「たくさん集めてたくさん配る」を見直すべきだ

 

こさいたろうの視点・論点 0077

2018/12/25

 

 

「たくさん集めてたくさん配る」を見直すべきだ

 

 

この師走、東京ではタクシーがつかまらないそうですね。あのバブル頃と同じですね。今から30年前。僕は大学生でした。大学生ごときにも、バブルの恩恵は滴り落ちてきていました。今風に言えば、トリクルダウンでしょうか。

 

今田舎で生活する中で、その実感は全くありません。ただ、付加価値のある(と私は思っている)農産物を、多少割高で、しかも運送料もご負担頂き、一定数の方々にご購入頂いていることを考えると、間接的に恩恵を受けているといえるかもしれません。もっと稼げないのは単に自らの実力不足かもしれません。でも、格差の拡大や貧困層の増大といった様々な調査の数値を見ると、30年前とは明らかに異なっているのだろうし、僕の肌感覚がまんざら間違いではないような気がします。

 

そんな中、来年度予算案が閣議決定されるそうです。一般会計税収は過去最高の62兆円を見込んでいるようです。でも、いつまでも安倍金融緩和バブルによる税収増が続くとは思えないし、それだけの税収増があってなお借金返済額を超える赤字国債は発行され続け、社会保障費も増加の一途をたどっています。年間の総歳出額は減らず、ついに100兆円の大台を超えてしまいました。

 

どれだけ集めてどれだけ配るのか。稼いだ人にどれだけ負担してもらって、社会の下支えをするのか。根本的に考え直さねばならない。平成の世に入り、ずっと問われ続けてきたことです。それが、なんとなく「子どもにはお金出します」「困った人にも手を差し伸べます」「お年寄りにも優しく」「公共事業は減らさず国土強靭化」などと言いまくっているのをみると、それじゃあカネがいくらあっても足りないじゃないか、と言いたくなります。でも、カネに限りはありますから、見えないように国民からの負担を増やし、社会保障などを巧みに減らしていくんですよね。

 

たくさん集めてたくさん配る。この思想は国家社会主義。戦前の統制経済。国が差配する。まさに現首相・安倍晋三氏の祖父、岸信介氏が満州で実験して、日本で展開しようとした国家像だと僕は思っています。それを今、数十年たってやろうとしているのが「お孫さん」。そして、あえて僕の感じ方を言えば、立憲民主党も実はそれに似通っているのではないかとみています。国家権力が強大な権限を握る社会です。税金をたくさん集めてそれを配分する権限を持つわけですから。

 

僕はいまだに、それは違うと思うんですよね。みんなで助け合う範囲はそこまでか考えて、それに必要なお金を税金として負担しあう。これを国全体でやることと、各地方でやることに仕分ける。この作業が必要だと思うんですよね。多くの国民は、大金稼いで華美に、贅沢に暮らしたいと思ってはいないと思います。今よりもう少し楽に、心に余裕のある暮らしができればということなんだと思うんです。それには、余裕のある人たちにあと少しずつ負担してもらうことで、かなり大きく変革することができると思うんです。

 

「都会の一部でタクシーがつかまらない」という時代が再びやってきた今、社会のありようを変えることを真剣に考えなければならないと思います。そして、その期間はごく短いということも忘れてはなりません。

 

山里からは、小さな声を発することくらいしかできませんが、いま政治を担っている人たちの責任は極めて重いということは言っておきたいと思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

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