閣総辞職すべき、それだけ重大な事件であることを忘れてはならないと思っています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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本当のことを伝えること〈民主主義の根幹〉

 

こさいたろうの視点・論点 0041

2018/03/11

 

 

本当のことを伝えること〈民主主義の根幹〉

 

 

昨日、NHKラジオ『震災7年 福島「漂流する」子どもたち』という番組を聴きました。明日、東日本大震災から7年、避難を余儀なくされた子どもたちの苦悩、今なお続いていることを取り上げていました。被害に軽重はないものの、原発事故による被害は異質のものであると改めて感じました。

 

自然災害による被害と、その後に起きた原発事故による被害を同列に扱ってはいけないと思うのです。一度事故が起きれば放射能被害は世代を超えて続き、そのことに起因して人々の心をも大きく揺さぶることになります。子どもたちはこのような状況に翻弄され生きていかねばなりません。

 

事故直後から、情報は統制され続けました。それはある意味今でも続いているのだと思います。原子力発電所がひとたび事故を起こしてしまった時、それが永遠ともいえる被害を及ぼすことから目を背けてはいないでしょうか。原発を続けたい大人の論理が優先されているのではないでしょうか。

 

「原子力規制委員会が、世界で一番厳しい審査基準を満たしていることを確認し、安全が確認されたものから再稼働させる」、現政府が原発再稼働をさせる際の条件としています。しかし、安全を完全に確認することなどできないはず。福島の今も続く被害を直視できていない証左。

 

二度と事故を起こさないためには、原子力発電をやめるしかありません。でも、やめたくない大人がたくさんいるからやめられないのだと思います。それなら、なぜやめたくないのか、なぜ続けたいのか、続けたら将来にわたりどんなリスクがあるのか、本当のことを伝える責任があると思います。

本当のことを伝えずに、都合の悪いことは伝えずに、自分たちの思い通りにしようという権力者の姿勢を見過ごしてはなりません。本当のことが伝わらないからこそ、いまだに原発事故による被災者、避難者に対する差別や偏見が続きます。社会の空気を変えねばならないと感じます。

 

 

 

「都合の悪いことは伝えない」といえば、森友事件の公文書改ざん疑惑。この週末に大きく動きました。佐川国税庁長官(全理財局長)辞任、当時の近畿財務局交渉担当者の自殺、これらを受けて財務省が、週明けに書き換えがあったことを認めると報じられ始めました。

 

朝日新聞の報道がなければ、その後の国会での追及がなければ、このことを国民が知ることはありませんでした。国民が気付かなければ公文書を書き換えてもよい、ということがあってはならないはず。問題発覚当初、「捜査中につき答弁を控える」という対応でやり過ごそうとした内閣の責任は免れません。

 

原発事故と同列に扱うなとの声もあるかもしれませんが、権力者の都合によって国民に本当のことが伝えられない、歪めて伝えられる、という意味において問題の根っこは同じだと感じています。権力者による情報統制が積み重なり、それが当たり前という日本社会にしてはならないと思います。

 

日本における主権は国民にあります。つまり、権力者の持つ権力の源泉は国民にあります。したがって、政治や行政の情報は原則として公開されなければなりません。ましてや、恣意的に手が加えられるようなことがあってはなりません。最終的な評価と判断は国民がなすべきです。

 

今、この基本的な原則が揺らいできているように私は感じています。時計の針が戻りつつあるようにも感じます。「よらしむべし、知らしむべからず」、出典は論語、当初の意味とは別に封建時代、「人民はただ従わせればよく、理由や意思を説明する必要はない」という意味で使われるようになりました。

 

時代は移り、形こそ主権在民の社会になりましたが、いまだに「よらしむべし…」の風土が色濃く残っていると思わざるを得ません。今回の森友疑惑しかり、原発事故後の権力者の姿勢からも感じられます。未来の日本を拓くために乗り越えなければならない根本問題だと、私は強く思います。

 

