元号と西暦の共存

 

こさいたろうの視点・論点 0090

2019/04/10

 

 

元号と西暦の共存

 

 

新元号が決まりましたね。もうすでに新しい時代の始まりのような騒ぎっぷりでしたが、実際には5月1日から、新元号「令和」の御代が始まります。なんだかそわそわした気分になるのは、日本人に刻み込まれたDNAによるものなのかもしれません。新しい時代が、明るく平和な時代であることを祈る、そんな気持ちになります。

     

 

僕は、元号はあっていいと思っています。目くじら立てるようなものじゃないとも。ただ、一世一元、つまり天皇一人につき一つの元号、と決められたのはわずか150年前、明治維新政府によってです。それまでは、占いやら、天変地異などの理由によって改元されることが多々ありました。しかも日本の場合は、天皇が政治権力を有した時期が極めて短く、元号が政治利用されたのは武家政治以前の大昔にしかありませんでした。

 

江戸末期、クーデターにより権力掌握した薩長下級武士たちの権威付けとして、天皇は政治利用され、元号も政治利用されることとなってしまったわけですが、連綿と続く日本の歴史や文化と紐づいていることは間違いありません。

 

なので、太平洋戦争の敗戦を経て、その反省の意も込めて、国民統合の象徴と憲法で定められている天皇の存在を認めるのであれば、元号の存在も認めていいのではないかと僕は思っています。

 

一部、アベ政治を許さない、的な立場の人々によって、改元はアベ政権の政治利用だとか、この機に乗じてアベの関与した元号は使わないようにしようとか、言っているようですが、それはいかがなものでしょうか。日本国家のありようとして、天皇制を否定し、元号も不要とするならば、堂々とそう論陣を張るべきではないかと思うのです。

 

僕は、国土は連綿と続き、それを守り受け継いでいくという考え方に立脚し、日本国憲法の下で、天皇・元号は存在してもよいと思います。繰り返しになりますが。

 

ただ、役所や企業で、公式文書に元号を使用するのはいかがなものかと思っています。はっきり言って反対です。今回も、そのシステム改修にどれだけの労力がかかり、どれだけの費用が掛かるのでしょうか。昭和天皇が生前退位を決意されたので、多少の余裕はあるものの、これは異例の形。しかも、日本以外のほとんどの国では西暦を採用しているわけで、世界の垣根が極めて低くなっている今、公式文書への元号使用は全くのナンセンスと指摘せざるを得ません。

 

日本文化の象徴として元号を大切に残しつつ、日常生活の場面では西暦を採用するという柔軟さが求められるのではないでしょうか。

 

皆さん、いかがお考えですか。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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