こさいたろうの視点・論点 0155
2020/09/24
秘書上がりの菅さん
菅義偉さんが新しい首相となり、新聞の書き方としては、「非世襲、無派閥の総理・総裁は異例」とされています。また、東北の雪深い地から都会に出て苦労して政治家になった、という経歴がクローズアップされています。たしかに、これまでの日本にはないタイプの総理大臣が誕生したと言えると思います。
一方で、農家の長男とはいえ貧しい農家というわけではなかったとか、お父上は町議会議員をしていたとか、そんなにお涙頂戴的な境遇ではなかったようだ、という内容の記事も目にします。どんな境遇で生きてきたか、個人的に興味はありますが、親から地盤や財産を引き継いで議員をやっている人でないことに間違いはないですね。
私の境遇と重ね合わすのはおこがましいですが、議員秘書から地方議員になったところ、重なるんです。時代は10年以上違いますが。私も最初は自民党議員の秘書をしました。たぶん、菅さんはおかれた環境に違和感はなく、その器の中で政治家を志していかれたのではないかと推察します。
私は、違和感だらけでした。口利きの仕事が一番嫌でした。特に、交通違反の点数を揉み消す仕事。都議会の黒塗りの車で挨拶廻りする姿も嫌でした。大みそかに深夜まで運転手さんを待たせたりして。票や運動のために宗教団体に入会させられたのも嫌だったな。一年後、最後はボスと喧嘩をして、秘書を辞めました。
その後、新しい政党との出会いがあり、そんな苦い経験を反面教師として、当初は考えていなかった政治家を志すようになりました。「あんな政治が続いてはいけないんだ」という思いを忘れずに。結局は、志半ばで政治の現場を離れましたが、「嫌な政治」に染まらなかったことだけは、秘かに胸を張っています。
菅さんが、自民党議員秘書から横浜市議、衆院議員、首相へと上り詰めたことは、凄いことだと思います。血の滲むような努力の結果だとも思います。でも、あえて述べたいと思います。自民党政治という風土をすべて受け入れて階段を上ってきた人には、その風土を変えてまでの仕事はできません。
菅さんが秘書になられた時に、私と同じような経験、否、それを超える汚い部分を無数に見てきたはずです。その時、どのように感じ、どのように行動するか、これは人によって異なるし、それによって人生も大きく変わるはずです。今、ベイエリアの億ションに住むと言われる菅さんに聞いてみたくもあります。
農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)