7年前の今日、東日本大震災は起きました。地震、津波、そして原発事故。筆舌に尽くせぬ甚大な被害を及ぼしました。その辛苦を忘れぬようにすることは当然ですが、多くの犠牲の上に私たちは何を考え、何を目指すべきなのか、今一度思いを馳せねばならないと改めて感じています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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公文書改ざん・民主主義の根幹を揺るがす

 

こさいたろうの視点・論点 0040

2018/03/03

 

 

公文書改ざん・民主主義の根幹を揺るがす

 

 

森友問題に関連して、またもや重大疑惑。まだ疑惑にとどまっているが、事実なら私は、民主主義の根幹を揺るがす大問題だと思います。

 

森友学園と財務省の間で土地取引をした際、財務省近畿財務局の管財部門が作成した局内の決裁文書。朝日新聞の報道によると、その当時の決裁文書と昨年2月に国会に提出された文書の内容が違うというもの。起案日、決裁完了日、決裁番号、決裁印は同じなのに、文書の内容が異なるというにわかには信じがたい報道内容。

 

契約当時の文書には、森友学園との交渉経緯や森友学園の要請にどのように対応したかが記載されていたが、国会提出資料にはそれらが項目ごとなくなったり、一部消えたりしている。また、契約当初の文書にあった「特例的な内容となる」などの表現も消えていると報道されています。

 

もしも事実なら、公文書を改ざんした犯罪になることは免れないだけでなく、国民に対して都合の悪いことは伝えない現政権の体質、権力維持のためには国権の最高機関である国会をも欺く姿勢、平たくいえば、ちょっとまずいから隠しちゃえという国家中枢のありようが厳しく問われなければなりません。自分の子どもに「都合の悪いことは隠しちゃってもOKだよ」なんて言えるのか。そういう問題だと思います。

 

かつて地方自治に関わった者として、このような悪弊は地方自治にも伝播し、日本社会全体に暗い影を落とすことを危惧しています。国政でもやっているんだから、自分たちもちょっと位いいのではないか。国政ほどはあくどくはやっていませんよ。こんな言い訳が聞こえてくるような気がします。

 

 

 

10年ほど前までは、役人の天下りをそのままにしておくべきでないという世論が高まっていました。天下りにメスを入れるという期待もあって政権交代がなされましたが、120%の期待外れに終わり、安倍政権誕生後はその議論はなりを潜めてしまい、逆に天下り復活のような状況になってしまっています。

 

現場を離れて長く、現状は不明ですが、当時は地方自治体でも退職公務員の天下りが当たり前のように行なわれていました。優秀な人材の登用は当たり前、といった説明が当たり前のようになされるだけでなく、中央省庁のように天下り後の給料は高くないとか、わたりによる退職金はもらっていないから悪くないといった言い訳までされていました。

 

国でやっているんだから、地方でも少し位いいじゃないか。この感覚が、日本の行政機構の偽らざる雰囲気だと思います。中央集権、上意下達の弊害だと思います。今回の件も、もし事実なら、日本社会にかなりの悪影響を及ぼしていってしまう問題だと危惧します。

 

また、私も地方議員時代、行政事務の調査の際、事務の経緯や裏付けを求めるために決裁文書の提出を求めることがしばしばありました。押印された決裁文書の写しが手元に届く訳ですが、それが原本と異なる、改ざんされていると疑ったことは一度もなかったと記憶しています。そしてもちろん、改ざんはなかったと思います。国民から選挙で選ばれた議員が行政のチェックを行なうというのは民主主義の根幹。国民の代表である議員に改ざんされた公文書が示されるなどということは、民主主義社会の根幹を揺るがす大問題であることは、論を待たないものと思います。

 

麻生財務大臣も財務省も、誤報であれば誤報といえばいい。その場合は、報道した朝日新聞は厳しい批判を甘受しなければなりません。元の決裁文書と国会提出文書を並べてみせて、何の改ざんもないと明らかにすればいい。ただそれだけのことだと思います。

 

