衆議院総選挙の結果に思う
自民党圧勝、民主党惨敗
国民の多くも、予想だにしない結果だったに違いない。得票数と獲得議席に大きな差が生じたからだ。小選挙区制度の特性が遺憾なく発揮された選挙結果といえる。四回目の小選挙区制度下の選挙、国民がその特性を体感する初めての機会となった。「多様な価値観を封じ込めていくのではないか」という恐ろしさも感じるだけに、選挙制度については改めて議論する必要性を感じるが、今回の結果は現実として受け止める必要がある。
この結果は、小泉純一郎首相に対する国民の期待度が十二分に表れたものといえる。国民の判断は、改革不可避。この際の改革は、既得権・しがらみからの脱却。まずここから始めなければ、その先には進めないという国民の気持ちが表れたものだ。多くの国民は、「郵政民営化」が突破口になるという小泉さんの言葉を信じた。
自民・公明連合に求めること
自民・公明連合は、選挙結果を掛け値なく素直に受け止めるべきだ。
小泉改革とは、行政の抜本改革だ。多くの国民は実現を期待し、官僚中心の既得権やしがらみを一掃することが時代の要請である。小泉首相に絶大な期待を寄せる選挙結果を受け、自民党がどこまで期待に応える改革を断行できるかが注目される。少しでも官僚の既得権が温存されるような甘さがあれば、国民の期待はたちまち失望に変わる。
そして、今回の選挙は、小泉総裁が言明した通り「郵政民営化に賛成か反対かを国民に問う」選挙であり、それを自民党小泉総裁に託すという結果となった。選挙で態度を明らかにしなかった重要な政策の実行(例えば増税など)にあたっては、再び国民の判断を仰ぐことが必要だ。本来は、衆議院議員任期の四年間の政党としての政策を、しっかりと国民に示して選挙を戦うべきであった。
また、小泉首相は、自民党総裁の任期である来年九月で首相を下りると明言している。一方で、この選挙での国民の判断は「小泉政権信任」である。つまり、小泉さんが首相の政権を選んだのだ。したがって、小泉首相が退陣する際には、再度の選挙で国民に政権選択を委ねるべきだ。
民主党は解党覚悟で旗を示せ
小泉純一郎氏は「自民党をぶっ壊す」と宣言し、「変身」を成功させた。実際に「ぶっ壊された」のは、民主党だった。特に、関東エリアでは、ほとんどの小選挙区で自民党候補が勝利するという驚異的結果である。
民主党の敗因は曖昧さ。野党だけに実務的な実績をあげることはできない。だからこそ、日本の将来を展望する明確な旗を掲げて国民に示し続けることが必要だ。だが、それをしたのは小泉首相だった。「郵政民営化実現→すべての改革の突破口→小さな政府で日本に活力を」。具体的内容の良し悪しは別にして、極めて明確なメッセージとなった。これでは民主党は太刀打ちできない。
民主党は、二大政党の一翼という甘えがあるのではないか。この立場なら、敵失で政権が転がり込む可能性はある。しかし、それは、非自民・反自民の立場でしかないということであり、自民党の存在が民主党の存立条件ともいえる。レギュラー自民党のスーパーサブ、政権受け皿政党のままでは国民は共感しないことが、選挙によって明らかとなった。
民主党内のそれぞれの立場で明確な旗を掲げる。徹底的に議論する。議論は国民注視のもとで行う。党を割る覚悟で姿勢を明確にしなければ、政権を担う日はやって来ない。次期代表選びを、慌てて密室でやっているようでは未来はない。
民主党は解党的出直しを。遅ればせながら「民主党をぶっ壊す」ことが必要。
日本の針路を決める第二ステージへ
自民党一党支配の五十五年体制が崩壊してちょうど一回りの十二年。選挙制度が小選挙区比例代表並立制に変わり、四度目の選挙だった。小泉首相の誕生により自民党が革命的変身を遂げつつあり、国民は圧倒的にこれを支持した。今回の自民党圧勝は、政界大変革の序章、第一ステージと見る。
今回にわかに参戦した自民党新人候補は、郵政民営化実現の証文にはサインした。しかし、従来の自民党議員も含めて、日本の針路設定に関わるさまざまな問題に対し一枚岩とは思えない。外交、安全保障、経済、社会保障等々、所帯が膨張しただけに路線対立は必ず生じるはずだ。特に、小泉首相退陣後はそれが表面化する可能性は高い。もちろん民主党も同様だが、むしろ、野党として与党に先駆けて自らにメスを入れるべきだ。
つまり、第一ステージは行政抜本改革であり、まずその成否が試される。実現すれば国民は自民党に更なる期待感を抱くし、できなければ必ず国民は退場を求めるはずだ。そして、いずれにしても、その後に日本の針路設定を巡り争われる第二ステージが必ずやってくる。この争いによって、既存政党の枠組みは音を立てて崩れる。政治の構造改革である。日本を取り巻く時代状況(国際関係、地球環境、人口減少、格差社会の到来など)から見ても、第二ステージの始まりはそう遠くない将来であるはずだ。
今を生きる政治家は、携わる場面が国政であれ地方であれ、野に下っているのであれ、自らを研ぎ澄まし、その時に備えなければならない。