首都高速道路をはずして空のみえるまちに


首都高速道路をはずして空のみえるまちに

首都高速道路(以下首都高速)は昭和30年代、急速に増大する自動車交通に対処するため、計画・建設された。

その際、昭和39年の東京五輪開催に間に合わせるために、既存の公共空間のストックを食い潰すこととなった。具体的には、河川や公園、皇居内堀など、都市に豊かさや潤い、品格を与えていた空間が、高架式高速道路で覆われることとなってしまったのである。加えて、既存の空間を使えない地域では強引な道路拡幅が行われ、その上部を高速道路としたため、既存のまちがそれによって分断されてしまった。

一方、首都高速は当初「都市内交通」の円滑化を目指した連続立体交差道路として建設された。しかし、東京中心市街地外周の環状道路が未整備だったことにより、「都市間高速道路」(東名道や東北道等)が首都高速に接続された。これにより、「都市内交通」の一環だった首都高速は新たに、「都市間高速道路」の一部としての役割を付与されることになり、膨大な通過車両がとめどなく流入する現在の姿となってしまった。

これらの経緯を踏まえた上で、今後の首都高速のあり方について、以下に私見を述べたい。

前述のように今や、「都市間高速道路」へのアクセスが首都高速の主たる任務となってしまっている。一日46万台の車両が首都高速都心環状線を通るが、そのうち60%が都心に目的地のない通過車両とされる。このことから考えれば、中央環状線、外郭環状線、圏央道という周辺部の三環状道路が完成すれば、現在の首都高速の役割の大部分が新環状道路に移行することとなる。つまり、現在のかたちの首都高速道路網を維持する必要性は極めて低くなるはずだ。

一方で、完成から40年以上経過した首都高速は経年的劣化等により、早晩再構築(大規模改修・更新)が必要となるのは明らかだ。一説には、都心部の首都高速の再構築には約5兆円の事業費が必要とされている。このような巨額投資をしてまで首都高速道路網を維持する必要は本当にあるのだろうか。三環状道路ができれば、都市計画に基づいた一般道路の拡幅、新設等を行うことで、都市内交通の円滑化を図ることは十分に可能なのではないだろうか。

また、冒頭述べたように、首都高速は公共ストックを食い潰し敷設され、それによって分断され、空のみえなくなったまちがたくさんある。首都高速をはずしても深刻な交通問題が発生しないとするならば今こそ、真に豊かな生活環境を実現するまちづくりへ舵を切るべきではないのか。

港区というエリアで考えても、古川上空に架かる首都高速がなければ、古川の親水化や河岸の緑化の機運は急速に高まり、東京を代表する散歩道となることだろう。六本木交差点上空の首都高速がなければ、空のみえる明るいまちに変貌し、環境悪化が進む六本木のまちの再生に資するだろう。溜池から谷町に架かる重層構造の高速道路がなくなれば、一般道路の再整備や緑化が促進され、東京を代表するブールバール・アベニューとなるだろう。そしてなにより、機械的に分断されてしまったまちを一体化する新たなまちづくりの契機にもなるはずだ。

もちろん港区だけでなく、首都高速がなくなることにより各地で同様の効果が期待できる。新たな公共空間の創出によって、豊かで潤いある生活環境を生み出すことは間違いない。

今、日本橋上空の高速道路を地下化する議論が活発だ。でも、日本橋だけが特別であっていいのだろうか。日本橋上空の高架式高速道路が景観的に劣悪で、河川という公共ストックの利用を阻害し、環境を悪化させている、というのであれば、それは都心部の首都高速道路沿線のほとんどにあてはまる議論なのである。私は、日本橋のプロジェクトが進行し局所的に巨額な投資が行われる前に、東京・首都圏の高速道路網について、全体の視点から改めて考えねばならないと思う。そして私は、首都高速の高架をはずし、その上で東京のまちづくりを考えるべきだと強く思うのである。

 

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