しかし、麻生財務大臣も太田財務省理財局長も「捜査中」を理由に文書の存在の有無についての回答を拒否。自主的な調査も拒否。その後、厳しい追及を受けて、調査して6日に国会に報告と態度を変化させたものの、及び腰の姿勢は何を意味するのか。財務省自身による調査の報告を待ちたいと思います。

 

事実であれば、今後現政権のどんな説明も疑いの目を向けねばならず、さらに信頼できない政権ということにならざるを得ないと思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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子ども食堂のこと〈アルマーニ制服問題から考える〉

こさいたろうの視点・論点 0039

2018/02/27

 

 

アルマーニの制服を採用する学校教育がある一方で、増える子ども食堂

 

前回の「小斉太郎の視点・論点」では、「アルマーニの制服と名門校」という拙文を発信させて頂きました。それを読んでくれた旧知の女性から、以下のようなご意見を頂きました。

 

『今回の泰明小の標準服問題。ブランドだの、高いだの。そうしたキャッチフレーズから脱却して、さらにもう一段問題を深掘りする議論がされるべきです。義務教育無償と言われていますが、実際は、制服(標準服も含め)、副教材費や部活費用にPTA費など、進学時には約20~30万円かかりますし、給食費もあります。実態は、多くの保護者にとって、有償義務教育です。アルマーニだから買えない家庭を想像するなら、普通のノーブランドの制服他一式も、同じ時期に一度に数万円から十万以上の支出となるため買えないまたはカードローンで買う世帯の事は、なぜ想像しないのでしょう。アルマーニを値段で批判するより、義務教育課程での制服採用の適否や、高過ぎる副教材費等について語って欲しい。』

 

また、私の住む地域の地方紙・山梨日日新聞に、アルマーニ制服問題に関連して、以下のような寄稿を見つけました。制服の高額化を受けて制服をリサイクルするために立ち上がったNPO法人ユニフォームリサイクリングリンクの坂本事務局長の寄稿です。

 

『山梨県内の高校でもブレザー導入でベストやネクタイなどのパーツが増えていること、ワイシャツやポロシャツ、セーター、靴までが学校指定になっていることなどから、ジャージなどを合わせて経済負担は10万円以上になっています。全国の学校で制服のブランド化が進んでいます。』

 

寄稿によると、去る1月に初めてのリサイクル制服販売会を行ったそうですが、旧型の制服を組み合わせて販売したそうです。その際に『標準学生服(学ラン)にもかかわらず、上着の裏やズボンに校章の刺しゅうがあり、「登校時に校門の前で先生がチェックし交渉が入っていないと学校内に入れてくれない中学がある」との訴え』があったそうです。これは、指定の店から買わなきゃダメということですね。

 

名門公立小学校がアルマーニの制服を採用する背景、エリート意識の固定化やそれを公立学校が追求しているという社会矛盾、家庭の経済環境による排除の論理などが内包されていることは前回記した通りですが、明らかになったアルマーニ制服問題は、制服そのものの必要性とともに、教育に関わる負担は如何にあるべきかという大きな課題を改めて投げかけているともいえます。

 

教育に関わる自己負担、親の負担。我が子のことだから当たり前、と議論を封じてしまってよいのでしょうか。指定の制服でないと学校に入れない事例や、必ず購入しなければならない指定の副教材などがあることは、大人の経済活動が最優先されていると勘ぐらざるを得ません。学習塾・予備校に通うことが当たり前になっている日本社会の現状も同様といえます。ツイッターでこんなコメントを寄せてくれた人もいます。『疑うべきは、学校長と業者の癒着でしょう。生徒数が300人強の安定した顧客がおり、毎年約8万の商品が売れるのです。有る程度のキックバックが有っても不思議はない』

 

一方で、安倍自民党政権は昨秋の衆議院解散時、突如として「消費税増税分を教育無償化に充てる」と言い出しました。同じ党の石破茂氏もラジオでそのことを知り、『党内でそんな話は聞いたことがなく、ひっくり返って驚いた』と述べているように、日本の教育をどうするかというグランドデザインは議論もされずに、その時々の社会の空気によって弥縫されていく様は明らかです。

 

