「行政の役割を最小限にとどめ、量的・質的な行政改革を断行できる新しい区長」が求められている

みなとかがやきの区長選挙への対応について

 

通信かがやき(00/04)

この6月に港区長選挙が予定されています

「行政の役割を最小限にとどめ、量的・質的な行政改革を断行できる新しい区長」が

今まさに求められている

2000年(平成12年)2月24日

港区長選挙への対応について

みなとかがやき

次期港区長選挙の意義と役割(求められる新しい区長像)

今、時代は大きな変化の兆しを見せています。特に、国政ではなく、地方政治から発信される変革のうねりは、もはや日本全体を大きく動かす原動力となりつつあります。このうねりを生み出している力は、いうまでもなく地域住民の選挙における判断に他なりません。銀行への外形標準課税導入に踏み切った石原慎太郎東京都知事、原子力発電所の建設に待ったをかけた北川正恭三重県知事をはじめ、各地で地方主権の確立のために大胆な改革を実行している首長は、いずれも、地域住民の良識ある判断によって産み出されたといえます。そして、その選良と呼ぶにふさわしい知事や市長・区長たちが、中央集権的国家体制からの脱却を図り、住民主体・住民本位の地方主権の確立へと大きく舵を切り始めました。

わが港区においても、この変革のうねりを真正面からうけとめた上で、区民の立場に立った大胆で、かつ、具体的な変革を実行できる区長が必要です。換言すれば、東京都や中央政府の動向のみに目を奪われ、他の自治体との横並びを志向するような「行政の長」としての区長ではなく、真に港区のことを思い、また、港区から日本を変えていくだけの勇気ある決断のできる「政治の長」「区民の代表」としての区長が今まさに求められていると確信します。

また、現下の日本の政治状況を考えるとき、官僚(行政)主導からの脱却が声高に叫ばれていますが、遅々として進んでいないのが現状であります。同様に港区でも、現区長の若干の取り組みはあったものの、歩みが相当に遅い状況は否めません。これまで続いてきた行政主導の悪弊は、行政体そのものの肥大化と既得権化・硬直化してしまった税配分の構造にあると言えます。この悪弊を断ち切るために、民主導・民中心の新しい構造を創り上げていくことが急務です。もし、新しい港区長が「政治の長」として、行政主導の現状にメスを入れ構造改革を断行するならば、行政はもちろんのこと区民の一部に対しても痛みが伴うことを勇気をもって表明しなくてはなりません。つまり、行政の役割を最小限にとどめ量的・質的な行政改革を断行するという強固な意志と実行力が必要なのです。

以上の二点を持ち合わせた区長の実現を目指すならば、その区長は、これまでの慣習や慣例にとらわれない自由で柔軟な発想を持った人物でなければなりません。さらに、メスを入れようとしている側の立場や既得権、しがらみ、情緒的感情にさえにも縛られない頑固なまでに意志を貫ける人物であることが絶対条件であります。

したがって、我々は独自候補の擁立も視野に入れながら、これまで述べた新しい区長の理想像に限りなく近い候補者を支援する決意であります。

幅広い区民主導による候補者発掘・選考を期待する

この度、現職区長が時期区長選挙に出馬しないという状況の中で、まさに、区民にとって新しい区長はどのような人物が望ましいのかを自ら考える絶好の機会が到来しています。これまで港区も含めて多くの自治体では、その長の候補者を住民不在の中、密室で決める手法が一般的でした。例えば、過日行なわれた大阪府知事選挙における政党相乗り候補の決定過程が記憶に新しいところであります。一方で、米国では大統領選挙に先立って、周到な予備選挙を行ない候補者を選定していく過程は、まさに現在行なわれている通りであります。

来るべき港区長選挙においては、従来のような候補者擁立の手法とは別に、幅広い区民が中心となった新たな候補者の発掘・選考が行なわれることが望ましい、とみなとかがやきは考えています。単に区民主導であればよいということではなく、目指すべき方向性を同じくする方々でということになろうかと思いますが、どのような区長が望ましいのかというところから区民が中心となって議論を始める開かれた候補者発掘・選考のスタイルが、今極めて重要ではないでしょうか。

よって、みなとかがやきは、来るべき港区長選挙に対して、区民自らが積極的に自らの代表者を選んでいく動きが生まれてくることを心から期待するものであります。

おわり


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