マンション生活という文化
私もマンション暮らしです。というよりも、生まれてこの方35年、マンション以外で生活をしたことがないのです。このような人間は、僕らの世代が初代ではないかと思います。なぜなら、僕らが生まれた頃が、日本におけるマンション黎明期だからです。何を云いたいかというと、「マンションで生活する」という文化は、日本ではまだまだ始まったばかりの若い文化ということなのです。
耐震強度を偽装する事件がおきました。これはどう考えても、構造計算書を偽造した設計士や委託した売主、見抜けなかった確認検査機関に責任があります。加えて、国のつくった制度にも問題があるでしょう。徹底的な原因の究明と責任の追及がなされねばなりません。言うまでもありません。
一方で、政府の被害者救済スキームが発表されました。これが、かなり手厚いのです。「ひどい物件をつかまされてかわいそう」、同じマンション住民として被害者のみなさんに同情申し上げる気持ちは「生粋のマンションっ子」として人一倍持っているつもりです。ただ、この手厚さには正直、両手を上げて賛同する気分にはなれません。あるマンションの対策委員長なる方が、「100点に近い、素早い対応に感謝したい」と頭を下げていましたが、私には時代劇の最後に黄門様に感謝するシーンと重なりました。つまり、最後は「お上頼み」。「お上の御慈悲」によって、徹底的な原因の究明と責任の追及がなおざりにならないか心配です。さらに、この事件以外の欠陥住宅被害者も大勢います。すべてについて「お上の御慈悲」は適用できるはずもありません。その意味からも心配は増すばかりです。まず、退去の費用等を無利子で貸し付けるといった方法は取れなかったのか、今回の救済スキームには疑問を呈さざるを得ません。マンションの購入、本来は民間同士の契約行為なのです。
冒頭に「マンション文化」を語ったのは、マンションを購入し居住することについての自らの責任について各々の認識が希薄なことに警鐘を促したかったことにあります。最近、築30年を超えるようなマンション居住者が自らの負担なしで建て替えをしたいという声を聞きます。何故そんな考えに至るかというと、規制を緩めてより背の高いビルを建てられるようにする事例が増えているからです。それができない場所では、できないのだから公的資金の援助は当然という論理になります。今回の被害者救済も同じ流れです。問題解決が難しいから政府(お上)が何とかしろという…。
これからマンション文化を成熟させていくためには、マンションという資産は劣化する資産ということをしっかり認識することが必要です。未来永劫保有できる資産ではないのです。また、大きな負担を背負い購入するマンション、その資産価値を納得いくまで検証することは自らの責任で行うべきではないでしょうか。いずれにしても、これまで一生の買い物であるマンション購入について、自らの責任感の希薄さがさまざまな事件を招いているとも指摘せざるを得ないのです。「都内で100㎡超、三割安」。このセールスアピールに惹かれて、物件所有者になるために不可欠なさまざまな確認を怠ってはいなかったか、振り返る必要があります。
そのための社会的仕組みづくりこそ、今求められていると思います。以下のサイトに私の提案を掲載しました。後半部分が提案です。是非ご一読下さい。
http://www.kosaioffice.com/taro-seiji-column/taro-column-top.htm
最後に、万止むを得ず、もし税金が投入されるならば、徹底的な原因の究明と責任の追及を公約した上で、税金投入の理由を国民に示すことが強く求められます。「確認事務は公の事務」との言い訳で公的支援を即決する国土交通大臣の姿勢に共感はできませんし、問題にフタをする意図すら感じてしまうのは私だけでしょうか。