こさいたろうの子育て日記 「ピカピカの一年生(6)」 政治家として(教育や保育の環境を自由に選べるという事)

こさいたろうの子育て日記 「ピカピカの一年生(6)」

政治家として(教育や保育の環境を自由に選べるという事)

 

僕は政治家として、「選べる教育」「選べる保育」を常に提唱してきました。

 

憲法・教育基本法・学校教育法・児童福祉法など、今の教育や保育の環境を規定する様々な法令があり、もちろん一朝一夕に実現させることは出来ませんが、人々が「行かせたい」と思う学校や幼稚園・保育園を選べる社会に、ひいては、人々が「作りたい」と思う学校などを自由に作り提供できる社会に変えていきたいと思っています。学校などを「作る自由」と「選ぶ自由」が必要だと思っています。

 

今の公立学校中心の制度のまま(役所が箸の上げ下げまで指示する制度のまま)では、多様な教育は生まれず、多様な人材は育ちません。国が決めた教育方針に問題点があれば、すべてにその影響が及んでしまいます。「一斉・画一」と言われる日本教育の弊害です。多様な教育スタイルがあれば、その中で多くの方が普遍的価値を認める教育内容は、自然と広く採用されていくはずです。もはや、役所に任せるべきものではないと思います。

 

地域の特性に応じて教育が行われる学校があってもいいし、ある理念に従って教育が行われる学校があってもいい、と思うのです。選ぶのは親であり、子どもであるべきです。今のところ大きな課題として取り上げられませんが、僕は、取り除かれるべき社会的規制と思っています。各家庭の経済環境で選択が出来なくなることは避けねばなりませんから、僕は、具体的政策として「バウチャー制度」が望ましいと考えています。税金の使い道を、教育を受ける主体者に委ねるという事です。選んだ学校などに、お金の代わりにバウチャーを渡すという制度です。このことによって、学校などは選ばれることになります。どんなことがあっても存続するという事にはなりません。選ばれる教育をする必要に迫られるわけです。

 

成熟した日本社会の中で、お上(おかみ)から与えられた教育内容で、均質な成人を育てることはすでに妥当性を失っています。多様な教育で、多様な能力を有した人材が、それぞれ連携して社会の発展を目指すことこそ、これからの日本社会に求められているものと確信します。おそらく、多くの方がそれに気づいているからこそ、比較的経済的に余裕のある都市部で、私立中学校に進学させるご家庭が増えているのではないでしょうか。

長くなるので、改めて、この問題については論じたいと思います。とにもかくにも、今回、僕自身が子どもの教育を「選ぶ」ことと致しました。理事長・校長の堀さんが仰るように、「子どもの村小学校」は「変わった学校」です。でも、僕は「一斉・画一」教育に収まらない学校と捉えています。「いろんな学校」があっていいと思うんです。一つの価値観で人々を、特に子どもを覆ってしまう事は決して豊かな社会を創り出さないし、はみ出たものを排除する暗い社会に繋がってしまうと思います。何より、その価値観に万が一誤りがあった時、全く修正が効かない社会になってしまうと思うのです。みんなが「選べる」社会をつくるためにも、今回の決断を活かしたいと、政治家・こさいたろう(小斉太郎)として密かに決意しているところです。

 

 

さまざまなご感想、受け止め方があると存じますが、是非とも僕たち家族の決断をご理解頂ければと念願しています。「変わった学校」については、今後も折を見てお伝えしたいと思っています。「変わっている」ことが「まずいこと」か、皆さんとともに考えていければと思っています。

 

また、こさいの拙い文章を補足するものとして、作家の高橋源一郎さんの取材記事があります。併せてお読み頂ければ、かなりイメージをつかんでいただけるものと思います。

http://bit.ly/Yr5Pqu(高橋源一郎の「南アルプス子どもの村小学校」訪問記:GQ JAPAN 2013/04号)

 

何卒今後ともよろしくお願い致します。

最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。

ご意見やご感想もお気軽にお寄せ下さい。

 

こさいたろう(小斉太郎)

 

絶対高さ制限を定めよ

 

小斉太郎、一般質問より。

昨今、天空率を採用した建築物に関わる建築紛争が多い。

私のゆかりのある地域でいえば、日赤通り商栄会の真ん中に12階建ての建物が計画されている。これも天空率採用物件。既存のスカイライン、町並みからは突出した高さ。既存の最高高さは7階程度。しかも、商店街の真ん中の計画でありながら、1階部分に商店が入るスペースはない。それでも、各種法令にはかなった建築物であり、これまで町を形成してきた周辺住民は結局、その意向のほとんどを反映させられず、ほぼ計画通りの建物が出来上がる。これが、現実。

