小斉太郎の考える「子育て政策」の大原則
小斉太郎の考える「子育て政策」の大原則
港区議会の予算委員会で発言した内容です。一部ご批判もあり、子育て中の女性議員からは涙の反論もありましたが、ここは私にとって譲れないところです。ぜひご一読下さい。あと、議事録が公開されてわかったことなのですが、私の後に質問した二島豊治議員(自民)が、「私も大筋、同感をしたいと思います」とエールを送ってくれていました。二島君、気付かなかった。ごめんなさい。心強いです。
小斉太郎発言(2011/03/09:港区議会予算委員会)
最後の質問は、子ども施策の展開についてということでさせていただきます。
私は今期、出戻りで4期目で、子どもが1人できた格好で区議会議員にさせてもらいました。皆さんから見たら、そんなに変化していないかもしれませんが、私の心境としては大いに変化をして、この4年を過ごしてきました。区の施策でも、重要施策である子育て施策を見る目が、自分が父親になったということで、やっぱり大いに変化をしてきたなというように思っています。
たまにですね、シュタイナーさんというドイツの哲学者ですが、シュタイナーさんがいろいろ構築した教育方針みたいなものに賛同しているんですよと言うと、シュナイダーとかと言われてしまって、認知度が低いんだなというように思うので、簡単に、私が重視してきた、これは自分の政治活動、政治家としての活動にも大きく影響を与えているので説明をさせてもらいたいと思います。
細かく詳しく言えば、シュタイナーさんというのは哲学家であり思想家なので、別に教育理論家ではないのですね、私も全部わかっているわけではないのですが。これは私なりにかみ砕いて受けとめているのですけども、家族のつながりを非常に重視するということですね。それと、これはそういうようには言っていないけれども、母親とのつながりという関係で、できる限り母乳育児をすると。それと、小さなうち、7年周期でシュタイナーは考えるんですが、最初の7年、7歳まではあまり刺激を与えない、そのままに育てるということ。小さいうちから教え込ませないということ。自然の中で自然と一緒に生きると、具体的に言えばそういうことなんですよ。
わかりやすい事例を、ある人が言っていたことをお話しするとわかっていただきやすいと思うのですが、初めて野原に行く子どもに、あらかじめ野原とはどんなところか、そこには何があるのかということを、知識として教え込んで子どもを野原に連れて行ってしまうと、子どもは何も発見することができなくなるのだと。人は知識を持つと感覚が働きにくくなる。あらかじめ知識を与えられてしまった子どもは、ただ確認作業をするばかりになってしまい、自分の感覚で体験することができなくなる。すると発見できなくなってしまう。こういう教育ばかり受けていると発見能力が育たなくなる。これは具体的な例示ですけれども、こういうことに非常に共感しているんですね。
子どもたちに現実世界に対応する感覚や現実世界での生き方を押しつけてしまうと、子どもは自己方向転換を持てなくなる。普通の大人は一生懸命、そういう現実社会に対応するという感覚を教え込もうとするが、子どもたちはそのことで自分の感覚を否定されたというように感じてしまう。こういうところに共感しているんですね。そういう思いで子育てをしている。
これは質問には直接関係ありませんが、そういう思いが根底にあって、これから質問というか投げかけをしたいと思います。ここから、ちょっと批判覚悟で踏み込んで語りたいと思います。
私は4年半、子どもがこの世に出てきて育ててきました。皆さんのようにサラリーマンの生活ではないので土日も何もないけれども、比較的この港区という狭いフィールドで活動しているので、子どもとはたくさん触れ合って、妻に言わせればそれでも足りないと言いますけれども、私はなるべく触れてきた気がします。
そこで思ったのは、特に小さいうちは、やっぱり親自身が育てることが最も重大だと。小さいうちは特にお母さんですね。うちは男の子だからかもしれないけど、おっぱいがあるということはものすごいことです。今でも寂しくなったりすると吸いついていますよ、4歳半でね、出ないけど、おっぱいがね。すごく親、特に母がいつも一緒にいることの大切さを私は実感しながら子育てをしてきました。
