ああ、関西電力

 

こさいたろうの視点・論点 0114

2019/10/04

 

 

ああ、関西電力

 

 

その昔、私が衆議院議員の公設秘書となって議員会館に勤めた時、「デンジレンの人」が毎日のように部屋に来ていたことを思い出しました。今から26年前、1993年〈平成5年〉ごろのこと、私はまだ23歳でした。「デンジレン」が「電事連」ということすら全く知らない、無知な若造でした。

 

私が政治の世界に踏み出す決意をさせてくれた「新党さきがけ」。当時、自民党の劣化を憂い、新しい政治の流れを作るべく自民党を飛び出てきた若手政治家たちが結成した政党でした。後に師と仰ぐこととなった田中秀征氏も、今の私と変わらぬ年齢だったはずです。

 

あの頃、新党さきがけのメンバーは、規制緩和の実現に向けて力を傾けていました。各省庁が権限を持つ各種規制、特に経済的規制を緩和して、日本の活力を生み出すという方向に邁進していました。当時、各省庁の規制が一万以上もあることに驚いたことを覚えています。そのリストを作るのにも大きな抵抗があったようでした。

 

緩和すべき規制の中に「電力自由化」が入っていたわけですね。だから、それを強力に推進しようとしていた国会議員の事務所に「デンジレンの人」は情報収集に来ていたわけです。来ていた人はとても人のよさそうな方でしたが、国の規制という既得権に守られた電気事業を守るための重要な役割を担っていたわけですね。

 

あれから26年、発電部門の自由化の後、東日本大震災による原発事故という大災害をきっかけとして、電力小売も全面自由化となりました。2020年には送配電網の公平な利用を進める改革が進むようです。「選べる電力」、もっと深化してほしいと願うものの一人です。

 

でも、今回の関西電力の事件と発覚後の役員の対応を見ると、「既得権に守られた電気事業を、自分たちの会社を守る」という体質は全く変わっていないのだと感じます。残された「原発既得権」を守るためなら何でもする。死人に口なしとばかりに責任を押し付けて、自分たちに非はないと役員に居座ることも厭わない。

 

次のエネルギー基本計画見直しの際に、電事連は、原発の新増設、リプレース〈建て替え〉の文言を盛り込むよう求め、固定価格買取制度の原発版などの環境整備も訴えるはずだったそうです。あれだけの原発事故が起きてしまってなお、です。

 

札束をはたいて原発を作り、その札束を自らの懐に入れるという、今回の事件。日本のためでなく、自分たちのために原発を作りたい、動かしたい、ということが露骨に表れてしまったものと思います。私は、即時原発ゼロ派ですが、そこまででなくとも、日本に原発が必要か、国民が今一度考えるべき時なのではないでしょうか。

 

それにしても「菓子箱を開けると菓子の下に金貨が…」。水戸黄門じゃあるまいし。ただ、時代劇・水戸黄門では、渡す方ももらう方も、いずれも悪人。水戸黄門が懲らしめて両成敗。今の時代、水戸黄門は誰なのか。それは、主権者である国民であるべきだと思うのです。国民として、許してはいけない事件だと思うのです。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

     

 

 

 

 

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3月11日に改めて原発ゼロを考えました

 

こさいたろうの視点・論点 0087

2019/03/21

 

 

3月11日に改めて原発ゼロを考えました

 

僕は、原子力発電所を再稼働させようとしたり、その技術を海外に輸出したりしようとしている一部の日本人をいまだに理解できずにいます。あの日の、あの災害による、たった一度の事故で、今も、この先も、私たちの生活に想像を絶する影響が及ぼされ続けることは火を見るよりも明らかなのに。

 

正確な日付は忘れてしまいましたが、福島第一・三号機の建屋が吹っ飛んだ衝撃の映像が流れた日だったと思うので、たぶん3月14日だったと思います。震災から3日が経ち、まだ4歳だった息子は家から出られずにストレスがたまっていて、近くの公園で遊ばせようということになり、母親と一緒に出かけたのでした。そのときはまだ、放射能の飛来といったことにそれほど危うさを感じていませんでした。12歳になった今のところ、体にその影響による変調はない様子ですが、本当に大丈夫だったのか、今もたまに心配になります。

 

これも事故の影響といえるのだと思います。爆発した発電所の後始末も、どれだけの時間が、どれだけのお金がかかるかもわかりません。放射性廃棄物の保管・処理も万全の準備は全くできていませんし、たぶん無理です。汚染されてしまった土は、水は、自然は、元通りになるには気が遠くなるほどの年月を要します。それでも帰還する人たちと帰還を拒む人たちとの間には修復できないほどの亀裂が生じてしまっています。陰では子どもたちのいじめもあるようですし、この先は結婚などの場面での差別なども生じてくる恐れもあります。たとえ口にしても安全であっても生産物への不安や懸念は払拭できずにいます。甲状腺がんについても、事故が原因かどうか評価が分かれていますが、ずっとその発症に怯えなければならないというリスクは抱え続けねばなりません。

 

もうこれからは原発事故は発生しないといえるのでしょうか。それはいくらなんでも無理でしょう。あの原発事故を同じ日本人として経験して、再稼働するとか、エネルギーミックスだとか、経済のために輸出だとか、そんなこと言っている人たちは、正直に言って正気の沙汰ではないと、僕は思います。日本国総理大臣がそういう立場なのですから、本当にどうかしていると思います。

 

立憲民主党を作った枝野幸男代表も、もっと反省してほしいです。政権を降りてから脱原発を叫び始めた当時の総理・菅直人氏も。反省の上に立ち、責任を痛感し、覚悟をもって原子力政策の転換を訴えてほしいです。なぜなら、あの事故の時の政権が肚を決めれば、原子力村解体、原発からの脱却は可能だったからです。独占的な電力事業者、その労働者で組織される労働組合、それを取り巻く利害関係者、これらに屈したのが当時の民主党政権だったのですから。

 

当時を思い出して、怒りの気持ちから少し脱線してしまいましたが、8回目の3月11日を迎えるにあたり、感じたことを率直に書かせて頂きました。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

追記

 

僕は、小泉純一郎元総理が「過ちを改むるに憚ることなかれ」と言って、過去、原発政策を推進したことを省み、原発ゼロを目指している姿が、多くの国民の心情に近いものと思っています。でも「アベ政治を許さない!」って紙を家や車に貼っている人たちと話すと、小泉さんはダメだと、言われてしまいます。そりゃ、全部考えが一緒の人なんていないですよね。でも、大きな権力が原発推進しようとしている中で、それに対抗して原発ゼロを実現するには、広範な勢力の結集が必要でしょう。多少の違いは目をつぶるくらいでないと、原発ゼロのような大仕事はできないですよ。だから、小泉さんはいまだに、旧左翼臭のする野党は信用してなくて、「自民党に原発ゼロの旗を掲げるリーダーが現れれば、すぐに多くの議員が賛同して実現するよ」と言うのだと思います。もしも、自分の生活に余裕ができることがあれば、小泉さんの運動を手伝いたいな、なんて思ったりしています。

 

     

 

 

 

 

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