 このような事例を数多く目の当たりにする時、港区という地域、さらにその中のそれぞれの地域にふさわしい、「町のルール」が必要なのだ、との思いを強くしている。でも、「町のルール」を作るにあたって、区長の言うような「地域住民の発意と合意」を住民自身で行うのは、率直に言って困難。できる地域もあるかもしれないが、極めてレアケース。このような問題こそ、区長が音頭を取るべき。積極的に働きかけるべき。そうでなければ、事態は改善しない。

 この10年来、港区各地では、地区計画制度の活用や総合設計制度による許可を受け、さらには天空率という仕組みを受けて、まちの高層化が進んだ。はっきり言って、行き過ぎ。そう感じているのは私だけではない。だからこそ、所属を問わず、ほぼすべての会派の議員が、絶対高さ制限に言及するようになっている。

この間にも、高層ビルは増え続ける。そして、一度建ったら、実質的に何十年も更新不可能。もはや、考えている余裕はなく、決断の時。天空率採用の物件を規制するには、今のところ、「絶対高さ制限を定める高度地区」を指定するしかない。総合設計制度の物件についても、特に例外規定を設けなければ、同様。

 

質問 現時点の調査・検討状況は。

答弁 昨年度、実施自治体の調査、本年度は既存建築物調査を行い、庁内検討委員会で検討中。

 

美しいまちなみを将来世代に

 

質問 天空率採用物件をはじめ、行き過ぎた高層化が進んでいる。一度経ったら何十年も更新不可能。もはや、考えている時でなく、決断の時。絶対高さ制限導入の決意や如何に。

答弁 高層建築物が住環境や街並み景観に及ぼす影響が顕在化。高さ制限導入の必要あり。検討深める。また、区民発意による良好な景観形成が進むよう積極的に取り組む。

《制度の廃止を決断せよ》地方議員年金について

2009/11/13公開

地方議員年金について
《制度の廃止を決断せよ》

港区議会・みらい 幹事長 小斉 太郎

地方議員年金はこの数年、給付に充てる財源が大幅に不足し、2011年度(平成23年度)に積立基金が枯渇することが避けられない状況にある。現制度を維持しながら破綻危機を回避するには、以下のような対応策が必要になると考える。

・  現職議員の掛金負担を大幅に増やす

・  自治体の公費負担を大幅に増やす

・  給付金額を大幅に減らす

・  国に財政支援を求める

しかし、いずれの対応策をとるにしても、極めて厳しい決断を迫られることになる。以下、それぞれの対応策について簡略に考察する。

【現職議員の掛金を大幅に増やす】

平成15年、平成19年とこの数年の間、二度にわたり掛金を増やす制度改正が行われている。現職議員の活動実態や生活実態からみても、さらにこれ以上大幅に掛金負担を増やすことについて理解を得ることは、相当困難である。

【給付金額を大幅に減らす】

掛金の引き上げと同時に、二度にわたり給付金額が引き下げられており、さらにこれ以上大幅に給付金額を引き下げることについて理解を得ることは相当困難である。

【自治体の公費負担を大幅に増やす】

議員年金については現状でもすでに、他の公的年金制度と比較しても「特権的待遇」が問題視されている中で、さらなる公費の投入拡大は住民の理解を到底得られない。

【国に財政支援を求める】

自治体の公費負担拡大と同様、国費とはいえ投入する公費の原資は税金であり、広く国民・納税者の理解は到底得られない。また、国が進めた市町村合併が財源不足に陥った原因の一つであることは間違いないが、各自治体の公式な手続きに従って合併が推進されたことは事実であり、国のみに責任を求めることはできない。

上記のとおり、掛金を納める現職議員、給付を受ける議員経験者に、今以上に大幅な負担増を求める制度改革は事実上不可能だと考える。それ以上に、破綻が必至の地方議員制度を救済するとの理由によるさらなる公費の投入拡大は、国民・住民の理解を到底得られるものではない。

地方議員年金制度の発足当時は、公的年金制度は構築の過渡期であり、国民年金制度は存在していたが、あくまで任意加入の制度であった。したがって、当時、地方議員が自らの掛金を原資とする互助年金制度を創設したことは理解できなくはない。

しかし、1986年(昭和61年)、全国民が基礎年金としての国民年金に加入するという制度改正がなされて以降は当然、地方議員もその対象となった。つまり、地方議員は、公的年金である基礎年金以外に、別制度の公的年金を受け取れるしくみになったといえる。

見方によれば、基礎年金に上乗せされる厚生年金や共済年金と似通っているが、財源の半分が公費負担となっている極めて特殊な年金制度といえる。しかも、受給資格が12年であることや退職一時金制度が存在すること、遺族年金の受給資格者に孫や祖父母が含まれることなど、特権的待遇とも指摘されている。