日本の教育はどうあるべきなのか。まず、この大命題から目を背けずに国民的議論を行なう中で、教育に関わる負担、どこまでを公費で賄うべきなのかを考えていく必要があると本当に思います。冬の受験シーズンになるとテレビで「受験生の皆さん、頑張って下さいね」というアナウンサーの定番の台詞を聞くたびに、受験がゴールの日本教育、そのために当たり前のように塾に通う子どもたちの環境がこのままでいいのか、すべて現実を生きる大人の論理で維持・継続されている気がして、私の気持ちは深く沈みます。私は、多様な教育、自由に作れる学校、選べる教育、子ども一人ひとりに等しく教育費用を公費負担する、これが教育改革のキーワードだと今でも思っています。次回以降に、改めて論じてみたいと思います。

 

 

 

さて、アルマーニの制服を採用することがニュースになっているその裏側では、楽しいはずの食事を淋しく一人で摂らねばならない子どもや満足に勉強する環境を持てない子どもがいます。

 

「子ども食堂」、報道によって、あるいは何人かの知り合いの地方議員さんが取り組んでいることを風の噂で聞いたりすることもあり、そういう取り組みが全国各地で行なわれていることを知ってはいました。身近ではなかったのですが、昨秋、私が卒業した中学・高校の校友会から連絡をもらい、20年ほど上の先輩が「子ども食堂」の活動に取り組んでいることを知りました。その先輩はわざわざ山梨まで足を運んでくれて、子ども食堂を始めた経緯やその内容を説明して下さいました。

 

その先輩の始めた子ども食堂は、子どもの費用負担なしで、ケータリングのお弁当を提供しつつ、子どもたちに勉強を教えるということが主眼です。先輩の話を聞いてからいろいろ調べたのですが、一口に「子ども食堂」といっても、手作りの食事を提供することに重きを置いているところもあれば、少額の負担を求めるところもあったり、さまざまなようです。それぞれに意義あるものと思います。私は、先輩から直接お話を伺い、「少なくとも10年以上続けて、子どもたちが専門技術や資格を得て自立するところまで見届けていきたい」との強い思いに共感致しました。

 

詳細は、以下のホームページや新聞記事をご参照頂ければと思います。

 

また、最後に、先輩からのお願い文も掲載致しますので、このような活動にご賛同、ご共感下さる方がおられましたら、ぜひご協力、取り組みに参加して頂ければ幸いです。ご関心をお寄せ頂けます際は、私あてにご連絡下さい。「かわさき寺子屋食堂」の竹岸章をご紹介させて頂きます。

 

社会全体で未来を担う子どもたちを支える、税金で支える土台部分があり、その周辺でそこからもこぼれ落ちそうな子どもたちや子どもたちの多様な興味や関心を引き出すような活動が支え合いの精神で行なわれている、そんな日本になればいいな、と強く思います。

 

〈竹岸理事長からのお願い文〉

 

子どもの貧困にご興味をお持ちの皆様へ

お願い

 

拝啓 本格的な冬の到来となりましたが、皆様方におかれましては益々御隆昌のことと存じ上げます。

さてこの度私どもは子どもの貧困を解決する一助となるべく、NPO法人川崎寺子屋食堂を開設致しました。このNPO法人は川崎市多摩区の2教場で週2日ずつ経済的に恵まれない子ども達を支援するため、無償で食事と学習指導を提供していくものでございます。私どもは子どもの貧困がもたらす経済的な損失や、社会的な軋轢を、先手を打って防ぐための活動を目指しております(詳しくはホームページhttp:;//terakoya.or.jp/をご高覧願います)。

お陰様で全国から熱いご支援を賜っておりますが、認定NPO法人になるためにはもう一回り大きなご支援の輪を必要としております。と申しますのは寄付金の所得税控除が認められる認定NPOの条件として、2年連続で3000円以上の寄付する方が100人以上必要となっているのでございます。

誠に勝手なお願いで恐縮でございますが、明るい未来を子ども達に持たせるためにご協力を賜りたく、心よりお願い申し上げます。

敬具

特定非営利活動法人川崎寺子屋食堂  理事長 竹岸 章

 

