小斉太郎の夜警(夜回り)がアメリカの新聞で紹介される
小斉太郎の夜警(夜回り)がアメリカの新聞で紹介される
去る2月、毎年冬に行なっている夜警の活動が、アメリカの「サンホゼマーキュリーニュース」に掲載されました。同紙の東京支局の責任者であるマイケルジレンジガーさんがたまたま青山に住んでおり、毎晩聞こえてくる拍子木の音に興味を持ち、私に取材を申し込まれたのがきっかけでした。大都市東京とそれに一見ふつりあいな拍子木の音、そのアンバランスについて、主に質問されました。
記事は多少長いのでこの紙面に掲載できませんが、本文と訳文は手元にありますので、もし「読んでみたい」とのご希望がございましたらご連絡下さい。すぐにお送りいたします。
東京の過去の音/夜回りで郷愁を掻き立てる男
毎冬11時ごろ、木を打ち合わせる独特な音が、近隣の中流以上の東京の裏通りに響き渡る。この巨大な都市の住民にとって、この独特の韻は幼い頃ののどかな記憶をよみがえらせる。火の用心という掛け声と共に夜回りが始まる。
何世紀もの間、市民の警備は、夜毎木片を打ち鳴らして村の周りを回り、隣人に寝る前の火の始末を思い起こさせた。寒く、とても乾燥した日本の冬の間は、伝統的な木造の日本家屋の中心にある火鉢や囲炉裏の火花が一瞬にして燃え出してしまうのである。
しかし、1997年には木造家屋は高級な南青山にはほとんど無い。電子制御の警報装置が一般的で、もはや家を燃やしてしまう木の囲炉裏は使わないのだ。
この事を27歳の小斉太郎氏(冬の間、夜毎通りで、およそ儀式的な夜回りを続けている奇特な人)に告げると、彼は気にせずに「今日の人達は時代劇でしか火の用心を聞く事が出来ないんです」と、寒中出発する前にこう言った。「でも彼らは、通りで私を見て、私のしている事を良く思うと思うのです。」
新しく来た人にとって、東京は1200万人の通勤客が地下鉄に殺到する大都市に見えるかもしれない。しかし、多くの都会のネオン街の陰で、小さな町の魂はすたれてはいない。小さなピックアップトラックの魚屋は、今日の収穫を裏で値引きして売っている。焼き芋屋はトレードマークの歌を歌いながら巡回して甘い焼き芋を買わせる。(代わりにテープとスピーカーも使うが)。新鮮な野菜の行商人は春になると、通りの隅に布を広げ、玉ねぎや芋やとうもろこしを売る。しかしながら東京の都市の多くでは、火の用心は低俗なテレビに追放された侍の様に絶滅寸前である。わずかに、木の家や囲炉裏がたくさんある昔ながらの地域で、新年に男たちが集団で1、2時間の間夜回りをしに集まり、それから熱燗のためにバーに退き話をするぐらいである。
小斉氏の日課は困難で高度に特殊である。彼はパトロールを12月20日の冬至の日に開始し、日本の暦によれば伝統的な冬の終わりである2月4日の節分に終了する。彼の約束された巡回が中止されるのは雨の日だけである。
「時々彼は家でテレビの映画を見ながら『行かなきゃだめ?』と言うんです。」度々、夫の凍えそうなパトロールに付き添っている妻の恭子さんは言った。。「私は、今や彼が責任を負っているんだという事を思い出させるんです。」「体重もおとせるし」と、彼女はかっぷくの良い夫をからかいながら辛辣に付け加えた。
小斉氏の夜毎拍子木を打ちながらの45分間の巡回は、大都市の孤独な住民の中にコミュニティーを創ろうとする感傷的な試みか、将来有望な政治家による賢明な広報活動としての妙技かのどちらかである。小斉氏は近所の人に選出された区の委員として奉仕しており、彼の夜回りは自分が注目されるための一つの手段として始められた。
「私は公職に立候補したいと決心していたが、それ程知名度がなかった」と、小斉氏は言った。「その上とても若い。ある夜友人達と座ってビールを飲んでいると、そのうちの1人が、火の用心を始める事を私に提言したのです」こんな風にしてパトロールは始まった。6ヶ月後の1994年の春、小斉氏は南青山の区議会に選出された。そして今や小斉氏は選ばれた政治家として、人に知ってもらうために始めた愉快な事を今後も続けていこうと考えている。
「通りを歩いていても変な目で見る人はいないんです」小斉氏は言った。「むしろみんな私がしている事に対して、尊敬の念を抱いているように見えるのです。始めたとき、私は単に近所でもっと有名になりたかっただけで、責任を負う事なんて思ってもいませんでした。でも今や私にはそれがあるのだと思っています。時には窓辺に座って私が来る事を待っている人が居るのではないかとさえ思うのです。」
巡回の途中で彼は、カルバンクラインやコムデギャルソンといった、店の窓が手招きをしている、東京で最もファッショナブルな店を通る一方で、狭い裏通りで彼のセレナーデを楽しんでいるような地元の住民にも会う。「都会の真ん中で古き良き日本の音が聞けるなんてすばらしい。」と、小斉氏の隣人の1人が言った。
日本人は、心の中ではコミュニティーがとても重要な社会で育った、米を育てている人達のままでいる部外者を思う事が好きである。実際は多くが自分の村から離れ、隣人がはびこる東京の匿名のアパートに居場所を移すが、それは彼らの気持ちを変えはしない。しかし、火の用心は隣人の気持ちを生き返らせる。「私は幾夜も注意を促す声に一体感を覚える事が出来る。何かが私に暖かい連帯感を与えてくれるのです」地元の作家の1人エリザベス・キリタニが最近言っていた。しかし他の人は小斉氏が次の選挙に勝つために夜回りをしているのではないかと思っている。「火の用心が毎夜来ている事を初めて聞いたとき、私はなんてすばらしい考えだろうと思った。」ある地元の会社員が言った「でも今や彼が政治家だと知って怒っている。これは別の政治家が小細工でしている事なんだ。」
小斉氏は平穏を乱すことなく隣人と密着する事を望んでいる。「私は、ここの人々は隣人と密接な関係を結びたいと願っているのだと思います。でも彼らはみんな自分のプライバシーを楽しんでいるのです。その境界線がどこにあるのか知るのはとても大変です。」
おわり