現在、地方議員であってもいずれかの公的年金に加入しているという実態を踏まえ、さらには、我が国の公的年金を存続させるための厳しい環境を考慮すると、地方議員年金を存続させるために巨額の公費(税金)を投入することは住民に理解されるものではなく、住民と議員との信頼関係にも大きく影響を及ぼさざるを得ないことになるのではないかと危惧するものである。

よって、地方議員年金の財源が枯渇し、破綻が目前に迫っている今、地方議員年金制度の廃止に向けた検討を始めるべきである。

実際に廃止に向けた検討を始めるとなると、これまで支払った議員の年金掛金について、現受給者への給付金について等、極めて厳しい決断を要することになる。しかし、残念ながら、今般の状況を予測できなかった責任、また事態解決に向けた努力が不足していた責任は、当事者である我々地方議員にある。その責任を十分に痛感し、多大なる痛みを引き受ける覚悟をもって、制度廃止に臨まねばならないことを申し添えたい。

 以上

参考記事:時事通信 http://www.jiji.com/jc/zc?k=200909/2009092200306

首都高速道路をはずして空のみえるまちに


首都高速道路をはずして空のみえるまちに

首都高速道路(以下首都高速)は昭和30年代、急速に増大する自動車交通に対処するため、計画・建設された。

その際、昭和39年の東京五輪開催に間に合わせるために、既存の公共空間のストックを食い潰すこととなった。具体的には、河川や公園、皇居内堀など、都市に豊かさや潤い、品格を与えていた空間が、高架式高速道路で覆われることとなってしまったのである。加えて、既存の空間を使えない地域では強引な道路拡幅が行われ、その上部を高速道路としたため、既存のまちがそれによって分断されてしまった。

一方、首都高速は当初「都市内交通」の円滑化を目指した連続立体交差道路として建設された。しかし、東京中心市街地外周の環状道路が未整備だったことにより、「都市間高速道路」(東名道や東北道等)が首都高速に接続された。これにより、「都市内交通」の一環だった首都高速は新たに、「都市間高速道路」の一部としての役割を付与されることになり、膨大な通過車両がとめどなく流入する現在の姿となってしまった。

これらの経緯を踏まえた上で、今後の首都高速のあり方について、以下に私見を述べたい。

前述のように今や、「都市間高速道路」へのアクセスが首都高速の主たる任務となってしまっている。一日46万台の車両が首都高速都心環状線を通るが、そのうち60%が都心に目的地のない通過車両とされる。このことから考えれば、中央環状線、外郭環状線、圏央道という周辺部の三環状道路が完成すれば、現在の首都高速の役割の大部分が新環状道路に移行することとなる。つまり、現在のかたちの首都高速道路網を維持する必要性は極めて低くなるはずだ。

一方で、完成から40年以上経過した首都高速は経年的劣化等により、早晩再構築(大規模改修・更新)が必要となるのは明らかだ。一説には、都心部の首都高速の再構築には約5兆円の事業費が必要とされている。このような巨額投資をしてまで首都高速道路網を維持する必要は本当にあるのだろうか。三環状道路ができれば、都市計画に基づいた一般道路の拡幅、新設等を行うことで、都市内交通の円滑化を図ることは十分に可能なのではないだろうか。

また、冒頭述べたように、首都高速は公共ストックを食い潰し敷設され、それによって分断され、空のみえなくなったまちがたくさんある。首都高速をはずしても深刻な交通問題が発生しないとするならば今こそ、真に豊かな生活環境を実現するまちづくりへ舵を切るべきではないのか。

港区というエリアで考えても、古川上空に架かる首都高速がなければ、古川の親水化や河岸の緑化の機運は急速に高まり、東京を代表する散歩道となることだろう。六本木交差点上空の首都高速がなければ、空のみえる明るいまちに変貌し、環境悪化が進む六本木のまちの再生に資するだろう。溜池から谷町に架かる重層構造の高速道路がなくなれば、一般道路の再整備や緑化が促進され、東京を代表するブールバール・アベニューとなるだろう。そしてなにより、機械的に分断されてしまったまちを一体化する新たなまちづくりの契機にもなるはずだ。

もちろん港区だけでなく、首都高速がなくなることにより各地で同様の効果が期待できる。新たな公共空間の創出によって、豊かで潤いある生活環境を生み出すことは間違いない。

今、日本橋上空の高速道路を地下化する議論が活発だ。でも、日本橋だけが特別であっていいのだろうか。日本橋上空の高架式高速道路が景観的に劣悪で、河川という公共ストックの利用を阻害し、環境を悪化させている、というのであれば、それは都心部の首都高速道路沿線のほとんどにあてはまる議論なのである。私は、日本橋のプロジェクトが進行し局所的に巨額な投資が行われる前に、東京・首都圏の高速道路網について、全体の視点から改めて考えねばならないと思う。そして私は、首都高速の高架をはずし、その上で東京のまちづくりを考えるべきだと強く思うのである。