 

※ ご賛同頂ける皆様、ご関心お寄せ頂いた皆様、ご質問等は小斉太郎までご連絡ください。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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アルマーニの制服と名門校

 

こさいたろうの視点・論点 0038

2018/02/21

 

 

アルマーニの制服と名門校

 

 

東京・中央区立泰明小学校で、イタリア・アルマーニ社監修の制服(標準服というらしい)が採用されるとの報道の波紋が広がっています。公立小学校で8万円を超えるような制服が校長の独断で採用され、保護者の負担を求める。このようなことが妥当かどうか、が問われています。

 

誤解を恐れずに言います。泰明小学校の校長は、異常だと思います。自らの経験から推測すると、校長の周辺には校長を煽る異常な人たちが取り巻いているようにも感じます。同質な人たちに囲まれ、自らの異常性に気づかなくなっているのではないでしょうか。負担な困難な人たちへの思いが全く至らない。

 

ハフポストというニュースサイトに、昨年11月に配布された保護者向け文書、「平成30年度からの標準服の変更について」の全文が掲載されました。各人が選択して入学する私立学校であれば許される範疇かもしれませんが、歴とした公立小学校校長の言葉。改めて異常性を感じます。

 

 

校長の言葉を『』で括り抜粋し、※印以下に私の批評を述べます。文書全文は、以下に全文が掲載されています。ご関心あります方はどうぞ http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/07/principalletter_a_23355613/

 

『泰明小学校を選択してくださり、本校の教育方針に得心をしてくださり、そして、本校でお子様が自負をもって学んでくれたらと、期待なさって本校を選択されたのだと思うのですが、どうも、その意識と学校側の思いのすれ違いを感じるのです』

 

※ 中央区立泰明小学校は、公立学校です。特認校という制度で「選択」した家庭もあるようですが、学区域内に住まいしていれば「選択」するわけでなく、この学校に通学するわけです。そういう学校の校長がこのようなことを言うのは、勘違いしているとしか言えません。

 

『子どものたちの様子から申し上げれば、日常の振る舞い、言葉遣い、学校社会という集団の中での生活の仕方などを見ていますと、どのような思いや願いがあって本校を選択されたのかが分からなくて、思案に暮れることがあります』

 

※ どんな学校を選択しようとも、親は子の躾にいつも悩みながら過ごしています。振る舞いも、言葉遣いも、すべて。もちろん家庭での教育が大切ですが、学校という教育機関でも教員という専門家が、粘り強く子どもに向き合っていくべきです。この言葉からは、そんな姿勢が微塵も感じられません。

 

『泰明小学校はやはり特別な存在であります。中略… 「泰明らしさ」は失われるものではないと思っております』

 

『泰明小学校という学び舎の気高さ。この伝統ある、そして気品ある空間・集団への凝集性とか、帰属意識とか、誇りとか、泰明小学校が醸し出す「美しさ」は保っていかなければと、緊張感をもって学校経営してきました』

 

『しかし、私が泰明小学校の在るべき姿としての思い描いていることとはかけ離れた様子、事実があることも否めません。なぜ、本校を選択されたのですかと問い返したいと思う出来事や対応が多いこと、これが泰明の実態だったのでしょうかと、学校を管理する者として思い悩むこともしばしばです』

 

『言動、もちろん、公共の場でのマナー、諸々含めて、児童の心に泰明小学校の一員であることの自覚が感じられないと思うことも度々です。中略… がくっと心折れる場面の多いことも事実です』

 

『教育は内面を育てる営みがほとんどです。ですから、私どもも懸命に児童の内面を鑑み、自覚をもたせ、「泰明の子らしく」を金科玉条の如くは大げさかもしれませんが、でも、泰明小学校の児童はかくあるべきだと思い指導いたしております』

 

『その力がまだ足りないのだと忸怩たる思いもありますが、なかなかその指導が行き渡らないのはなぜだろうと悩んでおります。対外的にも、「泰明小」そして「泰明の子」は注目されます。そういう衆目に答える姿であるかどうか、これまた、忸怩たる思いになることもしばしばです』

