110319 被災地救援活動(名取市)

被災地救援活動について(ご報告)

3/27付け、メールにてご報告した内容を掲載します。大変遅れましたことをお詫び申し上げます。

 

皆様

先にメール等にてお伝えしました標記活動につき、ご報告致します。
さまざまなご意見を真摯に受け止めつつ、以下のような日程で被災地に赴き、微力ながらも自主的な救援活動を行って参りました。義援金や救援物資を託して下さった皆様をはじめ、ご激励を下さった多くの皆様に感謝申し上げます。

 

日程:3/19(土)~3/21(月)

場所:宮城県名取市(海岸部閖上地域が津波で大被害)

メンバー:小斉太郎ほか3名

義援金お預かり額:181,000円(12名・3/25現在)

救援物資概要:携帯カイロ、お菓子、包帯・絆創膏等(段ボール6箱)

義援金の内、85,000円分は救援活動に使用可とお申し出を頂きましたので、往復・現地交通費に充てさせて頂きました。その他は、名取市役所に50,000円寄付、支援物資購入に充てました。詳細収支は後刻致します。なお、政治家本人、政治団体による義援金受付は法律上グレーゾーンのため、全て小斉太郎の所属する「東京六本木ライオンズクラブ」を介しての活動とさせて頂きました。

津波被害の状況:http://bit.ly/hjr0FI

津波被災地は私の祖父母が生まれ育った地ですが、跡形もありませんでした。想像を絶する光景でした。水がたまっている場所は池ではなく、田畑です。水中の捜索はまだ進んでいません。また、何もない画像は更地ではなく、元は家があり普通に生活が営まれていたところです。一瞬にして何もなくなったのです。このことに思いを致さねばならない、改めて強く感じました。
(以下、行程を追ってのご報告です)

 

3/19(土)

・ 早朝、東京駅出発、新幹線で新潟へ直接仙台に入る交通機関がなかったために、新潟を経由することになる。
・ 新潟から高速バスで仙台へ新潟駅前で専門学校生が募金活動を行っていたので協力。仙台までは約3時間半。
・ 仙台からタクシーで名取市文化会館(避難所)へ仙台市内は店頭で弁当販売が始まるなど機能回復途上。繁華街には多くの人出があった。中心部は被害少ない様子。ただ、名取までの途上、ガソリンスタンドやスーパー前には長蛇の列。これは岐路につく日まで変わらぬ光景だった。
・ 名取市文化会館にて救援物資引き渡し市役所職員より「受け取れない、市役所に持って行け」との説明受ける。しかし、小斉の祖父母の生まれ育った地であり、家や財産をもろとも失った方が多く避難する文化会館に直接持参した経緯を話し、「特別に」とのことで受領してもらった。搬入して物資の内容を説明。特に大量のホッカイロは、スタッフから大いに喜びの声を頂いた。ボイラー炊きの暖房が停止している中、夜は大変な寒さとのこと。その他物資(お菓子やバンドエイドなど)も時宜を得たものとして喜んで頂けた。整然粛々とした避難所の様子に感銘。苦しみを内に秘めて淡々と生き抜く姿勢、人間の強さを感じた。しかし、長くは続かないはずだ。仮設であっても最低限の生活を営める住宅建設が急務と実感。
・ 津波被害地・閖上地区に徒歩で向かう当日のボランティア受付が終了していたため、徒歩で津波被災地に向かう。仙台東部道路という盛り土の高速道路を境に風景は一変。適切ではないが、天国と地獄の違い。海岸から3キロ以上離れているが、この道路が防波堤的役割を果たしたという。状況は写真参照(http://bit.ly/hjr0FI)。何もなくなっている。想像を絶する大災害だ。
・ 名取市役所にて義援金を手渡す皆様からお預かりした義援金の内、50,000円をお渡しした。大変感謝されたことをご報告したい。
・ タクシードライバーの方の話
たまたま運転手さんが消防団員とのことで、被災後の活動について話を伺えた。被災から数日は自衛隊も警察消防の支援も入らず、消防団員が生存者を捜し、ご遺体を収容する活動を担っていたとのこと。避難広報のために津波直前まで町を回っていた団員の仲間がマイクを持ったままなくなっている姿も発見したという。「言葉は適切でないが」との前置きをつけて、「ゴロゴロしていた」というのが本当のところだと。衝撃を受けた。この運転手さんだけに限らず、被災地の多くの方は事実のみを淡々と語る姿勢が印象に残る。自らの思いを挟む余地すらない被害であり、はさんだ瞬間にやり場がなくなるであろう自らの気持ちを懸命に抑えているのではないかと感じた。自然災害を仕方なく受け入れはするが、受け入れる術は客観視することしかない、そんなふうに思われているのではと感じていた。「ゴロゴロしていた」と話されたとき、感極まる声になられたこと、助手席にいた私には伝わった。人の心にも厳しい爪痕を残したこの度の大災害。国民一丸となって乗り越えていく必要があると、強く感じた瞬間だった。
・ 後輩S君の実家(名取市内陸部)に宿泊S君はこの大災害を機に故郷で救援・記録活動を行うため実家に戻るとのことを聞き、家屋被害がないとのことだったため、宿泊協力をお願いした。母上様にも快諾頂き、2泊お世話になる。数日前に水道・電気が復旧したとのことで、そのありがたさを痛切に語っておられた。極力迷惑をおかけせぬように、米、食料、飲料は持参したが、結局食事を提供して頂いたため、現物をお渡しすることで感謝の意を表した。