確かに女性が社会に進出するということが評価をされるようになってきた。これはこれで悪いことではない、いいことだ。いろんな闘いもあったのでしょう、樋渡委員の話などを聞いていると、よくそういう話が出てきます。私はこれからはそれと同じように、女性が子どもを手元で育てることを評価する社会、それが認められる社会、それが当たり前と思われる社会、こういうものを目指していくべきだというように思っているのです。
つまり具体的に言えば、親になった人、特に今言ったように女性ですが、自分の子どもを育てることに専念できる、社会がそれを認めて応援する、こういう社会。子どもを育てることは人が人として最も尊重され、崇高な行為であることを疑いなく共有できる、こういう社会を目指すべきだと、私は本気で思っているのですよ。これは親にとってもそうかもしれないけれど、子どもにとって最も幸せなことであり必要なことだと。
今、いろんな悲惨な事件が起きているけれども、これは明確に証明はされないけれども、私は、子どもが小さなうちに親の愛情を一身に受けている感覚を持てていないことも、大きないろいろな社会のひずみの事件が起きている、この原因の1つなのではないかというように思っているのです。
現実は、経済的理由等でどうしても預けて働かなければならないという人がいることも事実。あるいは今の女性の就業環境を考えると、今、現時点ではある程度期待にこたえる保育施設を提供していくという必要性は認識するのですよ。子どもを路頭に迷わすわけにはいかないから。
でも、大きな方向性として、目指すべき社会としては、私は、子どもが小さいうちは親自身が育てられるという社会を目指すべきだと思うのです。今の社会は、子どもを預けることが当たり前になり過ぎてはいないだろうか。違和感がなくなり過ぎているのではないかと。本当は子どもがどう思っているのか考える必要があるのではないかと。このように思うのですね。親を欲する小さな子どもの思いを十分満足させてやることが、小さなうちに安心と満足を体じゅういっぱいにさせてやることが、今求められているのではないかなというように思うのです。
私は、あるべき子育て像というものを体現すること、これは政治でいえば、施策の展開を通じて体現させることが大きな役割だろうというように思っているのです。すぐに変えられないことがあるとしても、あるべき社会像を提起していく役割と責任があるというように思っているのです。私の理念の柱は親自身が育てるということであります。
今の港区の子育て施策を見ていると、残念ながら、その理念が感じられない。みんなが少しずつ満足するようにというように伝わってくるのですよね。総花的ニーズにこたえようという気がするのですよね。私はやっぱりそういう社会を目指す、あるいはそうでないというのだったら、これはもう総括質問にしますけど、多分、区長に聞かないと答えられない。それは、みんなが少しずつよかったなと思えるような方向も全く必要ないとは言わないけれど、こと子育ての問題について言えば、今の政治のあり方というのは、やっぱりちょっとこのままではいけないのではないかなというように思うのですよね。
用意していたのは、子ども1人当たりの施設に通わせる場合の公費負担の額と、家庭で子育てしている人の公費負担の額を資料で出してもらったのですが、施設に行く子には122万円ですよ。家庭保育の子には公費の負担は1人当たり6万円なんです、年間ね。これは、差が開いているのですよ、私が自分で調査した2年前に比べてね。お金だけでは、それは判断できないけれども、あまりに差があり過ぎる。言ってみれば、どんどん預けなさいという方向性を示しているような気がしてならないのですよね。すぐにはできないのですよ、日本全体の話だから。でも、港区として、やっぱり親がなるべく手元で育てようということを、この施策に落として展開していくということは、少しずつでも可能だと思うのですよね。何よりも、区民から選ばれた区長が、そういうメッセージを発して旗を振れば、共感の輪は広まっていくと思うのですよね、政治家なのですから。
私は力不足でまだ共感の輪が広がっていないけれど、区議会議員の任期を終えてもライフワークとして取り組んでいきたいということを申し上げて発言を終わります。