 

※ この校長の本質が表れている部分だと感じ、少し長くなりましたが引用しました。指導の到達点そのものが間違っているから、その指導が行き渡らないのだと私は思います。小学生にとって、「泰明の子ども」という自覚だとか「泰明の子らしく」とか「衆目に答える」とか、ということが大切なことではないはずです。

 

※ 自覚が感じられない言動やマナーというのが具体的にどんなものかわかりませんが、大人の期待に応えるように振舞う子どもを作るのが目標であってはならないと思います。なぜそう振舞うべきなのか、自分で考え、納得し、行動する人間に育てることこそ大切ではないでしょうか。

 

※ 思い通りにならない、思うような子どもに仕上がらないと校長は悩みを吐露していますが、私はそんな人間を教育者として認めたくありません。悲しいです。しかし、衆目に応える姿になることを求めているのは校長だけなのでしょうか。以下を読むとわかることがあります。

 

『「自分は泰明小の一員であるから、そのようなふざけた行いはしない」と自戒できる児童を我々は育てたい』

 

『もうひとつ、私が危惧しているのは、泰明小学校は銀座の街と共に歩んできたということを児童や保護者の皆様にご理解いただいているのかどうかということです。泰明小学校に通ってくると言うことは、例え特認校であっても、銀座の街の子供たちになると言うこと』

 

『街の方々は、泰明小学校の子供たちのためならと、事あるごとにご尽力してくださいます。学習活動面でもご周知のような協力を惜しみなくしてくださっています』

 

『”街との絆”を感じながら泰明小で学んでほしい。保護者の皆様には、そういう学校で我が子は学んでいるものだということを意識して欲しいと思うのです。私は、立場上、地域の方々との接点がありますが、皆さんが、学校のことをとても大切に考えてくださっていることが分かります。街に学校があると言うことは、こんなに嬉しいものなのだな、と感じるのです』

 

『しかし、このような意識も薄れつつあるのではないかと私は心配しています。中略… それほど多くはないはずの地域の催しや企画などにどれだけの方が参加してくださっているのでしょう。銀座の街あっての泰明小学校なのです』

 

※ 「銀座の街」がキーワードです。街の重鎮には卒業生も少なからずいるはず。母校愛から、学校も校長自身もそれらの人々にお世話になっているはずで、それらの人々からの声は無視できません。明確な要請はなくても、校長が忖度していることも考えられます。

 

※ 学校と街が手を携えるということは大切なことだと思います。でも、名門校であることを殊更に押し付けたり、ましてや、高級ブランドの制服を身に纏えば学校と街の一体感が醸成される、座にある学校らしさも生まれるなどという考え方が、問題を解決するとは到底思えません。

 

※ 私もかつて、東京都内の名門校と言われるエリアで活動していました。名門校と言われる学校が存在し続けることへの問題意識はあったものの、その地域と学校との関係は自然な形で一体感を醸し出していました。もちろん、高価な制服などはありませんでした。

 

※ 校長の文書はこれ以降、「ビジュアルアイデンティティー」などと称してアルマーニ制服の必要性を訴えているのですが、取って付けたような言い訳なのでここでは省略します。校長の思いの本質は、ここまでに凝縮されていると思います。

 

※ 東京の公立学校には、戦前からの流れも汲み、名門校というものが存在しています。教育委員会は認めません。どの公立校も同じと言います。しかし、越境入学の規制は緩く、教員も優秀者を配置するという特別扱いが周知です。長年の積み重ねで、それが固定化しています。

 

※ 結果、今回の泰明小学校のような事例が出てきてしまいました。子どもに向き合うことよりも名門を維持することを優先させるがごとくの学校教育、これこそが問題の本質だと私は思います。明治150年。公教育のあり方を見直す時期がやって来ていると思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

※ 今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

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線香配るなんて、もうやめてほしい

 

こさいたろうの視点・論点 0037

2018/02/11

 

