児童虐待事件から自らを省みる

 

こさいたろうの視点・論点 0056

2018/07/06

 

 

児童虐待事件から自らを省みる

 

 

本稿は、夕日に染まりながら汗を流している子どもたちを見ながら、少年野球の練習グラウンドで書いています。

 

最近、耳を疑ってしまうような虐待の末に命を落とした少女のニュースが頭から離れません。なぜこんなことが起きてしまうのか。しつけだったと強弁する父親、見て見ぬふりを続けた母親を決して許すことはできません。今、目の前で大好きな野球に一生懸命に取り組む息子やチームメイトたちを見ていると、まるで別世界の出来事のように感じてしまいます。

 

ただ、このニュースをきっかけに、改めて「児童虐待」をキーワードにネット検索をかけてみると、こんな検索結果が目にとまりました。

 

 

 

『イライラして怒鳴るなど、大人が子どもを自分の感情のはけ口に利用する行為は虐待です』(週刊女性PRIME 16/11/06 山梨県立大学人間福祉学部 西澤哲教授 談)

 

正直に申し述べます。身に覚えがあります。朝起きない、時間に間に合うように準備しない、何度言っても直そうという姿勢が見えない、そんな息子との生活の中で我慢できずに怒鳴ってしまう時があります。人に迷惑をかけない、人から信頼される、そんな大人に育ってほしいという思いで時間や約束を守れない息子を厳しく叱ってしまいます。

 

しかし、私自身が我慢できずに怒鳴ってしまう背景は、実は別のところにある。怒鳴ってしまった後に気付くのです。

 

私自身の仕事が思うように進まないこと、そのために経済的不安が常に付きまとっていること、40代も後半になり人間関係にも悩むことがあり、体力の低下も実感するようになってきたこと、さらには昨年から父子二人の生活となり、仕事に加えて子どもの送迎、慣れない炊事、洗濯、掃除などに時間に追われる毎日が続いていること。

 

こんな日常が私自身を焦らせ、思うように動いてくれない息子に強い言葉を投げつけてしまう、これは先の定義に当てはめれば「虐待」にあたる可能性が高いです。それを「しつけ」だと言い張ってしまうことは、先日命を落とした少女の父親と同じになってしまいます。私の場合は、このままではいけないと気付いています。自分の心をコントロールしなければなりません。

 

世の中はこぞって、亡くなった少女の両親に非難を浴びせます。私も同じ気持ちですし、非難を受けて当然のこととも思います。ただ、あんなにひどいことをしてはいない(と自分では確信している)ものの、自らのイライラが子どもへの言動に重なっていないか、常に自省することの必要を改めて感じています。「私はあの親とは全く違う立派な親である」と胸を張って言うことは、残念ながらできません。

 

そもそも、大した能力もない人間ゆえ思うように進まなくて当たり前、ある程度は諦めることを前提に生活をすればいいのですが、「できれば思うように進んでほしい」とつい考えてしまいます。息子の振る舞いについても「思うように動いてほしい」と願ってしまう自分がいます。

 

でも、その結果思うようにならない時、それをありのままに受け止められる人間にならねばなりませんね。親の言動が子どもを傷つけてしまうということに思いを致して。息子には、できの悪い親であることを詫びるばかりです。

 

児童虐待。程度に大きな違いはありますが、どんな親も常に我がふりを省みるべきなのだと、痛切に感じている毎日です。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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