 

3/20(日)

・ 名取市ボランティアセンターで登録名取市体育館にて朝一番で登録。何より感動したのが、地域の中学生・高校生・大学生と思われる若者がたくさん集まっていたこと。後から聞くと、地元の被災した人たちのために何かしたい、と声を揃えていた。日本には未来がある。なお、津波の被災地域は未だ立ち入り禁止のため、ボランティアは主に津波のなかった地域で行ってもらうと説明あり。一時間ほど待機したが、待機していることも重要と感じた。ボランティアはボランティアする人の気持ちを満足させるためにやるのではない。何かあった時、すぐに動ける体制で準備をしておくことも大切なボランティア。皆さん文句ひとつ言わずに待っていたことも印象的だった。
・ 家の中が滅茶苦茶になった老夫婦宅の家財道具整理に大被害ではないが、地震後一週間がたっても、老夫婦だけでは倒れたたんすをもとにもどしたり、割れたガラスを処分したりすることは容易ではない。若者4人とできる限りの手伝いをした。これ医者世帯へのこのような手助けは特別なスキルがなくてももっとできるはず、と感じた。また、多くの家庭からごみが発生し、路上に山積みになっていた。これらの処理も大都市が協力できるのではと感じた。なお、このお宅の横に小さな川があり、川原に生活用品が散乱していたのでその理由を聞くと、何と津波が川を伝ってここまで流れてきたとのこと。海岸から6キロ以上は離れているのに。遠くには軽自動車もさかさまに放置されていた。被害の甚大さの一端を見た。
・ 体育館で避難物資の積み下ろし、仕分け小斉の仲間が携わった。名取市に限って言えば、この時点で物資は相当に余っていた。体育館に山積みだった。避難所に送った飲料は、充足しているという理由で体育館に戻ってきていた。しかし、大災害直後。物資の偏りを責めてはいけないと感じた。ただ、もっと必要な地域へ再配分することも考え始めていいと思う。
・ 小斉太郎の親類と再会津波の難を逃れた母の従兄Nさんと会う。被災当日は素早く避難し、今は仙台の親類宅に身を寄せている。自転車で仙台と名取を往復し、地域の皆さんを励まし、今後について相談しているという。復興についてもできる限りの協力を訳し区。元気な姿で何よりだった。
・ 再び「閖上」へ前日、日没のため途中で断念した津波被災地の再深部へ再び向かった。平時、想像すらできない被災後の惨状、何もなくなった姿を目の当たりに。
・ 後輩実家に宿泊翌日の帰京につき準備。仙台から東京までのバスが大増発されたことはわかったが、いずれも公表後一瞬で満席に。那須塩原行きのバスを辛うじて予約し、そこから新幹線に乗り継ぐルートを確保した。夜は、メンバー4名でそれぞれの感想を述べながら、何をすべきか、何ができるか議論。

 

3/21(月)

10:00発のバス乗車のため、9:00出発。後輩が他の用足しもするとのことで、仙台駅まで送ってくれた。駅前に、新宿行きバス数台が停まっていたため、何気なくキャンセル待ちしていないか尋ねると、逆に人数を聞かれる。3人と答えると、「乗車可能」との返事。予定を変更し、新宿行バスに乗車。15:30ごろに新宿駅前到着。この度の被災地救援活動チームを解散した。
・ 最後に「素人が行くべきでない」「行くと迷惑がかかる」こんな声を複数頂き、被災地入りを大いに悩みました。しかし、それを上回る「自分の代わりとしても行ってくれ」「手助けすることは必ずある」という多くの声に背中を押してもらい、訪問しました。結論は、救援ということでなにがしかの役に立ち、政治に身を置く私の心に確実に影響を与えたという意味で、訪問してよかったと思っています。冒頭のことがずっと気になっていたので、現地の方何人かに「私のようにスキルのないものが思いと体で伺っても、迷惑なだけでしょうか」と率直に質問しました。答えはいずれも「着てくれれば何か手伝ってもらうことがある、迷惑なんて考えなくていい」というものでした。手伝う者に強い思いさえあれば、役に立たないことはない、と改めて確信しました。
皆様の応援に感謝しつつ、この経験を政治の現場で活かせるよう努力して参ります。まずは、明日、明後日の港区議会の委員会において、港区としてできること、やらねばならないことを提案し、区役所の姿勢を質すつもりです。
私が多少の救援に関わった上で得たのは、
「できる人が、できることを、できる限り。」
これに尽きます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
なお、未だに救援が不十分な、忘れられているような被災地があると情報が入っています。今週初めに状況確認した上で、何らかのご協力をお願いするかもしれません。その節は、何卒大きな救援の輪を広げて頂きますよう、併せてお願い致します。

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小斉太郎

taro@kosaioffice.com
港区議会議員

みんなの党東京都第一区支部長
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