 

線香配るなんて、もうやめてほしい

 

 

週刊新潮の記事に端を発し、政治家の「線香配布問題」がクローズアップされている。記事は、茂木敏充経済再生担当相が選挙区内において秘書を通じて有権者に線香を配布していた、という内容だ。これに端を発し、野党幹部の「政治とカネ」問題も次々に浮上。

 

希望の党の玉木雄一郎代表が政党支部から慶弔費を支出していることが明らかとなり、無所属の会の岡田克也代表が個人後援会から香典を支出していることも報じられた。そういえば、立憲民主党に移籍した山尾志桜里氏も、選挙区内の有権者に供花代と香典を支出していたのも記憶に新しい。

 

さらに最近では、立憲民主党の近藤昭一副代表、元民進党の菊田真紀子衆院議員らにも同様の問題が判明している。与党側も、菅官房長官や小渕元経産相、松本文明衆議院議員、金子原二郎参院予算委員長らが、自らの政治団体で多額の線香を購入していることが明らかになっている。

 

もうこうなってくると、法令をくぐり抜ける手法に多少の違いはあれど、明るみにでていない政治家も含め、多くの政治家が香典や線香を配り回っている実態は容易に想像できるというものだ。政党支部名で配布すれば名前が類推されない、なんてそんなことあるはずがない。

 

とはいえ、私自身が政治家秘書を経て地方議員をしていた頃、政治家としてどのような基本姿勢で、原則で冠婚葬祭に関わるか、頭を離れたことがなかったことを思い出す。例えば、香典を持たずにお葬式に参列できるか。私は、常人にはできないと考えていた。

 

 

 

公職選挙法249条の2 第3項に、議員・候補者等「本人が自ら」が参列する結婚式・葬式に祝儀や香典を持参する場合、法律違反の適用除外とする旨の規定がなされている。私はこの法令を根拠に、自らの行動の指針としていた。

 

自ら参列する場合のみ香典を持参する。それでも交際の範囲が広がるにつれ、負担は徐々に重くなる。選挙区外の方への香典は何ら問題ないのだが、選挙区外の方との交友も増えていく訳で、いくら自ら参列する場合のみとはいえ、台所事情は本当に厳しくなる。

 

本当はこんなことを公表すべきではないが、お付き合いの度合いによって包む金額も変えさせてもらった。心苦しいがやむを得なかった。しかも、お香典は受付所の裏ですぐに開封され記録される。誰がいくら持ってきたか、否応なく共有される。

 

葬儀の受付はたいてい町の方が担われているので、それとなくそんな話題になることも知っている。なので、あまりに少ない金額もいれるのも気が引けた。そういうこともあり、私自身は、葬儀への参列は限定的だった。本当にお世話になった方のものに限られるようになった。

 

葬儀は結婚式と違い、参列しようと思えばいくらでも行ける。断られることは、まずない。私はやらなかったが、常に選挙区内の葬儀情報を気にかけておけ、という議員がいたことも私は知っている。本人が参列すれば、香典を持参しても法律違反ではない。前述の通りだ。

 

でもこんなふうに政治活動する場合、香典分の収入を探さねばならない。いくら金があっても足りなくなるのは当たり前。政治家とは何か、本当に考えさせられる。元々の金持ちか、本業で稼いで片手間にやるか、それとも権力を利用して口利きの対価を得るか…

 

私が初めて議員秘書をしていた時代は、町のお祭りにはお酒を配って回っていた。車に政治家の名の入った熨斗で包んだ一升瓶をどっさり積んで、秘書が「おめでとうございます」といって神酒所を回るのだ。平成3年の頃だった。

 

その後、私が初めて議員になった最初の秋祭りの頃、地域のお祭りの役員さんに「奉納金とお神酒」を奉納するよういわれた。これまでの議員さんはみんなそうしてたと。私は断った。納得してもらった。世の中は変わりかけていた。今では渡す政治家ももらう住民もほぼいないと思われる。

 

世の中は変わる。意を決することさえできれば。お祭りの奉納金もお神酒もやめられたのだから。政治家が香典を持参する、名を伏せて線香を配る、やめようと思えばできるはず。さらにいえば、受け取る側も「政治家からは受け取らない」という風土になれば、必ず変化できると思う。

 

でも、野党党首がこんな発言をしているうちは、「希望」はないかなとも思う。『香典袋にあるいは受付に議員名を書かないなどの本人類推されないような最大限の必要な対応は行いながらやってきたので』『どんなに工夫しても受け取る側が、どう取るかがすべて』

 

弔意を示す際に「自分だと分からないようにする」なんてまともに言っているのか。工夫?死者への冒涜にも聞こえてしまうのは、私だけだろうか。いずれにしても、自らの行動を省み、責任を取ることからでなければ、変革の先導者にはなれない。希望の党の玉木氏のこと。

 

自民党のふてぶてしさも変わらない。茂木大臣はのらりくらり答弁して逃げ切りを図っている。野党も含めて「みんな同じことをやってるじゃないか」と高を括っているのだと思う。

 

相討ち覚悟で、政治家は葬式に香典を持参しない、持参したら公民権停止等の厳罰、香典にとどまらず政治家が金や物を配らないことが当たり前の社会、を作ろうと呼びかけられる政治家はいないのか。覚悟を決めればすぐにでもできるはずなのに。

 

残念でならないが、有権者の多くが念ずれば、いずれは社会が変わっていくと思ってもいる。名前を悟られないように香典を出すとか、その工夫をするとか、やっぱりオカシイから。政治家は香典を持参する方がオカシイと思われる社会に、変えていかなければならないと私は思う。

 

皆さんは、どう思われますでしょうか。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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自然災害と補助金

 

こさいたろうの視点・論点 0036

2018/02/06

 

自然災害と補助金

 

雪が降ると、思い出します。先日、今シーズン二度目のまとまった積雪。車がないと何処にも出かけられないので、公道までの通路は朝一番に雪かき。山里で暮らすということは「雪とも共に生きる」ということ。諦観と言うほどでもなく、意外に自然に受け入れています。

でも、それも「程度」次第で。ここ山梨では四年前、未曽有の大雪に見舞われました。ネットに上がった画像を見ると山で囲まれた山梨県は全域真っ白に埋まっていて、衝撃を受けました。甲府で史上最高の114センチ、私の働く白州では2メーター越えの積雪で、4日間農場に缶詰めでした。

缶詰の夜には、テレビでソチ五輪。山梨は大変なことになっているのにテレビは何てノンキなのかと憤り、ツイッターで情報発信を続けていたことも、今は笑って話せますが、当時は本当に恐怖を覚えていました。日没史真っ暗な中の吹雪は方向感覚を麻痺させ、田畑の真ん中で遭難しかかったこともあり。

翌朝、明るくなり、深く積もった新雪をかき分けながら現場を確認。ほとんどの鶏舎と野菜用のビニールハウスは、雪の重みのため倒壊していました。以降、農場では可能な限りの出荷を再開するための応急復旧作業をしながら、長期間にわたり後片付けの日々が続きました。

そして、その農場は復旧しました。…

 

(中略)

※ 省力部分、ご購読の上、読み進めて頂ければ幸甚に存じます
※ ご購読ご希望の際は、お手数ですが、私あてご連絡下さい

※ 連絡先:http://www.kosaioffice.com/contact-me/

 

 

困っている人たちを助け、支える。もちろん、この大義を否定するものではありません。できる限りのことはすべきだし、共に支えあう心は日本人の精神だとも思います。しかし、こんな手厚い対応が未来永劫続けられるはずはないし、まじめに頑張る人間がバカを見るようなこともあってはならないと思うのです。

また、国家による国民の管理を強めつつ、国民の歓心を集める大盤振る舞いの税金の使い方を拡大させている現在の安倍政権。税を配る部分では、できるだけいい人の顔をしたいという権力者のありようが、災害対策にも表れます。国家社会主義的色彩を強める現政権への懸念も拭えません。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

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